間章:昔話「魔法学校」 2/6

 本当の本当の最初の出会いは、雨の日だったか。


 十二歳の秋頃、私はひたひたと降る雨の中、水溜りの水を跳ねさせながら走っていた。

 コートを着て、袋に入った食べ物が濡れないように体で庇う。冷たい雨が体を打ち付けるけれど、食べ物が雨に濡れてしまってはまずいから。


 私はお母さんに頼まれて、食材を買いに行っていた。

 小麦に大麦、それとリンゴにジャガイモ。


 最初はちょっと曇りのなんでもない天気だったけど、私がのほほんと買い物をしていたものだから、すっかり雨が降り始めてしまった。

 それで、そのときは――


(……早く、帰って勉強しなきゃ)


 なぁんてことを思っていたような気がする。

 当時は魔法学校に入ろうとしていて、その勉強が楽しくてしょうがなかった。

 両親からは一人の師匠を紹介されて、その人に魔法を師事してもらっていたけれど、それでも満足できずに魔法学校に入学したいと親にごねた記憶がある。


 よく考えれば相当難しいことなのだが、それでも両親は背中を押したいからと了承してくれた記憶がある。


 私はその頃から――いや、正確には『その頃は』魔法が大好きだった。


 今も好きだけど、今は見方が変わった。

 あの頃は憧れ、羨望だ。

 でもそうやって現実が見えていないうちは、すぐに希望が打ち砕かれるし、羨望が転じて、嫌いになってしまったりもする。


 今は少し変わった。


 じゃあ、どこに魅力を感じているんだろう?

 ……それでも多分、前よりももっと純粋な気持ちだ。


「あっ、猫」


 そんな時、私の視界の端に、黒い猫が映った。

 今はもう閉まっている露天の隅で、雨宿りをしていた。


 野良の猫は珍しいし、誰か、もしくは何かの組織に飼われるでもなく街の中に居ると虐められたりもしてしまうこともある。


 ちょっと心配になりつつも、構っている暇はなかったし、その日は素通りした。

 ただ、なぜか濡れていなくて、堂々と座っていたその姿は妙に目に焼き付いていた。


 ――でも、この後に会うのはずっと先のことになった。


 ◇


 入学金に関しては、両親がどうにかすると言ってくれた。

 当時は嬉しかった程度だけど、今考えるといきなり言い出したことなのに、よく用意してくれたなぁと思う。平民で学校――特に魔法学校なら、案外居るものだけど、それでも厳しいことには変わり無い。


 ――と二人に伝えたところ、私のためなんだから別に後悔なんてしてないと返答が帰ってきた。

 なんというか……両親には本当に恵まれたものだ。


 さて、そんなこんなで、私はめっちゃ勉強した。


「おー、いいねいいね。そんな感じ」


 短く切った青い髪に、優しげな緑の瞳が特徴の魔法使い。

 性別は男――なんだけど、周囲のご婦人方からは中性的で魅力があるとの評価をもらっていた気がする。そういえば、この人何歳なんだろう……見た目だけなら二十代半ばくらいに見えるけど。

 名前はハルシャ、この居住区一番の魔法使い――ではないけど、一番愛想の良い魔法使いではある。


 そのときはローブも杖も持たず、ラフな格好だった。


 彼とは家も近く、その人柄も相まって色々と教えてもらっていた。

 もちろん、親がお金は払っていたそうだが、それでも割安だったとのことだ。


 やっぱり私は恵まれてるなぁ、と思う。


「ありがとうございます!」


 まずは実践。

 とりあえず、簡単な光や炎の魔法をやって、次に風、水といった感じで学んでいった。


 それから、本だけでは分からない理論的なことも色々と教えてもらった。


「……そういえばイリアちゃん。本当に魔法学校に入るのかい?」

「はい、本気です。やっぱり、私は学校に行って学んでみたい!」


 どこか拙い敬語で私は伝えた。

 両親から多少は教わっていたけど、まだ完璧とは言い難い敬語だったかな?


「やっぱりそうかい? うーん、じゃあ僕が推薦してあげてもいいかもね。イリアちゃんは才能あるしね!」


 ハルシャさんは笑った

 そう、彼は私が入学する予定だった、この街にあるダリス魔法学校の卒業生なのだ。


 今考えれば、彼も平民であそこに入学したということなのだろうか?

