第4話

 次に瑠菜が目を開けると、辺りには白い霧がたちこめていた。少しひんやりとしたが、乳白色と緑が彩る景色はとても美しい。

「目が覚めたか、瑠菜」

 そうだった。わたしは今、一人ではなかったんだった――瑠菜は身を起こすと、声のした方に顔を向けた。

 レイは、瑠菜が眠る前と同じ姿勢で火の側に座っていた。瑠菜の顔を見ると、小さく笑む。

「顔色がましになっているな。安心したぞ」

「あの……わたし、そんなにひどい顔をしていましたか……?」

「酷いも何も。完全に力を使い果たしているという風にしか見えなかったぞ」

 わたしはただ、少し眠っただけだったんだけど――それは口に出さないことにした。傍目から見ると、違う風にしか見えなかったのだろう。

 何か、火の側から良い香りがしている。細い煙があがる方をに視線をやると、キノコがいくつか、枝に刺されて焼かれていた。

「近くで見つけた。それは食べられるものだ、安心するが良い。……少し熱くなっている。気をつけてな」

 瑠菜が見ているのに気付いてか、レイが説明してくれる。火の側から枝をひとつ取ると、手渡してくれた。

 熱くなっている枝を両手で持ち、ふうふうと息を吹きかけながら初めて見るキノコをかじってみる。少し塩を振ってあったようで、軽い塩味とともにじゅわっと熱いものが口の中に広がった。意外にも甘くて――美味しい。

「おいしい……」

「そうか。それは良かった。――この森は豊かな森だな。これなら、きっと薬草も見つかるだろう」

 泉の水を水筒に汲み入れながら、レイは瑠菜に笑いかけてくれるのだった。


 霧が晴れてきて、辺りが明るくなり始めてきた。

「これなら先に進めるだろう」

 レイは手際よく、焚火の始末をする。火を消しただけではなく、焚火をした痕跡まで綺麗に消していた。

「方角を確かめておくか。現在の位置をだいたい知っておきたいからな」

 言いながら、レイは荷物の中から小さなものを取り出していた。レイが口の中で何かを呟いたかと思うと、それは光を放つ。

「それ……何ですか?」

「ああ。これは方位磁針だな。――こちらが北か」

 レイは瑠菜の手に方位磁針を乗せてくれた。見ても良いというように。そうしてからレイは、何やら紙を取り出して広げはじめる。

「私たちが今いる森はおそらくこの森だから、東に向かった方が森から抜けられる可能性は高くなるだろう。あちらに向かうぞ、瑠菜」

 紙の上の一点を示してみせながら、レイはひとつの方向を指さした。周囲のどの方向も瑠菜には同じように見えるが、ここはレイに従う方が良さそうだ。瑠菜はひとつ頷いた。

「あの……この紙は何ですか?」

「これはこの大陸の地図だな。私はこの大陸――北東大陸アルンを訪れるのは初めてだ。そんなに正確なものではないが、無いよりはましだ」

 方位磁針に地図。どれも瑠菜の見たことのないものばかりだった。旅人というものは物知りなんだと、内心思う。

「あれ? これ、さっきは光ってたのに……」

 気付くと確かに光っていたはずの方位磁針が、光を発さなくなっている。どういうことなんだろう。わたしが壊してしまったのかな。瑠菜の瞳がさっと曇った。

「あの……レイさん、これ……」

「どうした? ――ああ、光らなくなったか。案ずるな。時間切れになっただけだ」

「時間切れ?」

 何の時間が終わったのだろう。壊したわけではないようなのでほっとしたが、気になる。

「それは魔力で動くものでな。効果時間が終わっただけだ。瑠菜も動かしてみるか? もしお前に魔術師の資質があれば、それを動かせるぞ」

「わたし……そんな力があるか、わからないんですけど……」

 この世界で生きるものは、皆魔力を持っている。だが、その魔力を術に乗せて行使する――魔術師となれるかは、本人の持つ資質次第だ。

「そうか、確かめたことがないか。ならば、今確かめてみればいい。――これに、意識を集中してみろ」

 レイは首から簡素な首飾りを外して、瑠菜の手に乗せた。銀で出来た鎖の先には、変わった石がついている。

「この、石にですか?」

「そうだ。その石を握って、意識を石に集中するんだ」

 レイに言われた通り、瑠菜は石を握って、集中してみた。すると、程なく石がほんのりと光りだした。柔らかな光が、周囲を照らす。

「これ……」

「見事だ。お前には、魔術師の資質があるようだな。本来なら術師の証を贈らねばならないところだが、生憎今は余剰の石を持ち合わせていなくてな」

「そんな。いいです。……うちでは魔術は、とてもじゃないけど学べないですから……」

 魔術は多くの場合、師範について修行を積むことで会得していく。それには当然ながらそれなりにまとまった額の金が必要だ。そして、瑠菜の家にはそんな金があるはずもない。何せ、病気の母を医者に診せる金にも事欠くのだから。

「そうか。学ぶ機会がなくとも、証があればどこかで役立つこともあるかと思うんだがな。……時間を取らせたな。そろそろ出立しよう、瑠菜」

「はい、レイさん。……あの、この布。使わせてくださり、ありがとうございました」

 瑠菜は、畳んでおいた布をレイに手渡した。レイは布を纏おうとしたが――しばし考え込んだかと思うと布をそのまま袋の中に無造作に突っ込む。

 霧はもう完全に晴れている。

 冷え込んだ森を、瑠菜はレイに連れられて歩き出したのだった。

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