5.美女剣士の涙、マッチョの力で消し飛ばしてさしあげてよ!

 ツンとスズヒメの鼻を刺したのは、重度の喫煙者特有の煙たい刺激臭だった。


「んでぇ、あの筋肉ダルマには勝てそうなわけ?」


 煌びやかな装飾品が並んだ部屋で彼女が対面しているのは、まだ若く見える貴族だった。髪を悪趣味で派手な色に染め、首にも手首にもジャラジャラと金のアクセサリーをぶら下げており、少なくともスズヒメが無条件で信用を置くような類の相手ではないことは第三者からでもすぐわかるだろう。


 そんな男は机にあった灰皿に置いていた葉巻を口に咥え、煙を吸い込むとスズヒメに吹き付ける。柳眉が不快感に歪むのをむしろ嬉しそうにしていた。


「……その件について、お願いしたいことがあります」


「お願い、ねぇ……」


 ふーん、と考え込むようにした貴族が直後、ばんと音を出して机を蹴り飛ばした。倒れた机や灰皿や置物がスズヒメのすぐ側を転がるが、彼女は眉ひとつ動かさない。


「あのさぁ、ちょっと剣と魔法が上手いだけの庶民がちょーし乗ってる? 高貴な家の生まれである僕様ちゃんに対してさぁ、お願いなんてできる立場じゃないよねぇ? 舐めてんの?」


 気怠げに椅子から立った若貴族がスズヒメの眼前に葉巻の火を揺らす。気まぐれにでも眼球へ火を突っ込んでやろうかと言うそれに、それでもスズヒメは動じない。


「ちっ、つまんねー女、で何よ、僕ちゃんこれでも忙しいんだから早く要件言ってよね、そんなこともわかんないのかな庶民の脳筋剣士は」


「……私の家族と道場の皆についてなのですが」


「ああ、ちゃーんと大事にしてるよ? 窓もないし扉も頑丈だから外から襲われる心配もなし! 食事もちゃんと一日一回あげてる! しかも仲良くできるようにあえて手狭な部屋でずっと一緒! 庶民に施す慈悲にしたってこれほど上質なもんはっ」


「私が次の試合で勝ったら、皆を解放してほしいのです──」


「あ?」


 直後だった。スズヒメの右目の目尻すぐ近くに葉巻が押しつけられ、じゅうっと肉が焼ける微かな音がして、流石の彼女も顔を歪めて後ずさる。


 その白い雪のような肌に小さな、しかし酷く痛むであろう火傷をつけた男は、その反応を見てニヤニヤ笑う。


「おめー貴族様との契約を反故にするつもり? お前が家族と会えるのは優勝したときだって言ったろ? それに解放しろってなんだよぉ、言い方悪いよなぁ? 俺はただお前の家族が大会の最中襲われたりしないように守ってやってるだけだぜぇ?」


 けらけら笑う男を睨みつけ、スズヒメは爪が食い込むほどに拳を握り締める。顔にできた火傷のひりつく痛みよりも、一瞬でもこの貴族の情に期待してしまった自分の甘さが苦しかった。


「あー、でもそうだなぁ、あの筋肉ダルマのせいで賭けがご破産になりそうだって他の連中もうっせぇし……それを解決して恩を売れるならまぁ……」


 ちらりとスズヒメを見やった若貴族の目が嗜虐的に細まる。


「いいぜ、お前があの不細工な筋肉ダルマとみすぼらしい没落女を始末できるなら、さっきの話を飲んでやるよ……ただし、負けたり裏切ったりしたら、わかってるよな?」


「……はい」


 ***


「それでは皆様お待ちかね! 本日もっとも注目を集めるであろう試合を始めたいと思います! 両選手に盛大な拍手を!!」


 わぁぁと歓声があがる闘技場、その中央で対峙するのは先日と変わらず圧倒的な筋肉から静かな闘争心を放つマッチョマンことショワちゃんと、高く括った青いポニーテールを揺らす麗人の剣士スズヒメ。


 前者はもはや説明不要の強さを持ち、後者もまた第一回戦で観客を沸かせる強さを見せた実力者だ。期待は高まり会場のボルテージはいやでも上がっていく。


「西はオーシメト子爵家に雇われる魔法剣士、古くから伝わる一族直伝の技は、あの圧倒的な速さをねじ伏せたマッチョマンに通用するのでしょうか!?」


 実況が話す間、ショワちゃんもスズヒメも無言だった。ショワちゃんの背後にあるセコンド席に目がいき、そこが空席であることに彼女は少し疑問を感じた。


(マレーナ嬢がいない……?)


