閑話:釣り師の……猫? 1/2

 町から少し離れた岸辺に、一匹の猫……にしては大きな体躯を持った人物が座っていた。

 そのそう高くない崖の下には、湖が広がっているようだ。


 彼は麻布でできた茶色で丈の短いパンツに、上には革製のジャケットを着込んでいた。

 淡い水色をしているそれは、水棲の魔物から得られた革で、防水性があり、水での攻撃に多少耐性のついた素材だろう。

 いくつかポケットのついたそれには、手作りなのか、雑さの伺える釣りの仕掛けらしきものが入っているのがちらりと見える。


 頭には、丸くつばのついた帽子を被っており、日差しからその猫毛を守っていた。


 そして、特筆すべきは、彼の手にある釣り竿だ。肉球のついた手で、器用にそれを持っていた。

 浮きは湖の表面に浮かんでおり、そこには薄く魚影も見える。


 しばらくの静寂の後、浮きが動き始めた。


 トントンと浮きが叩かれ、数秒経つと――


「ふんにゃっ!」


 掛け声とともに、彼は竿を引き上げた。

 しばらくそうやって引き上げていると、そこそこのサイズの魚が一匹、そこに食いついていた。

 腹の辺りに黄色の線が入り、頭にはトサカのような黄色いヒレがついた魚。

 尾には二つに分かれた、同じく淡い黄色のヒレがついている。


「……まあまあだにゃ」


 呟くと、彼はその針から、暴れまわる魚を引き抜くと、近くの木のバケツに魚を放り込んだ。

 近くに置いてあった虫の入った小さな木箱に手を突っ込み、それを釣り竿にくっつけた。

 どうやらもう一度釣りを始めたようだ――


 ◇


「うーん、ちょっと暑いねぇ」


 ミンミンと蝉が元気よく鳴いている頃、私は暑い日差しを手で遮りながら呟いた。

 私が歩いているのは平原なのだが、箒に乗るのに疲れたから、一旦降りている。


「この辺りは、地域の気候的にも暑いようだな」

「だねぇ。どっちかというと寒い方が好みなんだけど」


 と言っても、別に寒いのが好きなわけじゃないけど。

 やっぱり適温が一番だよね。


「ん、なんか音するね」


 すると、私の耳に、水面に何かが落ちるような、ポチャンという音が聞こえた。

 木々に遮られて少し見えにくいが、どうやら向こうには湖があるらしい。


 誰かいるのか、それともただの魔物か。

 まあともかく――


「気になるし行ってみよ」

「即決だな」


 呆れるでもなく、フィルはそう言った。


 ◇


 少し歩くと、湖が見えてきた。

 そこそこ大きなその湖には、よく見るといくつか魚影があった。


 湖を挟んだ向こうは鬱蒼とした森が広がっており、向こうの方は湖畔になっていた。


「おー、やっぱり湖」


 私は呟きながら、音の主を探した。

 すると――


 向こうの方に、崖に座っている猫――にしては大きな体の人物が座っていた。

 多分猫人族かな?


 どうやら、人間側ではなく猫人族側の血がとても濃い人物のようだ。


 しかし、私の声に反応する様子もなく、ただそこに座っていた。

 よく見ると、手には釣り竿を持っており、それに集中しているからこちらを一瞥もしないのかもしれない。


 傍らには、剣と盾も置かれていた。護身用ということだろうか?


「どうする?」


 私は声を抑えてフィルに訊いた。


「ふむ、好きにすればいいのではないか?」

「……じゃあ、ちょっと近づいてみちゃおう」


 やっぱり少し気になるので、そういうことで!


 静かに崖の方に寄ってみると、釣り糸は垂らされ、下の湖に浮かんでいた。

 声を掛けるのはよくないと思って、私はその岸辺に座る。


 ……しばらく経っても、動く様子はない。

 まあ、でも釣りって辛抱して辛抱して、ようやく釣れるものだし、そんなものなのかな?


 彼――なのかは分からないけど、ともかくその猫人族の人はじっと浮きを見つめている。

 魚影はいくつか見え、その一つが浮きに食いついているようにも見える。


「……そろそろ?」


 私がぼそっと言うのとほぼ同時、釣り竿は引き上げられた。


 水面から何かが持ち上げられ、水しぶきが上がる。

 勢いよく引き上げられたそれは、私の方に――向かうことはなく、猫人族の人の脇、誰もいない場所に引き上げられた。


 釣った魚は、中型の魚のようだった。

 体は黒っぽい緑色をしており、体の上部は黒色が強く、下に行くにつれてグラーデーションで薄くなっていくような体をしている。

 体躯と同じ色のヒレが上部に一つ、下部に二つ、尾びれが一つあり、普通の魚と言った見た目をしている。


 ……うん、流石に種類までは分からない。


「お前、どうかしたのかにゃ?」

「……『にゃ』?」


 思わず聞き返してしまった。少しして失礼だったかな? と考えるが、もう言ってしまったものはしょうがない。

 別に、猫人族は語尾ににゃをつけるとか、そういうことはないはずなのだが……


「これは師匠から言われて、癖になっていることだにゃ。気にするにゃ」


 すると、プイッと釣り竿の方へ向き直ってしまった。


「あっ、ごめんなさい……」

「別にいいにゃ」

「ところで、あなたはここで釣りをしているんですか?」

「見ての通りそうだにゃ」


 問答をしている間にも、次の釣りの準備をしているようだった。


「へぇ〜、そうなんですね。どうして釣りを?」

「釣りが好きだからだにゃ。それに、食料の確保もできるし、さかにゃによっては売れるから、一石二鳥ってやつだにゃ」


 私と会話をしている間に準備は終わったらしく、釣り竿を湖へポイと投げ入れた。


「……別に今話しかけても問題にゃい」


 私が質問するか迷っていると、その猫人族の人はそう言ってくれた。


「あ、そうなんですね。ありがとうございます」


 ちらり、とフィルの方を見ると、話すタイミングを伺っているらしい。

 浮きの方を見たり、猫人族の人の方を見たりしている。


「名前は訊いてもいいですか?」」

「レニだにゃ」

「なるほど。レニさん、ありがとうございます」

「にゃ」


 ……それは返事なのだろうか。

 私は戸惑いつつも、そのまま見てみることにした。


 なんだか面白そうな人だし、フィルと話したらどうなるのかも少し気になってきたからね!


 と、今度は少しすると魚が食いつこうとしているらしい。浮きがトントンと突つかれていた。


「……早いにゃ」


 すると、レニさんは少し怪訝そうな表情をした。

 何か問題があったのだろうか?


 しばらくすると――浮きは、一気に沈んだ。

 同時に、レニさんは立ち上がって、釣り竿を一気に持ち上げた。


「あっ! もしかして大きな獲物が……⁉」


 私の声には反応するでもなく、レニさんはただ釣り竿を引き上げている。

 釣り糸は右に行ったり、左に行ったり、忙しなく動いている。


 しばらくすると、水面の方から飛沫が上がってきた。

 もうすぐ釣り上げられるということだろうか。


「頑張ってください!」


 一瞬、身体強化の魔法を掛けようかとも思ったけれど、いきなりやると良くない場合があるし、やめておいた。


「にゃ!」


 そう言って返事をすると――大きな魚が水面から顔を出した。

 その魚は暴れまわり、崖にその体を若干打ち付けながら引き上げられ、彼の隣の方へと降ろされた。

 バタバタと暴れまわり、湖の方へと戻ろうとしているが、レニさんの釣り竿操作によってそれは叶わなかった。

 さらに奥の方へとそれは追いやられた。


「よし、大きいヤツが釣れたにゃ」


 満足そうにレニさんはそう言った。


「おおー、大きいですね」

「だな。随分巨大な獲物だ」


 すると、フィルも会話に入り込んできた。


「……にゃ、なんだそいつは」


 想像通りと言うべきか、レニさんは怪訝そうな顔でフィルを見た。


「喋るただの猫だ。フィルと言う、よろしく頼む」

「……そうか。よろしくにゃ」


 あまり突っ込む様子もなく、納得したらしい。

 あれぇ?


「その大きな魚はどうするんだ?」

「捌いて食べるにゃ。鱗は、上手く処理すれば売れるからそうするにゃ」

「ほう、確かに美味そうだな」

「……分かるかにゃ」


 キラリ、とその猫目を光らせる。


「ああ」


 ……なんか意気投合してない? 猫同士だから?


 そんな私の疑問をよそに、レニさんはその魚の方へと歩いていった。


「運ぶんですか?」

「ああ、ここだと――」


 と、レニさんがそれを言い切る前に、前方の茂みから、奇妙な音が鳴った。

 ……そういえば、さっきの釣りの時は結構派手な音が鳴っていた。


 加えて、ここは街外れの森だ。


 何が出るか、と言われれば――


「魔物だにゃ」

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