第3話

 ――温かい……

 温もりが少女を包み込んでいた。何か、パチパチいう音もすぐ側から聞こえてくる。丁度台所で火を使うときのような音だ。温かいのに、額はひんやりとしていて気持ちがいい。

 わたし、少し眠っただけのはずなのに――何があったの?

 少女はうっすら目を開けた。見知らぬ布が、少女をくるみこむようにかけられている。側には赤々と燃える焚火が。

 火のおかげで、周囲の様子はよく見えた。さっきとは違う場所にいるようだ。周りの様子が、明らかに違う。

 澄んだ水が満たされた泉、生い茂る木々――まだ森の中にはいるようだ。まとめられた枝に、見たことの無い古びた袋。そして――

(え……? 銀の、髪……?)

 長い銀髪をまとめて括った、細身の人がそこにはいた。後ろ姿だったので、表情はうかがい知れない。

(だれ……?)

 少女は身を起こすと、呆然とその人の背を見つめた。動いた拍子に、額から濡れた布が落ちたのにも少女は気付いていない。

 何て不思議な色――少女が声も出せずにいたら、その人が振り返った。銀の輝きが翻る。

 色の白い、優しげで綺麗な顔が目に入る。淡い青色をした切れ長の瞳が、ふっと緩んで少女を見た。ゆっくりと少女の方に歩いてくると、その人は少女の側に膝をつく。

「――――?」

(……え、何……?)

 その人――声を聞いたら男の人だ――は少女に向かって何事かを話したが、その言葉は少女の知らないものだった。

 知らない言葉を話すこの綺麗な人は、もしかしたら天の使いか何かなのかも――少女が困惑していると、男は小さく苦笑した。

「――どうやら私は、お前の知らない言葉を話してしまったようだな。済まなかった。この言葉なら大丈夫か?」

 わたしの知ってる言葉になった――この人はやはり人ではないのかもと思いながらも、少女は男に頷いてみせる。

「そうか。この言葉ならわかるか。では、もう一度最初からやり直そう。――大丈夫か?」

「……はい」

「それなら良かった。だが、もう少し休んでいるといい。私はそこの果実を採って、あとは枝を集めてくるからな」

 男は落ちていた布を拾い上げると、側の泉で洗って少女に手渡した。少女に横になっているよう仕草で促してから、繁みの方へと男は歩いて行く。

 少女は男の背から目が離せなかった。不思議な人。知らない言葉を話していたかと思うと、知っている言葉を話し出した人。どうやら少女を助けてくれたようだが――あの人は、少女と同じ人間なのだろうか。あんな色の髪は一度も見たことが無い。

「どうした。横になって待っていれば良かったのに。――これは食べられるものだ。安心して食べるといい」

「あ……ありがとう、ございます……」

 男が少女の手に果実をのせてくれたので、恐る恐る少女は頭を下げた。

「この実……森の奥にも、あったんですね……」

「野生のものだろう。人が手を加えたものとは少々味が違うかも知れないが、まあ大丈夫だ」

 少女の呟きを聞いていたのか、果実を食べていた男はすぐに返事を返してきた。

「恐らく市で売られているものよりは、酸味が強いのだろうな。だが、十分に甘い」

 淡青の瞳を細めて、男が少女を見る。その優しい顔に促されて、少女は果実を口にした。瞬間、口の中に広がる酸味とほのかな甘さに、忘れていた空腹を思い出した。――美味しい。

