8.没落令嬢、絆と共に立ち上がりますわ!

 ひとまず実家に戻った方がいいというグライザの言葉に従い、マレーナはショワちゃんに引っ張られるようにして荷馬車に放り込まれる。


「お客さん馬は?」


「自前がある! 金はあとでヴァルドネル家にもらってくれ!」


 荷馬車管理場の店主に「とりあえず前金だ!」とグライザが財布を投げつけ、その間にショワちゃんが馬車の前に立つ。


「いや自前って馬はどこに……」


「ヌゥン!」


 怪訝そうにする店主の前でショワちゃんが気を込め天へ両手を掲げる! すると雲もないというの周囲が薄暗くなり、直後凄まじい雷光が落ちてきた!


「な、なんだぁ!?」


 思わず目を閉じた店主が目を開けると、そこには先までいなかったはずの巨大な黒く雄々しい馬が存在していた! ひひんと嘶いたそれに素早く馬車を連結したショワちゃんが背に跨り「ハァッ!」と手綱で合図する!


「急いでくれ旦那!」


「ああ……」


 馬車に飛び乗ったグライザに言われ、手綱を握るショワちゃんの手に力が入る。みるみる内に馬車を引く馬が加速していき、店主はどんどん小さくなっていくその姿を呆然と見送るしかなかった。


 ***


「こいつは、なんというか……ぼろ屋敷だな」


 ヴァルドネル家の本邸、元は綺麗なものだったのだとは思えるが、もう何年もろくに手入れがされていない内部は蜘蛛の巣と埃が積もった部分が目立ち、清掃も普段使いする部分にしかされていないのだろうとわかる。


「申し訳ありません、来客があるとお伺いしていれば手入れをしておいたのですが」


「あ、いや、こっちも急に押し掛けたしな……」


 ぼやきが執事に聞かれてしまいすまなそうにするグライザに、ヴァルドネル家が没落してからも従え続けている老執事が湯気の立つティーカップを差し出した。


「お嬢様のあのご様子、何かあったのでしょうか……数日前、勇者様をお呼び出しになられて屋敷を飛び出したときの元気さが、まったくありませんでしたが」


「ああ……話すと長くなるんだが色々あってな」


 グライザは少し悩んだが、身内にならばあらましは伝えておくべきだろうと判断し、老執事に何があったのかを説明する。話を静かに聞いていた彼は「そのようなことが」と静かに、疲れが見える口調で吐いた。


「何者かの手引きがあったことは我々も察していました。しかしまさか、クマローク伯爵が暗躍していたなんて」


「貴族ってのはどうにもきな臭い連中が多い、あのお嬢さんを見てて忘れかけてたがな」


「マレーナお嬢様は、ご主人様と奥様に良く似られましたからな」


 ふっと疲れの中でも微笑む皺だらけの顔は、マレーナたちが幸せに暮らしていた頃を思い出しているようだった。


「しかし、貴方は行かなくてよろしかったので?」


「流石に親子水入らずに入るほどの仲じゃないさ、雇われてまだ数日だしな……旦那はそこに混ざってもいいんじゃないかと思ったが……」


 ちらりと、月夜の闇に立つ巨躯を見やる。ショワちゃんは屋敷の前に立ち、目を閉じたまま静かに佇んでいた。何かを待つように、じっと身じろぎもせずに、ただ立っていた。


「勇者様は、お嬢様をお救いしてくださるでしょうか」


「何を考えているかはわからないが、少なくとも旦那がお嬢さんを裏切ることはねぇよ」


 確信を持ってそう言うグライザだが、それでも内心で一つの不安がもたげる。


(それも、穣さんが旦那を裏切らなければだけどな)


 ***


 数日ぶりに見た父と母は、以前よりやつれているように思えた。


「……お父様、お母様」


 ベッドの脇の椅子に腰掛け、小さく声をかけるが、死んだように眠っている二人が答えることはない。老執事の話によれば、ここ数日は目を覚ましている時間もほとんどなく、どんどん衰弱していくばかりだと言う。


