第2話

 目に映ったものに、レイヤは軽く驚いた。

 見間違いか。一瞬そうも考えたがどう見ても、少女だ。

 このようなところに――何故?

 レイヤは少女の側に歩み寄ると、かがみ込んだ。長い黒髪をそっと持ち上げ、顔色をうかがう。

 少女はお世辞にも良い顔色をしているとは言えなかった。青白く、疲労の色の濃い顔。やつれて暗い陰が落ち、うっすらと額には汗もかいていた。

「……大丈夫か?」

 呼びかけて、身体をそっと揺すってみる。しかし、完全に意識がないのか、少女が目覚める様子はなかった。

(……どうしようか)

 レイヤは迷った。この少女をどうするか。

 これから夜だ。夜は魔物や魔獣、森の獣たちの活動が活発になる。無防備な少女を一人、そのようなところに放り出したら危険でしかない。最悪命を落とすだろう。

 しかしレイヤ自身、追われている身だ。この少女を抱えていては行動が制限されてしまう。

 先程撒いた者達に再び発見されたときに、再度無事に済むという保証はどこにもない。

「――こうして見つけてしまった以上、放ってはおけないな……」

 迷ったのは一瞬、レイヤは少女の身体を抱き上げた。少女は見た目よりもずっと軽く感じた。おそらく栄養状態も良くないのだろう。

 近くに転がった籠に気付き、それも一緒に持って行くことにする。おそらく籠は、この少女の持ち物だろう。

「早く落ち着ける場所を探さなくてはな。水があって、出来れば食べるものがあればいいのだが……」

 最前よりも闇が深くなってきている。

 足元が確かなうちに落ち着く場所を決めなければ――レイヤの歩みは、自然と速くなっていた。



 ここがいいだろう――

 白い花の群生と、その側にある澄んだ水が湧き出す泉を見つけて、レイヤは内心胸をなで下ろした。

 この白い花は、飲むに適した水のところにしか咲かない花だ。世界を行く旅人としては、必須の知識である。水が尽きるということは、死に直結しかねないことだ。

 石塊や枝が無いのを確認してから、レイヤは少女をそっと地面に横たえた。

 少女は未だ、目を覚ます様子が無い。それどころか、最前よりも顔色が悪くなっているようにも思えた。

 レイヤは荷物の中から一枚の布を取り出すと、泉の水で濡らして少女の額に浮かぶ汗を拭いた。もう一度布を濡らし直してから、布を少女の額に乗せてやる。

 闇が落ちてくると、徐々に冷え込みを感じ始めた。

 この冷え込みは、体力をなくしている少女にはこたえるかも知れない――一瞬の躊躇を見せたが、レイヤは枯れ枝を集めると、火をつけた。

 火を焚いたので、少しは寒さもましになるだろう。夜に活動が活発になる魔獣や森の獣を避けるのにも、火は有効だ。

 ただ、人を招き寄せる危険性は増したのだが、そこは致し方ない。――今はこの少女が、心配だ。

 レイヤは少女の様子を見た。

 合わせた衿と帯という服装から察するに、この娘は今いる地方の少女だろう。

 青白い顔に、目の下に刻まれた深い隈。疲労は相当にたまっているとしか思えなかった。

「私は、回復の術は得手ではないのだがな……」

 そう口にしながらも、レイヤは少女に左手を向ける。

「この者に息吹を、癒しの光よ……」

 柔らかな光が少女を包み込む。すると、少女の頬にわずかながら赤みがさした。

 その様子を見て、軽い目眩を覚えながらもレイヤはほっとした。

 やはり苦手な分野の魔術は、やや負担が大きい。くらくらするのがおさまるのを待ってから、レイヤは少女の側に腰を下ろした。

 火の側にいるにも関わらず、冷えを感じる。――これは私以上に体力を失っているこの子には、もっとこたえるかも知れないな。

 何か少女の身体にかけてやるものを――荷物を探ろうとして、すぐに気付く。何も無い。街や村にたどり着けず野営になったときは、今まとっているフード付きのマントにくるまって休んでいるが故に。余分な持ち物を持つ余裕は、レイヤの旅には全く無いのだ。

「あまり私の顔は、見せたくなかったが……仕方ないな」

 レイヤはマントを外すと、力なく眠る少女にかけてやった。

 そうすることで自然、レイヤの姿があらわになる。

 色白な肌に、淡青色の瞳。腰にレイピアを携えた身体は細身で、一見すると優男に見える。今まさに少年期を脱しようとしているくらいの年頃だ。

 これだけなら、そこまで珍しくも無い。別に顔を隠す必要は無いのだが――そうする理由は、レイヤの髪の色にあった。 

 低い位置でひとつに束ねたレイヤの長い髪は、輝く銀色だったのだ。

 この世界で銀髪は非常に珍しい。レイヤの母親が同じく銀髪だったらしいとは聞いているが、それ以外に銀髪を持つ人をレイヤは知らない。もちろん、旅の中でも見たことは無い。

 希有な特徴を持つが故に、一度それを見た者は誰も忘れない。それでレイヤは常に顔を隠していたのだ。

 己のマントを提供してようやくほっとしたのか、少女の側でレイヤも休息を取り始めた。

 天を仰ぐと、闇の中に仄明かりを感じた。月が出ているのだろう。光の色からすると今夜の月は一つで、白い月が出ているのだと思われる。

 あの月は、私の国からも見えるのだろうか――月の作った薄明かりに目をやりながら、ふとレイヤは故国に思いを馳せた。

 全てのことを知ったとき、何も出来なかった己。未熟で、力が足りなかった故に、その脱出には大きな犠牲を伴った。

 確かにあのとき逃げなければ、自らの命も危うかった。だが、国がどうなっていくかわかりながらも、ただ逃げることしか出来なかった自分――

「――やめよう、今は」

 昔のことを振り返ると、やり切れない思いに苛まれる。

 だが、誓ったではないか。いつかそのときが来たら帰ると。

 その約束の日まで、生き延びて力をつけるのだと。

「……そうだな。私も何か少しは食べなければな」

 少しでも体力をつけて休息を取って、明日からの旅にまた備えなければならない。

 幸いに、近くの繁みに食べられる果実がなっている。携帯食料を残すためにも、今日は果実のお世話になるのが上策だろう。ついでに焚火に足す枝も取ってくればいい。

 静かに立ち上がり、繁みの方に向かいかけたレイヤの耳に、かすかな身じろぎの音が聞こえた。

 

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