 武術闘技大会におけるセコンド席というのは試合見届け人のために存在する。互いの選手が正々堂々と試合を行ったことを雇い主本人が確認するという習わしだ。


 しかし、それも今では慣例的なものとなっており、実況役や撮影魔法の存在のおかげで試合中の不正はすぐに発覚する。なのでルール上はセコンド席が空席でもなんら問題はない。


 その証拠に、実況も「ヴァルドネル家のマレーナ様はお姿が見えませんが、特に問題ありません!」と試合続行を認めている。


(何かあったか……いや)


 少しでも対戦相手に不備があるならば、それに越したことはない。僅かな有利にでも縋りたかった。

 スズヒメは負けられないのだ。卑劣な貴族に攫われ人質にされてしまった大切な家族や親族を救うため、目の前に立つ強敵に打ち勝たなければならない。


「そのためならば……我が命燃え尽きようとも」


「……」


「それではいってみましょう! 試合開始のゴングです!」


 カーンと闘技場に金属音が響き渡り、まず先に動いたのはスズヒメだった。


 鞘から抜いた刀をくるりと振り、それに合わせて彼女の周囲に白い光が無数に生まれていく。瞬く間にそれはびきりばきりと氷結音をあげて肥大化し、人の背丈ほどある巨大で鋭い氷柱と化した!

 氷結魔法を用いた戦闘術は彼女の一族が誇る最強の攻撃魔法! 第一回戦では見せなかったそれに観客席からおおっと声が上がる!


「加減はできん、許せよ!」


 指揮棒のように振り下ろされた刀の動きに合わせて、無数の殺人氷柱がショワちゃん目掛けて殺到する!

 その数は初撃だけで十六本! しかもスズヒメが刀を再度振るたびに新たな光が生まれ氷柱と化して次々に射出されていく!


「……ヌゥン!」


 その第一群がショワちゃんに迫り、気合の声と共に粉砕された! 右腕と左腕が残像を残す速度で振るわれ、氷ではなく岩が粉砕されたような轟音が連続して鳴り響き、会場は工事現場の中にいるような騒音に包まれる!


(流石にやるっ……!)


 己の攻撃魔法が難なく防がれても、スズヒメはまだ冷静だ。この程度はしてくるだろうと読んでいたし、少なくとも接近させないように足止めすることには成功していた。


(彼は武闘家だ。つまり拳と蹴りの間合いに入らない限り、こちらへ致命打は繰り出せない!)


 つまり、相手の射程外から一方的に攻撃魔法を放ち続ければ勝てる──冷静に思考しつつ、スズヒメは刀の振り方を変化させる。長い得物がそれこそコンサートの指揮者がするように軽々と優雅に舞い振るわれ、氷柱の挙動を変化させる!


「こ、これはすごいぞスズヒメ選手! 真っ直ぐしか飛ばせないと思いきやだぁ〜!!」


 実況と観客が湧いた! 直線にしか動いていなかった氷柱が複雑な軌道を描き、ショワちゃんの前後左右さらに頭上からと、規則性もない包囲攻撃を始めたのだ!

 だが、ショワちゃんもそれだけで倒される漢ではなかった! 両腕だけだった舞いの動きに、足刀も追加されて迎撃の速度を上げていく!


「ヌォォォォッ!!」


「こちらもすごいぞ!? マッチョマンが踊っています! これぞ氷と筋肉のコラボレーション! 武道会が舞踏会に早変わりだぁ〜!!」


このままでは魔力が尽きる!