 もしまだこの街に居るなら、聞いてみてもいいかもしれない。


「そうですか? ありがとうございます!」


 あれは多分、お世辞半分、本音半分といった感じだっただろう。


「でもそうなると、他にも勉強は必要そうだね。ご両親も色々やってくれてると思うけど、僕からも教えてあげよう!」


 彼は胸をドン、と叩いて笑った。


 それからは、言葉通り結構特訓もしてくれたし、勉強も言葉遣いなども含めて色々と増えていった。

 さらに推薦の甲斐もあって、二年後には私は無事に入学することになった。

 とは言っても、推薦で全ての試験をすっとばせるわけでもなく、他の生徒の半分のくらいの試験は普通にやったんだけどね。


 でも、案外簡単に合格、入学。

 トントン拍子で進んだものだ。


 新しい環境、知らない場所で最初は不安だったが、教師も悪い人はそう多くはなく、すぐに生活自体には馴染めた。

 言われた課題だって全部こなせたし、いきなり論文を書いてみろ、なんて無茶にもちゃんと対応できた。

 これは全生徒に課せられたらしいんだけど、別に成功する必要はなかったらしい。経験、ということだ。

 勉強についても、予習のおかげもあってか余裕でついて行くことが出来た。


 ……だけど、人生ってそんな簡単にうまくいかないんだよねぇ。


 私が呟くと、両親二人からは十九歳とは思えない含蓄のある言葉だね、と茶化すような言葉が飛んでくる。

 いや、あんた達の子供だから!


 ちょ、ちょっと話がそれたけど、続き。


 それで、うまく行かなかった代表。

 人間関係だ。


 結局、学校というのは貴族が多い。

 代官の方が力が強い以上、もともと貴族に逆らえないほどではないし、実力主義とは銘打っている――が、依然として貴族の力は強く、財産も豊富だ。


 父の経営手腕もあって、うちは確かにある程度裕福だった。

 だけど、それは結局『校内において少数派である平民だ』という事実を覆せるものでもなく――


「おい平民! これ持ってけよ!」


 彼はどこかの貴族の次男らしく、家庭教師ではなく学校に送られ勉強をさせられているらしい。

 取り巻き数人と一緒に私に荷物を押し付けてきた。


「……知らないよ。自分で持ってきなよ」


 嘆息して押し付けられた荷物を押し返す。

 別に私が持ってやる義理なんてないことは分かっていた。


「は?」

「文句があるなら行動で示せばいいじゃん」


 こっちには何人も居るんだぞ、と言いたげな顔で彼は睨むが、私は怯まず返す。

 そもそも学校の中で暴力沙汰なんて、いくら向こう側の教師がいるとしても許されることではない。


 もし攻撃されたとしても、ちょっとやり返してそのまま逃げることができるくらいの自身はあった。


「……んだよ、面倒な女だな」


 彼は私の返答に苦い顔をしてそう吐き捨てた。


 疎外感。


 それが一番大きかった。

 自分だけが、他人と相容れない異物であるという感覚。

 おまけに、そこをどうにかするだけの気力もなかったから、友達なんてものは当然できなかった。


 この頃にもなると、両親から与えられたものの重大さに気がついて、ありもしない期待を感じてプレッシャーに押し潰されそうだったのだ。

 勉強一辺倒いっぺんとうで、友達を作るなんて気概きがいは起きなかった。


 彼らの対応に私の気分は悪くなるばかりだったが、幸い私は言い返すことも多く、エスカレートすることはなかった。

 実際、私は成績も優秀だったし、実力じゃ敵わないと分かっていたのだろう。


 さらに、勉強も家の手伝いもやっていたから大変だった上にそれだから、正直かなり大変だった。


 家の仕事も完全にすっぽかすわけにも行かないし、全く手伝わないのは申し訳なかった。

 だから帰ってからはなるべく手伝っていたのだ。


 ――まあそんな状況でも、学校での勉強自体はそう悪いものでもなかった。


「質問ってなんだい?」


 授業が終わった後でも、私は先生に質問をしていたりした。


「はい、それなんですが……身体発動にも術式ってあるんですか? 魔法陣と違って術式を作ってる感じはしないんですが……」

「ああ、そういうことか。確かに術式はあるよ。私たちの頭の中で作られているんだ――」


 しかし、今思い返してみると、そういう時先生は結構嬉しそうだった。

 ハルシャさんも言っていたが、教える側としては、生徒が質問をしてくれるというのは嬉しいことだそうだ。


 それに、自分で言うのもなんだけど……真面目な方だったし、課題が出されたりしても、忘れた時以外は漏れもなかった。

 だから、教師陣からはあまり悪い顔はされなかった。


 まあ、あまり、というように悪く思う人間も居たのだが。


 どうも、段々と私の中の『魔法使い』というものに対するイメージが崩れていった気がする。

 御伽噺おとぎばなしの中の、キラキラした、笑って人助けをするような魔法使い。


 所詮、そういうのはただの幻想だった。


 ――まあ、今考えてみれば私がそれになっているわけだけれど。


 でも、当時が本当に辛かったのは事実だ。

 心は学校のことで荒み、体は家と学校の往復で疲れ果てた。


 最初の二年はなんとかなった。

 だけど、三年目に入ってからが本当に危なかった。


 その時は随分両親からも心配されたものだ。

 正直、あの時は色んな意味でギリギリだったと思う。

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