第6話
(さて……ここからどうしたものか)
レイ――レイヤは、樹上から下の様子を窺っていた。
温暖で豊かな森だったから、獣は普通にいるだろうとは予測出来たが、狼は正直あまり会いたくない相手だった。
――ついてない。その思いは声に出さずに内心にとどめる。今は一人ではないのだ。
横目で瑠菜の様子を確認する。必至に樹にしがみついている瑠菜の身体は、小刻みに震えていた。――集落には滅多に狼は現れない。そんな獣に遭遇して、恐ろしいと思うのは当たり前だ。
(ずっとこうしているわけにもな……)
樹上にいれば狼は避けられるが、このままでは移動もままならない。魔術で飛んで移動しても良いのだが、狼たちはきっと二人を追ってくるだろう。そうなっては最悪、どこかの人里に危害が及びかねない。それは避けるべきだろう。
(となると、しばし眠らせるのが手っ取り早いか)
魔術で狼たちを眠らせ、目覚める前にこの場を去る。それが、双方にとって一番良いことだろう。攻撃魔術で倒すという手もあるが、注意して力のコントロールをしなければ、森を破壊しかねない。――レイヤはその手の、力の加減が得手ではなかったりする。
(狼も生きるのに精一杯だ。殺めるのは本意ではない。――眠らせるとなると、今度は瑠菜が心配か。私の魔術で眠ってしまってはいけないからな)
樹上から魔術を使うことになるが、うまく狼だけを魔術の範囲に取れるか。実はレイヤにはその自信が全く無かったりする。もう少し力の使い方を訓練しておけば良かったかと今更悔やんだところで、どうしようもない。
(仕方ない。この状況下でどれだけ出来るかは瑠菜次第だが、やれるだけのことはやるか)
レイヤはそっと瑠菜に声をかけた。
「――瑠菜」
「……何ですか、レイさん?」
「こうしていては、いつまで経っても動けん。あの狼を私が何とかする」
「……レイさんが? 何か、あるんですか?」
「まあ任せておけ。――ついてはお前にも、協力してもらいたいことがある。やってくれるな?」
「難しくないことでしたら、出来ると思いますけど……何をしたらいいんですか?」
「なに、簡単なことだ。これから私が術を唱えたら、眠気が襲ってくるはずだ。その眠気に精一杯、抗ってくれ」
これが簡単な魔術に抗う方法だ。本当は体内の魔力を高めたりといったことをした方が抗える可能性は高まるが、魔術のことを何も知らない瑠菜に、そこまでいきなり望むのは酷なことだろう。
「眠気に……あらがう……?」
「済まない。私は術の威力や範囲を絞るということが得手ではなくてな。頼んだぞ」
よくわからないながらに瑠菜が頷いてくれたのを確認すると、レイヤは集中に入った。
なるべく、地面の方に意識を向ける。瑠菜への負担も最小限に抑えたい。もし瑠菜が眠ってしまったら、二人とも後が大変だ。
「――命ず。彼の者たちに安らかなる眠りを!」
よく通る声が響き渡ると同時に、狼たちがほのかな光に包み込まれた。そして一匹、二匹とその場に倒れて眠りに落ちていく。
最後の一匹まで倒れたのを確認してから、レイヤは瑠菜の方を向いた。
瑠菜はぎゅっと両目を閉じていた。駄目だったか――瑠菜の身体が下に落ちてしまわないように支えてやらねばと、レイヤがつと手を伸ばしたそのとき、瑠菜の瞳がぱちりと開いた。
「――大丈夫だったか、瑠菜。眠くなっただろう」
「眠くはなりました。……でも何とか、起きていられました」
「やはり眠くなったか。済まない。なるべく範囲を絞ったつもりだったんだがな。――だがよく耐えてくれた」
ここから降りるぞ。レイヤは瑠菜の腕を取ると、魔術を唱えて下に降りた。
「狼……よく、眠っていますね……」
「この分だと当分眠っているだろう。今のうちにここを立ち去るぞ」
よく眠っている狼の群れの横をそっと通り過ぎると、レイヤと瑠菜は先を急いだ。
再び静けさが戻った森を、二人は進む。
道中で病に効きそうなものを見つけたら採り、食することが出来るものがあれば集める。急ぎだが、ゆっくりとした旅。
――ひょんなことから助けたが、悪くない。
自然と浮かんだ思考に、レイヤは驚く。今までずっと張り詰めていた神経が、自然とほぐれていることにも。
旅に出る前も、出た後も。思えば心がここまで安まったことなど無かった気がする。確かに今まで生きてきた環境は、安らげるものではなかったのだが――まさかここまで、出会ったばかりの少女が穏やかな気分にさせてくれるとは。
「――不思議なものだな」
「え? 何がですか、レイさん?」
「いや。何でもない。それより――どうやら、ここからの脱出がかないそうだぞ」
レイヤは正面を指さして見せた。明るい日差しが差し込んできているその場所を。
「――先に行くがいい。おそらく、外に出られる」
「はい……!」
顔を輝かせて、瑠菜が走り出した。それを見てからレイヤは、荷物の中から先程しまい込んだマントを取りだして、顔を隠す。外のどこに出るかはわからない。街道にでも出たら、いきなり人に遭遇する可能性もあるだろう。
(良かった。温もりは、消えてくれているな)
本当は野営を終えた時点でマントを身につけるつもりだったのだが、瑠菜の温もりが残っていて気恥ずかしくなったので一旦片付けたのだ。そんなことを口に出すのは躊躇われたから、言わなかっただけで。
光溢れる方へと踏み出すと、一気に視界が開けた。広がる澄んだ青い空。天は高く、収穫期を迎えた米が実っている。
「――無事に出られたな、瑠菜」
レイヤは先に森を出ていた瑠菜の隣に立つと、フードの陰で微笑んだのであった。
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