「口に合ったか? まだあるから、好きなだけ食べると良い」

 夢中になって食べる少女を見て、ほっとしたような顔をした男は、小さく笑んだ。



「――ところで、ひとつ尋ねるが」

 食べるのが一段落したところで、男が尋ねてきた。

「はい。……何でしょうか」

「このような森の奥で、お前は何をしていた? お前が倒れているのを見たとき、正直驚いたぞ」

 少し眠っただけだと思ったら、倒れているように見えたのか――それで男は少女を助けてくれたのかも知れない。 

「わたし……薬草を探していたんです。母の病に効く薬草が、森にはあるかも知れないと思ったから」

「そうだったか。お前は、母思いなんだな。――このままお前と呼び続けるのは失礼だな。名は何と言う?」

瑠菜るな、です。月村瑠菜と言います。……あの……あなたの名前は?」

 少女――瑠菜は、自分の名を名乗ったついでに思い切って質問してみた。しっかり名前を聞いて、お礼をしなくてはならない。

「私か? そうだな、私も名乗らなければ悪いな。――私はレイ」

「レイさん……わたしを助けてくださり、ありがとうございます」

「なに、礼には及ばない。あの状況を見ては、誰でもそうしただろうからな」

 焚火に枝を足しながら、レイと名乗った男は瑠菜に頭を上げるよう促した。

 赤々と燃える火に照らされて、レイの銀髪がきらめきを放っている。その輝きを、瑠菜は呆然と見つめていた。とても、不思議な色。

「――どうした? 私に何かあるか?」

「……あ、あの、レイさん!」

「何だ、瑠菜?」

「レイさんは――天の使いなんですか?」

 瑠菜の言葉を聞いて、レイは軽く吹き出した。肩を震わせて、小さく笑っている。何故そんなに笑うのだろうか?

「……あの……」

「済まない。いや、何故私が天の使いになるのかと思ってな。私は普通の人間でしかないぞ。お前――瑠菜と同じだ」

 レイの瞳は嘘を言っているようには見えない。からかう色も無い。ならば本当に、レイは天の使いではなく普通の人間なのだろう。――そう言われてなお、信じがたかったが。銀の輝きが、闇に鮮やかに浮かび上がる。

「――もしかして、これのせいか?」

 レイが無造作に前髪をつまんで、瑠菜に問う。

「はい。わたし……そんなに綺麗で不思議な髪、見たことないから……」

「そうか。これは地毛だな。珍しい色だとは言われるが。母譲りらしい。――綺麗、なのか?」

「はい、とても」

 瑠菜は自らの長い黒髪に視線をやった。レイの髪は、瑠菜のものとはまるで違う。

「そうなのか。私は、お前のような髪の方が良いと思うがな。烏の濡羽色で、艶がある。見事ではないか」

 そんな風に村では一度も言われたことが無い。瑠菜はほんのりと頬を染めた。

「まあいい。とにかく私は、瑠菜と同じ人間でしかない。もっとも、出身大陸が違うかも知れないがな。瑠菜はここの大陸生まれなのだろう?」

「はい。……レイさんは、違う大陸のご出身なのですか?」

「そうだな。私はここではない大陸の生まれだ。それで最初、お前に共通語で話しかけてしまった。悪いことをしたな」

 共通語。それはどこの大陸でも通じやすいとされる言葉だ。ただし、瑠菜はその言葉を知らないが。村での生活には全く必要なかったから。――レイが瑠菜に向けて最初にかけてきた言葉が、共通語だったのか。道理で何を言ってるかわからなかったわけだ。

 瑠菜は小さく首を振った。レイは別に悪いことをしていないから。

「それで、瑠菜はこれからどうするんだ? まだ薬草を探すのか?」

「はい。母の病があまりよくないので……」

「そうか。――ならば私も手伝おう。薬草を見つけて、村まで送れば良いか?」

「そんな。そこまでしていただいたら悪いです」

「ならばひとつ尋ねるが――瑠菜、道はわかっているのか? 実は迷っていたのではないか?」

 何故それがわかったのだろう――図星だったので、瑠菜はこっくり頷いた。

「やはりな。それならなおのこと、共に行こう。何、気にするな。私もここから出なくてはならない。そのついでだ」

「……ありがとうございます、レイさん。お願いします」

 瞳を細めたレイに向かって、瑠菜は深々と頭を下げた。

「そうと決まったからには、もう休むと良い。日が上がったら早速行くからな」

「……はい」

 レイに促されて、瑠菜は再び横になる。

 瞳を閉じると、あっという間に瑠菜の意識は心地よい眠りに落ちていったのだった。



「――よく眠っているな。よほど疲れていたのだろう」

 焚火に枝を足しながら、レイ――レイヤは独りごちる。

「予定外だが、まあいい。――流石にこのまま放り出すわけにはな。一人で歩かせて、私の追っ手に出くわしても驚くだろう」

 どうやらこの土地のことしかわからないだろう少女が、異国の武者など見たら腰を抜かすに違いない。

 しかし、まさか天の使いだと思われるとはな――先程の瑠菜の様子を思い出して、レイヤは小さく笑う。初対面の少女が示した素朴な反応が、新鮮で面白い。

「今夜は一晩、火の番だな――」

 これ以上ひどく冷え込まなければ良いのだが。疲れた瑠菜が冷えてしまっては可哀想だ。

 明日は瑠菜の求める薬草を探して、出来れば森を抜けてしまいたいな――

 眠る瑠菜を見やったレイヤの瞳は、自然と優しいものになっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る