■33 ハレウエスの剣
コナドの街の大通り。
最初にノーマが訪れた時は活気に満ち溢れ、多くの人と声と品物が行き交っていた通りは、今や誰もいない。
立つのは二人だけ。ノーマと、フォルカだ。
大通りの静寂を破り、三つ目の影が市壁の門を破って現れた。
闇色の毛並みを備えた獣と、その背に跨る白い少女、シュトゥ。
ノーマの尾が、鞭を振るうように揺れる。
「デカいな……毛の色つやも良さそうだ。何を喰ったらあんなに育つんだ?」
「『貪食』とは、『後に何も残さない』ことの表現でしょうから、実際に食べているわけではないのでは」
「いや本気で聞きたかったわけじゃないんだが……俺が悪かった」
「むう」
貪食の獣が一歩足を踏むたびに、その周囲の石畳が色を失う。残るのは、僅かな白い砂ばかりだ。
フォルカが息を呑む。……その言葉に含まれる、感嘆に近い感情を、ノーマは聞かなかった振りをした。
「本当に、貪食の獣の解釈を被せている……なんて、無茶な」
「無茶なんかじゃないわ」
応じたのはシュトゥだ。こちらは、隠すこともなく誇らしげな声だ。
「理不尽で残酷な死をもたらし、正しい行いをした者を生き延びさせる。童話における狼は、世界の終わりの一表現よ」
「……そのような無理筋の解釈を、しかも【神話】で行うなんて。貴女も無事では済まないはずです。シュトゥさん!」
「無事? 変なことを言う司書さんね。そんなわけ、ないじゃない」
シュトゥがひらりと貪食の獣の背から飛び降りる。
月明かりの下でもはっきりと、その手が透けかけているのが見えた。
「――私は、もう、狼さんに食べられちゃってるんだから」
透けかけた指が、ノーマとフォルカを指す。
「食べちゃえ」
「フォルカ、話は終いだ!」
「はい……!」
フォルカが、既に掴んでいたダイスを掲げる。
半日を掛けて作り上げたイメージは、既に詠唱を必要としない。はっきりと思考に浮かぶその剣を、ダイスの力で現実へと編み上げる。
「寄越せ!」
「――ハレウエスの剣!」
ノーマが伸ばした手に、フォルカが手を重ねる。
ダイスは四つ。今のフォルカに扱える最大の数。出目は、合わせて『十』。
ダイスが輝く。その輝きを払うかのように、貪食の獣が前足を振るった。
闇色の毛並みが残像のように散る。闇の奥には、なにもない。あるべき肉も、骨も、血液の流れもない。ただ、空虚を闇が覆っているだけだった。
「おぉ……!」
ノーマが吼えて、腕を振るう。輝きから引き抜かれたのは、一振りの剣。
月光に煌めく鉄の刃。
飾り気のない、無骨な鍔。
革に布を重ねた、握りやすい柄。
球形の
貪食の獣の爪と、鉄の刃が、触れる。
――切り裂く。
「……え?」
斬撃音も悲鳴もなく、ただシュトゥの疑問の声だけがこぼれた。
剣は、貪食の獣の前足を深く切り裂いていた。縦に闇が裂けて散り、血は出ない。
貪食の獣は上半身を上げて数歩下がる。そこに痛みや驚きは感じられない。ただ機械的に、攻撃を受けたから下がった、という印象を受ける。
ノーマにとって、フォルカにとって、それは当然の結果だった。
だから、驚いているのはシュトゥだけだった。
「なに? なんなの、その玩具。おかしい。おかしいわ」
英雄の剣は、狼を退ける。王国で一番の戦士と、その剣なのだから。
「はっ……楽勝だな」
ノーマが笑う。だが笑みは引きつったもので、背筋には冷や汗が伝っていた。
たった一合で、よく理解できた。目の前の闇は、ただの獣ではない。フォルカが言っていた言葉を思い出す。
終末装置。世界の終わりの具現。
(クソが。世界の終わりだと? ――大袈裟でも何でもない。正確な表現じゃねえか)
抵抗なく切り裂いたはずの腕が、わずかに痺れて感じる。衝撃ではない。感じたことのない感覚。強いて近い感覚を上げるなら、冷たさか。
剣もまた、軋んでいる。物理的に折れるのではなく、ほつれて消えてしまいそうな感覚を、ノーマは一瞬覚えた。長くは保たない。
剣を握り直し、空いた距離を詰める。
「逃すか、狼野郎!」
「狼さん! 食べちゃって! はやく!!」
ノーマの声と、シュトゥの悲鳴じみた声が重なる。
貪食の獣は吠えない。あぎとを開き、牙も何もない口の中を見せつけるように、飛びかかってくる。
月の色を写した白の軌跡を残して、刃が走る。咄嗟に身を伏せた獣の鼻面を斜めに切り裂いた。闇色の毛並みが散り、だが、ぶるりと身震いをひとつ入れただけで獣の形を取り戻す。
お返しとばかり鋭く振るわれた前足を、ノーマは剣を立てて受ける。剣はびくともしないが、衝撃を支えるノーマの腕と腰が軋んだ。
童話の一場面、戦士と狼の戦いを再現したような状況を、フォルカはダイスを握って見守る。魔術で介入する瞬間を見逃すまいと眼鏡の奥で瞳を見開くが、膝が震え、腰が落ちそうになってしまう。脱力しかける身体を叱咤する。
ダイスを四つ使って投射した代償だった。ダイスの力の源は、人の可能性。未だ解明されざる力だが、身の丈に合わぬものを投射すれば消滅してしまうことも有り得た。
「このまま殺す! 手ぇ出すなよ!」
「は、はい!」
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