■25 淑女の服飾史
「おはようございます。あら、メアリさんだけですか?」
ノーマたちの部屋を訪れたフォルカを出迎えたのはメアリだった。
〈待ち人オオカミ〉を文字に還した翌日だ。まだ屋敷の中庭には戦いの跡が残っている。
「ノーマとニギンなら買い出しに行ってる。何の用?」
警戒する猫のように剣呑な瞳で、メアリはフォルカを睨みつける。睨みながらも、扉を開いて部屋に招き入れはした。
「街の見回りに行こうかと。ノーマさんにご一緒していただこうと思ったんですが……」
「なんでノーマを誘うの」
「護衛をお願いしたくて」
「なんでよ。司書は強いんじゃないの? ニギンがすっごい嬉しそうに言ってたわ」
「ええ、はい、本来はそうなんですけど」
フォルカは苦笑する。
「私、どうしても魔術が遅くて。破壊力のある魔術も使えないし……司書として、実力不足なんです。……って、ごめんなさい変な話を。出直してきますね」
「待ちなさいよ」
「は、はい?」
部屋を出ようとしたところを、メアリが呼び止める。
卓の上に置かれた小鍋から、食器に中身を掬って、差し出した。ほのかな湯気と良い匂いを立てている。
「シチュー、ですか?」
「早起きして、ニギンと一緒にお鍋を借りて、作ったの。……食べて」
「ええ、いただきますね」
小鍋は、焼いた石を入れた保温器具に乗せられていた。熱々とはいかないが、器を通してフォルカの指に温かさを伝える。
椅子に腰掛けて、フォルカはシチューに匙を入れた。大きめに切られた芋や人参に、白いシチューが絡んで艶やかだ。
「はむ」
軽く息を吹きかけて、咥える。
その様子を、隣に座ったメアリがちらちらと見つめていた。
「は、ふ。美味しいです」
「本当!?」
がたん。椅子を蹴立てて立ち上がりかけたメアリは、ゆっくりと座り直して視線を逸らす。
シチューを頬張りながらフォルカが思わず微笑んだのも、見ていない。
「本当です。よく煮込んだ夜の分はもっと美味しくなってるでしょうね」
「厨房の人たちにも褒められたの。筋がいいって。ふふん」
フォルカの言葉がお世辞ではない証拠に、器の中のシチューはどんどん減っていく。食べやすい大きさに切られた肉は、モンテ領では一般的な山鳥だろうか。
食べ終える直前に、メアリが小さく囁いた。
「……助けてくれて、ありがとう。それに、守ってくれて」
「……どういたしまして、メアリさん。【物語】から人と書物を守るのが、私たち司書の務めです、から」
間に合わなくてごめんなさい、と、浮かびかけた言葉は飲み込んだ。
赦しを乞うてはいけない。
誰が許そうとも、務めを果たせなかった自身の罪は消えないのだから。
「ごちそうさまでした。……とっても美味しかったです」
「でしょう? ふふ。……シエラに習ったの。シエラのシチューは、みんな大好きだったわ」
メアリが微笑む。
「ご飯はランドルフの係だったけど、シチューはシエラが一番だった。こんなに大きいお魚が取れた時はルイーゼが捌いたのよ」
こんなに、と少女は腕を広げた。決して大袈裟ではない表現なのだろうと、フォルカは頷く。
「それとね、ケーキ! 公演が大成功だった時に、大きなケーキを焼いて、みんなで食べるの。甘くて、とっても美味しかった。ランドルフと、ハンナが、今度ケーキの焼き方も、教えてくれる、って」
……頷く。
今、フォルカにできるのは、それだけだった。
「言ってたのに。どうして。どうして!? なんで……。みんな……いなくなって……」
ひぐ、と嗚咽が漏れる。
顔を隠すためか。机に伏せる少女の震える背にフォルカの指が触れた。迷いを含んだ仕草で触れる指先を、メアリは拒否しなかった。
ゆっくりと、背を撫でる。
「……やだ……。お願い……。ノーマ……、ニギン、いなくなっちゃ、いや……」
「…………私が、守ります」
「っひぐ……ふ……、……弱いのに……?」
「はい。弱くても、司書ですから」
呆れただろうか。それとも、決意が伝わったからだろうか。
メアリの答えはなく、しばし。乱れた呼吸、濡れた声音が落ち着く頃、小鍋の下の焼けた石はすっかり冷めていた。
「……ごめん」
「メアリさん」
「変なこと、言った」
「いいえ。……聞かせてくれて、ありがとうございます」
ぐす、と目元をぬぐい、鼻をすすり、メアリは顔を上げる。
よほど強く擦ったのだろう、目元は赤く染まっていた。
「……。あたしの泣いてるところ、二回も見たわね」
「え?」
「見たわね。セキニン取りなさい」
「え、え?」
「ニギンに聞いたわ、司書はサイコロでなんでも出せるんでしょう?」
「いえそれは全然違うと言いますか」
「そうだ! ドレスがいいわ。綺麗なドレスを出して?」
