第5話
朝露に濡れて光る下生えを踏んで、瑠菜は森を進んだ。レイと共にゆく道のりは、一人で歩くよりもずっと楽に感じる。
森は深く、やはり陽の光は細くしか差し込んでこない。
光もなく、周囲の様子もあまり変化がないにも関わらず、レイは目指す方向がはっきりわかっているようだった。一人だったらまた迷っていたかも知れないと、瑠菜は内心思う。
「――そうだ。お前に返すのを忘れていたものがあった」
レイは足を止めると、背負い袋の中から籠を取りだした。紛れもなく、瑠菜のものとわかるものを。
「瑠菜を見つけたときに、これが近くに落ちていた。これは、お前のものではないか?」
「はい。ありがとうございます、レイさん。わたし、籠はなくしたんだと思ってました」
「やはりお前のものだったのだな。拾っておいて良かった」
レイの手から籠を受け取りながら、瑠菜は頭を下げる。本当に、何もかもレイに助けてもらってばかりだ。
「ところで、母上は何の病なのだ? ものによって必要な薬草が違うと思うのだが」
「それが……よくわからないんです。お医者様に診せたこともないので……」
「そうか。なら滋養強壮に良いものでいいか。ついでに食べ物も持って帰ると良いだろう。栄養は必要だ。――ほら、あそこに朝食べたキノコがあるぞ」
レイが指さした木の根元には、朝焼いて食べさせてもらったキノコがたくさん生えていた。
食べられるものもたくさん持って帰れたら、きっと母も真鈴も喜ぶだろう。瑠菜はキノコを採ると籠の中にそっと入れた。
レイは、様々なことを知っていた。
あのキノコはさっき採ったものに似ているが毒があるとか、あの木の実は栄養価が高いとか。確か、この大陸に訪れたのは初めてだと言っていたのに。
「この実……紫だけど、食べられるんですね」
「これは実を食べるのではなく、割って中身の白い部分を食べると甘いものだ。種が多いが、独特の甘みがあって栄養もあるぞ」
「そうなんですか。……レイさんは何でもご存じなんですね」
「そうでもないぞ。旅の知識は殆ど、私に旅のことを教えてくれた男からの受け売りだ。あの男から学んでなければ、私は本で知ったこと以外、何もわからなかっただろうな」
紫の木の実を瑠菜の籠に入れながら、レイは語ってくれた。旅の知識を教えてくれた男がいるのだということを。飲める水の見分け方や野営の仕方という基本から、騙されずに買い物をする方法だとかに至るまで。必要なことの何もかもを伝授してくれた、レイにとってはいわば旅の師匠のような男らしい。
「すごい方にレイさんは教えていただいたんですね。その方は今は……?」
「今か? 国に戻ると言っていたから、恐らく生国に帰っているだろうな。ここよりも寒い国だ」
ここよりも寒い国って、どんな国なんだろう。いろんな疑問が浮かんでくる。こんなことは初めてだ。何せ、瑠菜は自身の住まう村周辺のことしか知らなかったから。
「――ああ、あったぞ。薬草だ」
「どの草ですか、レイさん?」
「この草だ。森ならばあるだろうと思っていたが、あって良かったな」
レイは生えている草のひとつに手を伸ばすと、無造作に摘み取った。変わった香りを強く放っているそれを、瑠菜の籠に入れてくれる。
「これは滋養強壮と、あとは熱などにも効いたはずだ。使い方も容易だ、持って帰るといい」
「ありがとうございます、レイさん。――もう少し、摘んでも大丈夫ですか?」
「勿論だ。母上のために、好きなだけ摘むといい」
瑠菜は群生するその草の側にしゃがみ込むと、少しずつ摘み取っては籠に入れていった。家を出てくる前、母は高熱を出していた。ならばこの薬草がよく効いてくれるかも知れない。一人森を歩いていたときはこれからどうなることかと思っていたが、レイに助けてもらったことで薬草も見つかったし、少し目の前が開けてきた気がした。本当に感謝しか無い。
十分な量の薬草を採り終えて、瑠菜が立ち上がったときだった。――レイの顔色が変わったのは。
「……レイさん? どうしたんですか?」
「まずい、逃げるには時間が無いぞ。瑠菜、今すぐ私の腕を取れ」
「……こうですか?」
瑠菜がレイの差し出した右腕に手をかけるなり、レイは高らかに唱えた。
「――我が身に翼を!」
これから一体何が起こるんだろう――考える間もなく、瑠菜の身体は宙に浮き上がっていた。
「えっ? わたし、飛んでる!」
「私の腕を絶対離すんじゃないぞ。落ちたら責任が取れん」
会話の間も二人の身体はどんどん浮かんでいく。気付けば近くの大樹から張り出している太い枝まで達していた。
「そこの幹に寄りかかっているといい。少しは安心出来るだろう」
「あの……レイさん。一体何が……」
「悪い。逃げ場が無かったから、咄嗟に魔術を使って木の上に逃れた。私は木登りなどしたことがなくてな」
「飛んだのは、レイさんが魔術を使われたからというのはわかったんですけど……どうして逃げないといけないんですか?」
「ああ、説明していなかったか。――そっと、下を見てみろ。あれに襲われてはどうしようもないと判断してな」
瑠菜はおっかなびっくり樹の下をうかがって――目を見開く。
「狼……!」
そこでは狼の群れが、明らかに瑠菜とレイを探して牙を剥いていたのだった。
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