(もう、時間がないのかもしれない)


 マレーナは考えてしまう。もし脅迫をつっ返してショワちゃんにすべてを解決してもらい、堂々と優勝したとして、屋敷に帰ってきたときに出迎えてくれるのは老執事だけかもしれない。

 そのときに両親が死んでしまっていたら、間に合わなかったら……


「いっそのこと、すべて諦めてしまえば──」


 あの卑劣な伯爵に従い、何も考えず流され続ける人生になれば、ヴァルドネル家という名前だけは残すことができるかもしれない。

 年のずっと離れた子供のお飾りの婚約者にされ、いつかは使い捨てられてしまうとしても、それでも今よりはまだマシな環境になるかもしれない。


 けれども、その幸せを手にするためには、ポケットに入れた毒薬を使わなくてはならない。


 自らの手で、助けたいと思っていたはずの両親を殺めなければならない。どうしようもない矛盾であった。すべては両親を救うために計画し、動き出したというのに……勇者召喚という賭けにも打ち勝ち、その彼が目的を果たしてくれたかもしれないのに、その結末が真逆の結果を生み出そうとしている。


「人生とは、ままなりませんのね……」


 所詮マレーナは十六歳の娘、まだ貴族学校に通っていてもおかしくはない年齢で、むしろそこに通うことすらできなかったさらなる未熟者とすら言えるかもしれない。


 そんな世間知らずが勢いと偶然手にした力だけで家族を救おうなどと、おこがましいことだったのだろうか? あのとき、神が我に味方したと思えたのは、視野の狭くなった子供の錯覚だったのかもしれない。


「お父様、お母様……」


 うつむくマレーナの膝に涙が零れ落ちる。

 悔しかった。絶対の悪だとしか思えない相手に、勝負することすらできず負ける自分が情けなかった。

 こんな自分を信じて雇われてくれた、生まれて初めてできた部下に申し訳なかった。

 そして何より、


「ごめんなさい……ごめんなさい、ショワ様……」


 口から小さな謝罪が零れ出す。お前になら付き従っても良いと、こんな小娘よりもずっとずっと強い戦士でありながらも、そう言って自分のために戦ってくれた勇者を裏切ってしまうことが、心が引き裂かれそうなほどにマレーナは悲しかった。


「私は、どうすればいいの……」


 できることなら、今すぐにでも父と母に目覚めてほしかった。これからどうすればいいのか示してほしかった。だが両親は目を覚まさない。それが残酷な現実。


 そう信じ切ってしまっていた彼女に、


「……マレーナ、か?」


 か細い、だが今何よりも聞きたかった声が聞こえた。はっと顔を上げた先で、わずかに目を開いた父と母が、微かに顔を動かし、視線を向けて愛娘を見つめていた。


「おとう、さま」


「おお、帰ってきていたのか……すまないなぁ、こんな姿で」


 起き上がろうとしているのか、身じろぎしている父に「無理しないでくださいませ!」と慌てて手をかけるマレーナ。その手に、やつれた皮と骨になった手が重なる。


「マレーナ、よくお聞き……何か悪いことがあったんだね? 何も言わなくともそれくらいはわかる」


「私たちは貴女の親ですもの、聞かなくてもわかるわ……きっと困難にぶつかったのでしょう?」


 さらに母の手が優しく触れて、枯れ木のような両親の手から暖かい熱が感じられて、マレーナの心に少しずつ暖かさが戻るのを感じた。

 氷が溶けたかのように、少女の涙腺から涙が溢れ出す。


「私、お父様とお母様を助けたいんです……でも、間に合わないかもしれないと思って、敵から二人を殺せば助けてやるって言われて……それで、どうしたらいいかわからなくなって……」