「服飾の投射は難しいんです、私にはとても」
「……見たくせに」
「う……」
赤い目で見つめられて、フォルカが視線を逸らす。ちらりと様子を伺うと、赤い頬でまだ睨んでいるメアリの視線とかちあった。眼鏡のレンズは少女の潤んだ視線から守ってはくれない。
「……わかりました。下手でも、怒らないでくださいね」
「やったぁ!」
いそいそと立ち上がるメアリの楽しげな様子に引っ張られて、フォルカも立ち上がる。
腰のポーチからダイスを一つ、迷って二つ取り出し、握り込む。
「お姫様みたいな、綺麗で可愛いドレスだからね!」
「難易度を上げないでください!? ドレス、ドレス……思い出せ……確か〈霊怪録〉の勉強会で……」
「まだ?」
「ま、まだです!」
背中側に回り、メアリの小さな背にダイスを押し当てる。使用人の女性から借りたのだろう、白いシンプルなワンピース型の服を着ている。
そのままの姿勢で、しばし。フォルカはぶつぶつと小声でつぶやき続ける。
「……お姫様ならスカートは広がるシルエット……肩は出して……手袋を……」
「くすぐったい」
「……〈
ダイスが輝く。『五』『六』と良い出目を引き寄せたのは、少女の願いか、司書の必死か。
輝きは一瞬だけ大きく広がり、メアリの体を包む。
「わぁ……!」
白を中心に、淡い桃色の布を合わせたドレスが、メアリを飾っていた。たっぷりと布を使ったドレスは、
肩と胸元は大胆に露出し、襟元をレースの飾り襟が飾っている。肘上まである白い長手袋には繊細な刺繍が施されていた。
メアリが嬉しそうにドレスを見下ろして身を捩るたび、ふわふわと、スカートを飾るリボンが柔らかく揺れた。
「すごいすごい! かわいい! 鏡、鏡!」
はしゃいだ声をあげて、姿見の前へ。ほわ、と頬を上気させて立ち尽くした。
「ただいま、メアリ……わ!?」
「お? ずいぶん可愛い格好してるじゃないか」
そこへ、ニギンとノーマが帰ってきた。
「どう? どう!? フォルカが出してくれたの!」
「似合ってるぜ」
「ほんと!? えへへへ、ニギン、どう?」
「……あ……そ、その……っ。……か、かわいい」
襟のレースを揺らして、メアリがくるりとステップを踏む。布地を多く使ったスカートは重いが、ふわりと広がった。
楽しげな少女の様子を見つめつつ、フォルカは壁際で小さくうずくまっている。ノーマは思わず歩み寄って、呆れた声をかけた。
「……何やってんだ、そんなとこで」
「お帰りなさい。……いえ、その。申し訳なくて」
「何が?」
「あのドレス、うろ覚えの資料から思い出したもので……。布の質感も、縫製も甘いし、何よりデザインの時代感が滅茶苦茶なんです。シルエットは今風なのに、装飾は一昔前のもので……私がそれしか知らないからなんですけど。資料も読み込めていなくて……あれでは全然、正しくないです……」
延々と続く懺悔に似た言葉。
返答は、慰めではなく、呆れ果てたため息だった。
「はぁ…………」
うずくまったフォルカが更に小さく身を縮める。
眼前に、指が突きつけられた。ノーマの指は、しなやかで、男性にしては荒れていない。役者として気を使っているのだろう。
その指が、ニギンを捕まえてダンスの真似事をするメアリを示す。
「あのドレス、メアリのために出してくれたんだろ。……なら。あいつが喜んでるんだから、それでいいんだよ」
「でも……メアリさんも、私なんかのものより、正しく綺麗なドレスの方が」
「違う」
「……え?」
思わず見上げてしまうほど、ノーマの言葉には本気が宿っていた。メアリたちを見つめる表情も真剣だ。
「『演技にこだわるのは良い。だが、評価するのは客だ』。……
「評価するのは……」
「自分が満足するための演技じゃなく、客を満足させる演技をしろって何度も怒鳴られた。……なあ。あのドレスがなにか間違ってたとして、メアリは喜ばなくなっちまうと思うか?」
「……それは」
「……いや。悪いな、あいつがわがまま言ったんだろ。付き合ってくれてありがとな、フォルカ」
「メアリさんを喜ばせることが……私の、ダイスで、できたんでしょうか」
もう一度、呆れ返ったと言わんばかりのため息をノーマがこぼした。
今度のため息はフォルカにもわかるほど、下手な演技だった。
「眼鏡を拭いて見てみろよ。……あの表情を見ればわかるだろ」
「……そう、ですね。ふふ。……どういたしまして、と」
「ああ。ところで、アンタは着ないのか?」
「き、着れませんよ!」
ドレスが消えてしまうまでの僅かな時間。小さなお姫様は、大いに踊り、笑った。
涙の味を忘れてしまおうというように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます