■35 運命と決意
「考えます」
「急げよ」
逃げる二人を、そして街を見下ろして、シュトゥが笑う。その顔に、ヒビが入った。脚も腕も、先端から徐々に白い砂になっていく。
「あは……あははははあアッ!!!! すごい、すごい! 全部おもちゃみたい! 行って、狼さん! ぜんぶぜんぶぜんぶ壊しちゃおう!!」
貪食の獣が、一歩踏み出す。石畳が砂となり、周囲の建物がさらに崩れていく。その一歩から逃げるために、ノーマとフォルカは全力で駆けなければならないほどの巨大さだ。
「終末装置……【神話】の色が強くなっています。もう、その剣では通用しないかもしれません」
「シュトゥは消えそうだし、明らかに不安定だ。このまま消滅するって可能性は?」
「この街の人間を全員喰らって、強度を高めてしまえば、もう止まらないでしょう」
「今が最後のチャンス、ってことか」
「はい。……終わりの概念を剥がすしかありません。ノーマさん」
フォルカが腰のポーチからダイスを掴み、胸元に握る。ノーマを呼ぶ声は、震えているが、力があった。
「私を抱えて逃げてくれませんか。思考に集中したいんです」
「無茶言いやがる」
剣を腰の鞘に収めて、ノーマがフォルカを抱き上げる。肩に担いで、腰を掴む姿勢だ。
「あの、こういう時は横向きに抱き上げてくれるものでは?」
「
「いたっ!? お尻を叩かないでください!」
できるか、とは聞かない。できないかも、とも言わない。ノーマが走り出す。
互いの緊張を笑い飛ばすためのやりとりを終えれば、それが最後の会話だ。フォルカは瞼すら閉じて体重も命運もノーマに委ね、思考に没入する。
自らに問う。知るために。
(終わりとは、何か?)
世界の終末を描いた『終末抄』は、複数発見されている。世界の終わり方はひとつではない。大洪水、炎の雨、死の病……全てを喰らう貪食の獣。だが最終的には、全ての命が消える。世界は動かなくなる。それが終わりだ。
ヒトが描くから、だろうか。世界の終わりは、世界に住む生命の死滅と結び付けられている。
(ならば、終わりの対極とは)
終わりと、始まり。
死と、生命。
生命の始まり――
(ああ)
運命とは、フォルカにとっては縁遠い言葉だ。それでも、自分の歩んできた足跡がこの瞬間につながっていることに、わずかな感慨を得る。
思考の中には、一つの答えがある。それを投射するのは、明らかに不可能だった。今のフォルカには、否、フォルカがこれから百年を研鑽に費やしたとしても届くまい。
だが、関係なかった。
(司書の務めを果たせず、人も本も守れないことに比べたら)
踏み出せば戻れない、思考の淵に立って、フォルカは自分でも驚くほどあっさりと決断した。
(【神話】を投射することくらい、なんでもない)
「はじまりに、混沌あり!」
フォルカが抱えられたまま叫ぶ。
ノーマは思わず耳をびくりと振るわせた。それだけの力がこもった声だった。声量はむしろ小さい……担がれた姿勢では当然だ。だが、舞台の上から観客席の一番後ろまで聞こえる類の声だった。
声をかき消すように、貪食の獣の足が降る。ただ歩くだけで、巨石が落ちるようなものだ。石畳にヒビが入り、割れるより早く砂となって消えていく。ノーマの身体にも、油断すると脱力して動けなくなりそうな冷たさが忍び寄っていた。
「曰く、混沌をかき回し、地が生まれた」
だが声は消えない。ノーマが走る動きに合わせて揺れはしても、途切れはしない。
詠唱が、夜の街に響く。
胸に抱き締めた七つのダイスが、徐々に輝き始める。
「曰く、泥を捏ねあげて、人が生まれた」
世界各地に、同様の神話が残っている。
原初の人は、泥から作られたのだ。
ならば泥とは、生命の源を含む混沌だ。
ダイスの輝きに、何かを感じたか。貪食の獣が、歩むのではなく、明確にノーマとフォルカを狙って前足を振るう。
「捕まるかよ、デカブツ……!」
ノーマの叫びは、負け惜しみに近い。貪食の獣の動きは迅速ではないが、大きさのスケールが違いすぎた。
前足の爪が石畳を深く切り裂く。身を投げ出してかわす。風圧と衝撃だけで身体が吹き飛ばされた。
「がっ……!」
肩に担いでいたフォルカを、かろうじて腕の中に抱き収める。すでにかなり広い範囲が砂と化した大通りを吹き飛ばされ、転がり、建物の壁にぶつかった。堪えきれず、苦痛の声が漏れる。
ノーマの腕の中で、フォルカはうっすらと瞼を開き、詠唱を続けていた。その虚ろな表情は、思考にのみ没頭している証だ。このままでは間に合わないことにすら気付かないくらい、没入している。
「地を産んだ二柱の神。生命を育む大河の神。火をもたらしたる鍛治の神。善と悪とを裁く天の神」
「……信頼してくれやがって」
貪食の獣が前足を振り上げる。ノーマには逃げる足はすでにない。フォルカを……希望通りに……横向きに抱き上げて、立ち上がるのが精一杯だ。
フォルカの詠唱はまだ完成しない。
せめて庇おうとしたノーマの背へと、月光に美しく煌めく爪が振り下ろされ――
「……ッ!」
突如現れた石柱が、爪を阻んだ。
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