「ぐっ、だが負けん!」


 スズヒメが吠え、ショワちゃんに砕かれた氷が素早くその頭上に集結する。次の瞬間それはリングの三分の二は覆うほどに匹敵する超巨大な氷塊と化した! これまで放ち砕かれた巨大氷柱の総重量が、いまだに追撃で襲いかかる氷柱の迎撃で動けないショワちゃんに急速落下する!


「潰れろぉぉぉぉぉぉッ!!」


「カァッッッー!!!!」


 魔力の過剰酷使で瞳を充血させたスズヒメが刀を力一杯振り下ろし絶叫した! 呼応するように咆哮したショワちゃんが仁王立ちに掲げた腕でそれを受け止める!


「と、止めたぁ〜!? なんて馬鹿力だマッチョマン!?」


 人間など簡単にすり潰せるような大質量を受け、ばきりばきりとショワちゃんの足がリングにめり込む! それだけの重量を支えてなお、彼の硬質筋肉は折れない! 曲がらない! スズヒメが額に血管を浮かばせるほどの魔力を込めても、まったく潰れる気配がない!


 筋肉と魔法の力比べ、がっちりと氷塊を掴み止めるショワちゃんと全力を込めて魔力を注ぐスズヒメ。二人の頭上にはいつの間にかオーロラが発生し、会場は観客の熱気を抑えるような寒気に包まれる!


 それだけの現象を生み出す魔法を受けてもなお、ショワちゃんの筋肉は小揺るぎもしなかった!


「ぐっ、くそっ、化け物がぁーッ!」


 普段冷静な様子からは想像できない表情で声を荒げ、鼻から血を吹き出すスズヒメ! 魔術の酷使に体が悲鳴をあげ限界を迎えているのは明白! 実況が思わず彼女側のセコンドに目をやるが、若貴族はニヤニヤと笑うだけで試合を止めようともしない!


「うおああああああ!!!!」


 もはや彼女に一切の余力はない! それでも勝利のために僅かな可能性に賭けて行動する! 氷塊のコントロールを投げ捨てると刀を携え隙だらけのショワちゃん目掛け突進した! 


(あれだけの重量と質量、砕くにしても放るにしてもその隙は致命的っ!!)


 どれだけ鍛えていようが所詮は生身の肉体、第一回戦でダガーを避けていたことから、決して斬撃自体が通らないわけではない。スズヒメはそこに勝機を賭けた!


 もはや感覚もない身体に鞭打ち、腰だめに構えた突きを放つ! 必ずここで致命傷を与えるという覚悟を持った突撃は──


「……効かぬ」


 軽く差し出した左手だけで止められていた! ほとんど力も込められていない、本当に手のひらで刃先を止めただけ、何が起きたのかスズヒメは戸惑い思考が停止する。


(えっ、あ?)


 全力で貫くつもりだった刺突は、もはやショワちゃんでなくても止められるほどの力しか入っていなかったのだ。

 限界を超えた魔法の氷塊による圧殺が叶わなかった時点で、彼女の勝機は潰えていた。


「あっ……」


 それを自覚し敗北を悟った直後、スズヒメの意識が一気に薄れていく。それで完全に効果が切れて、魔法で顕現していた氷塊にばしりと亀裂が入り、氷霧となって周囲を包み込む。


(届かな、かった……)


 命を賭けても守りたかった家族を救えず、戦士としても負けた。彼女の意識が失意に消え、暗転する最中、その倒れる体を分厚く力強い者が支えた。


「ショワ……殿……」


「貴様もまた、強敵(トモ)だった」


「そう、か……嗚呼、それだけが……」


 絶対とも言えるほどの強者に認められる。それだけが敗北した戦士に対する唯一の救いか。意識を失う直前、スズヒメの目尻から一筋の涙が溢れ、火傷痕を濡らした。


「……だからこそ、俺は友のために動こう」


 完全に気絶したスズヒメを抱きかかえ立ち上がったショワちゃんの視線の先、いつの間にか観客席に姿を現していたマレーナが両手を振ってハンドサインを送ってきていた。

 その意味を確認し大きく頷いたショワちゃんはスズヒメの体を医務官に預けると、勝者を呼ぶコールを無視して会場から立ち去ったのだった。


《第六話「闘技大会の闇! ついに私が本気を出しますわ!」につづく》

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