■34 ハレウエスの剣(2)

「このまま殺す! 手ぇ出すなよ!」

「は、はい!」


 戦いは、ノーマが優勢だった。否、ノーマが演じる戦士が優勢だった。


 貪食の獣が駆け、飛びかかるたび、石畳は白い砂となって散る。並の剣であれば最初の一合で終わり、砕けていただろう。貪食の獣は確かに、全てを喰らってなかったことにする存在だ。


 ダイスによる投射。知識と考察を詰め込んだ、限りなく本物に近い剣でなければ、受け止めることはできなかっただろう。

 コーエンと話して組み上げた、『戦士の戦い方』を演じなければ、獣の動きは捉えられなかっただろう。


「どうして!? 狼さんは最強なのに! なんでなの!?」


 シュトゥの叫びが耳を打つ。少女の声音に込められた、容易に名付けられぬ複雑な感情の強さが、ノーマの虎の耳を震わせた。だが、その感情を向けられる貪食の獣に変化はない。ただひたすらに、まず一番近くにいるヒトを終わらせようと、襲いかかってくる。


 ノーマは必死に剣を振るいながら、ふと、考える。

 『ハレウエスの乙女』の戦士役は、何度か演じたことがあった。出番も台詞も少なく、殺陣が必要だから、経験が少ない男にはちょうどいい役だ。

 元奴隷から、闘技場で名をあげた戦士。彼は何を求めて、狼に挑んだのか。座長の解釈は、かつて愛した姫を求め、取り返すという想いだった。納得できたから、愛を演じた。きっと、戦士にとっても、『ハレウエスの乙女』は悲劇なのだと。


 だが、今、胸に満ちるのは違う感情だった。


「大切なものを失って――」


 唇が、感情を台詞にする。座長の叱責が聞こえる気がする。台詞に頼るな、演技で示せ。シエラの苦笑が見える気がする。ま、いいんじゃない? おしゃべりな戦士さんってのも。大道具の連中が囃し立てる気がする。もっとしっかり剣を振れよ、俺たちが作った狼はそんなへっぴり腰じゃやられねえぞ。


「ほんのわずか、残ったものを」


 ニギンとメアリが、領主の館から、暗闇の中のこちらを見ようとしてくれているのを感じる。

 フォルカが、何かあった時に即座に対応しようと見つめているのがわかる。

 剣を振りかぶる。


「見てくれ」


 俺はここまで来たのだと。

 一人では決して辿り着けなかった演技。最高の偽物、皆で作り上げた『ハレウエスの剣』を握りしめて、振り下ろした。


「いやあああああああああっ!!!!!」


 月の三女神レイテアに届きそうなシュトゥの悲鳴に、貪食の獣が反応した。

 つい先ほどは全く反応しなかった少女の叫び。二度目のそれに応えた理由は、声にこもる感情が――絶望だったから、だろうか。

 貪食の獣は全力で後ろに跳ぶ。刃がその身を切り裂き、胴部の空虚を露わにする。だが、浅い。闇を揺らしながら、シュトゥを守るように身を寄り添わせた。


「いや、いや、いや! 狼さん! おおか、み、さぁ、ん」


 白い髪を振り乱して、シュトゥが泣き喚く。シュトゥの感情に呼応するように、濃い闇が渦巻く。貪食の獣と少女が闇に包まれた。

 倒しきれなかったことを察して、ノーマが詰めようとする。体力も、剣も、限界だ。仕留めなければ次はない。


 阻んだのは、別の貪食の獣だった。


「っ!? なんだ、こいつら……!?」

「街を包囲していた方の獣です! いつの間に!?」


 ひとまわり小さな黒い獣が、市壁や家を穴を開けるように砂へと変え、集まってきていた。少女を包む闇に飛び込み、巨大な獣になっていく。


「止めないと……、〈煉瓦〉!」


 全方位から集まってくる獣は、ノーマとフォルカには目もくれない。その集合をわずかでも阻もうと、フォルカがダイスを地面へと押し付けた。

 『一』と『一』の面が輝き――何も起こらず、輝きは一瞬で消え失せる。


 『致命的失敗(ファンブル)』。

 ヒトの可能性の、最も否定的な側面。何もできずに終わるという可能性の具現だった。


「そんなっ、今……」


 フォルカの膝から力が抜け、腰が落ちる。駆けまわる獣たちを避けてノーマが踏み込むが、剣の届く範囲に入った時には、すでに貪食の獣は三階建ての建物よりも大きく膨れ上がっていた。さらにもうひとまわり、ふたまわり、巨大になっていく。


 手の届く範囲を切りつけてみるが、闇が一瞬散ってすぐに戻るだけだ。

 やがて、領主の館よりも大きくなった貪食の獣は、一度ぶるりと身を振るう。その背に、泣き腫らした顔の少女がちょこんと跨っていた。闇色の毛並みを掴み、きょとんとした顔で、小さく見える街を見下ろす。


『ルオォォオ――』


 月を呑まんとするような、遠吠え。

 モンテ領の山々全てに、哀切な響きは届いた。

 もはや触れてもいない建物まで、白い砂となって崩れ、その白い砂すら消えていく。


「……〈神域展開〉」

「おい、惚けてるなよ」


 ノーマが、座り込んだフォルカの腕を取って距離を取る。遠吠えを間近で聞いて顔を顰めながら、巨大な貪食の獣を見上げた。


「またデカくなりやがって。これじゃ剣が届かねえ。なんとかできるか、フォルカ」

「なんとか……」


 呆然としていたフォルカの瞳に、輝きが戻る。動く瞳は、思考に必要な情報を求めている証だ。


「考えます」

「急げよ」

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