「そうか、お前には苦労をかけてしまったな……だが、流石は私たちの娘だ」


「ええ、勇者を召喚したと聞いたとき、とても嬉しかったのよ? 貴女にも確かに私たちと同じ召喚魔法に適する才能があったということを知れて、そして……」


 ぎゅっと、マレーナの手を握る二人の力が強くなる。


「お前なら、きっと私たちを救ってくれるって、確信したもの」


「え……? でも、私、敵に言いくるめられて、その……」


 実の親を殺してでも生き延びようと考えたのに、その後ろめたさに視線を逸らすマレーナに、母はすべてを許すように微笑んだ。


「貴女はまだ若いのだから、少しくらい迷うこともあるでしょう。それでも私たちを救いたいと最後まで葛藤してくれた」


「それに、原因は私たちがこのような醜態を晒しているからだろう? ならば、耐えてみせるさ……お前がこの家を救ってくれるその日まで、お前を信じて生き続けてやる」


「どれだけ盛られた毒に身体を侵されてようとも、何が何でも生き延びてみせるわ……だって、私たちは貴女の親なのだから」


「我が子の努力を踏み躙らせはしないさ……だからお行きなさい、マレーナ、我が愛しい娘」


「どうか、貴女を信じる、私たちを信じて」


 涙で歪む視界の中でも、両親の気高く真っ直ぐな瞳は確かに見えた。マレーナはぐしぐしと目元を乱暴に拭って涙を拭き去ると、勢いよく立ち上がった。


「わかりました! 私マレーナ・ヴァルドネルは、必ずお家復興を成し遂げてみせます! そして……」


 泣きすぎて赤い目元をにっと曲げて、両親を安心させるために満面の笑みを浮かべた!


「お父様とお母様と、また一緒に楽しく暮らせるようにしてみせます! 勇者様と一緒に!」


 ***


 部屋を飛び出し階段を駆け下り屋敷から飛び出した先で、マレーナは思いもしなかった再会を果たした。


「貴女は、スズヒメさん? それに、その方々は……」


「先日ぶりです、マレーナ様、我らハシモト家一同、貴女様から受けたご恩を返すためにやってまいりました」


 ざっと屋敷の庭に居並んだのは総勢数十を超える剣士に魔法使い、武闘家たちの群れであった。これはいったいと戸惑うマレーナに、同じく彼女を待っていたグライザが「大したもんだぜ」と笑う。


「屋敷の前が騒がしいと思ったら、その剣士さんが家族だ仲間だ知り合いだを連れてぞろぞろやってきてよ、どうしたんだって聞いてみたら」


「声を、聞いたのです」


「声?」


「はい、頭に直接響いたそれは紛れもなく、ショワ殿の言葉でした。貴女の家族を守ってほしいと、そう頼まれたのです」


「ショワ様が!? どうやって……」


「詳しい理屈はわかりませぬ、ですが、あの方ならばそのようなことができても不思議ではないかと」


 そう言われてしまうと、納得するしかない。夜明け前の淡い光に照らされた筋骨隆々の勇者は、その程度簡単にやってみせてしまいそうだ。


 彼はマレーナが葛藤し悩み迷い続ける間も信じ続けてくれていたのだ。だからこそ同じ戦士であるスズヒメたちを呼び寄せた。後顧の憂いなく戦いの場へ戻るために──じっと自分を見据えるショワちゃんに、感極まったマレーナが駆け寄って抱きついた。


「申し訳ありませんショワさま、私は一度、貴方との盟約を裏切りかけてしまいました……!」


「……だが、お前は戻ってきた……戦うために」


「ええ、もう逃げませんわ……ですから」


 その続きを言おうとしたマレーナの頭に分厚くごつい手が乗せられ、艶やかな金髪が不器用に撫でられた。その言葉の続きは言わずともわかっている。そんな思いが感じられて、少女は素直に口を閉じた。


「そんなお前だからこそ、俺は願いを叶えてやろうと思ったのだ……誇れ、お前も我が友(強者)だ」


 見上げた先にあった、いつも険しい表情をしていた厳つい顔は、頬尻をあげた不器用な笑みを作って見せていた。



《第九話「最後の戦い、希望の明日へレッツマッスルですわ!!」につづく》

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