第8話
久し振りに帰った気がする村では、普段通りの営みが行われていた。
収穫した稲を処理する人の姿、荷を引く牛の姿。村を行き交う人々に、走り回って遊ぶ子ども達――この季節の遼夏にある農村ではよく見られる、光景だった。
「レイさん。こっちに来て下さい。私の家に案内します」
「わかった」
瑠菜がレイと並んで歩き出そうとしたところで、鬼ごっこをしていると思われる子ども達の集団と行きあった。その中にいた一人の少女が、瑠菜の姿に目をとめたかと思うと、すぐに駆け寄ってくる。
「
「
真鈴と呼ばれた短い黒髪の少女は、瑠菜に飛びつくように抱きつくと、その焦げ茶の瞳に涙を浮かべた。瑠菜は真鈴の背を優しく撫でてやる。もう大丈夫だというように。
「お母さんの調子はどう、真鈴?」
「今日はいつもよりは調子良さそうだったかな。あたしが家を出るときは繕い物をしてたよ。――瑠菜姉、隣の人は?」
「この人はレイさん。森で迷ってたわたしを助けてここまで連れてきてくださったの。これから家に案内するのよ」
「瑠菜姉を助けてくれたんだ。ありがとう! あたし、先に帰ってるね。お茶、用意しとく!」
「頼んだわよ、真鈴」
真鈴は遊んでいた子ども達に別れを告げると、家のあると思われる方向へと走って行った。
「今のが、瑠菜の妹という子か?」
「はい。妹の真鈴です。とっても元気な子なんですよ。――行きましょうか、レイさん」
子ども達のはしゃぎ声を背に、瑠菜とレイは歩いて行く。小さな村の片隅にある、一軒の家を目指して。
平屋建てで板葺き屋根を持つその家は、建ち並ぶ他の家と見た目は同じだったが、少し小さく感じる家であった。
「ここがわたしの家です、レイさん。狭いところですけど、入って下さい。――ただいま」
先に立って瑠菜は家へと入る。囲炉裏の側には先程帰った真鈴と、やつれた顔をした母の姿があった。
「ただいま、お母さん。遅くなってごめんなさい」
「……いいのよ、瑠菜。無事に帰ってくれただけで。そちらの人が、真鈴の話してくれたあなたを助けてくださった方?」
「そうなの。この方が森でわたしを助けてくださったの。レイさんって言うのよ」
「わかったわ。私がこの子たちの母親で、
ゆっくりと立ち上がり、陽はレイに頭を下げた。床に手をついたときにちらりと見えた手首は、病的に透き通り、ほっそりとしている。
「礼には及ばない。瑠菜に聞いてはいたが、本当に身体が悪そうだ。どうぞ座ってくれ」
「そんなわけにはいきません。大切な娘を助けて下さった恩人なのですから。――瑠菜、お茶がはいったから淹れてあげて。粗末なところで申し訳ないのですが、レイさんはこちらへ」
陽に示されたところにレイが座るのを確認してから、瑠菜は全員分のお茶を淹れた。
「――これは美味いな。茶は貴重なものだろうに、私にわざわざ出してくれなくとも」
「構わないのですよ。娘の恩人であるあなたに、これくらいしか出来ずに申し訳ない限りです」
来客用の茶碗――と言っても瑠菜の家で出せるものなのだから粗末なものには違いなかったが――から茶をすすると、レイは感嘆の声をあげた。顔を見せたくないのだろう、家の中に入ってもレイはフードを被りっぱなしだ。旅装をとかずに、レイは陽と談笑している。
「ほんとに良かった……帰りが遅いから、あたし心配だったんだよ」
「ごめんなさいね、真鈴。森の中で道がわからなくなってたの。でも――ほら見て。食べ物に薬草よ」
「うわ、たくさんあるね! この変わった木の実も食べられるの、瑠菜姉?」
「そうなんですって。これは、レイさんが教えて下さったのよ」
瑠菜は横にくっつくようにして座っている真鈴と話し込んでいた。真鈴は瑠菜の持ち帰った籠を覗き込んで目を輝かせている。木の実やキノコを手に取って大喜びだ。
「早速今日食べようね、瑠菜姉」
「そうね、真鈴。その前に薬草を処理しなくちゃ。このままでは使えないわ。刻んで乾かさなきゃ」
囲炉裏の側から立ち上がると、瑠菜は炊事場へと向かい、包丁を手に取った。そしてリズミカルに薬草を刻んでいく。真鈴も瑠菜の側に立ってその作業を見守っている。全てを刻み終わると、家の中で一番日当たりの良い場所に広げて置いた。
瑠菜がひと作業終えた頃、レイが立ち上がった。
「それでは私はそろそろ行こう」
「もう行かれるんですか、レイさん? せっかくだから、お夕飯を一緒にしていってください。ねえお母さん?」
「そうですよ。もうすぐ日が落ちます。恩義のある方を野宿させるわけにはいきません。たいしたものは用意出来ませんが、我が家で一日お過ごし下さい。寝る場所も用意いたしましょう。――真鈴。瑠菜と一緒にお隣に泊めていただいて構わないわね?」
「いいよ、母さん! あたし、行ってくる!」
「待ってくれ。そこまでして貰うわけには。――ならば、今日のところは世話になろう。寝床は、炊事場の隅を貸して貰えれば大丈夫だ。私ならどこでも寝られるからな」
レイは真鈴が駆け出そうとするのを手で制すと、ようやく荷物をおろしたのだった。
その日の食卓は、賑やかなものとなった。
瑠菜の作った雑炊と焼いたキノコを前に、会話が弾む。
やつれて、肌が前より透き通ってはいたが、目は元気そうに輝いている母の様子を窺いながら、瑠菜はやっと元通りの生活が戻ってきたと実感していた。
食事を用意し、洗濯をし、母と一緒に繕い物をする、瑠菜にとって普通の毎日。明日からはようやくその生活に戻れるのだ。
真鈴に木の実や薬草の話をしてやっているレイの姿が目に入った。
今はフードに隠されていて見えないが、
明日になったらその人は、また旅に出る。瑠菜の生活には、関わりの無い人になる。
――それを思うと、何故か少しだけ、寂しくなった。
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