■24 〈待ち人オオカミ〉(3)


「……お、追うぞ!」

「はい!」

「ニギン、メアリ、助かった。よくやった。もう一仕事頼めるか」

「だ、大丈夫なの、ノーマ……? 騎士様に任せてはいけないの?」


 メアリの泣きそうな声。ニギンも、隣で頷く。

 不安げな二人を、抱きしめる代わりに、背を強く叩いた。


「そばで守ってやれなくてすまねえ。だが、追わない方が危険なんだ」

「でも……!」

「心配するな。俺は、竜を倒したことがある男だぜ。……領主のところへ行って、『中庭に誰も入れるな、出すな』と伝えてくれ」

「……わかった」

「ニギン!?」

「邪魔しないようにしよう。ノーマならきっと大丈夫。フォルカさんもいるし。だよね?」

「ああ。任せとけ」


 答えを聞く暇はなかった。二人を置いて、先に走るフォルカを追って走る。

 背後に聞こえた二つの足音に、ほう、とノーマの唇から吐息が溢れた。


「……良い子たちですね」

「当たり前だ。〈転がる羊〉劇団の、将来の主役だからな」

「ふふ、……絶対守らないといけませんね。彼らも、あなたも」

「自慢の裁ち鋏で守ってくれよ」

「どうしてあなたはそう意地悪なんですか?」



 軽口を叩き合いながら、階段を降りて、中庭に出る。

 月下の庭園。


 その中央で、人と狼が混じり合った姿の【物語】が暴れていた。立ち向かうのは、一人の騎士。


『ただいま! ただいま! ただいま!』


 奇妙な重なりを含んで響く、〈待ち人オオカミ〉の吠え声。

 人を吹き飛ばすほどの膂力を込めて振るわれる腕を、凶悪な爪を、しかしコーエンは受け止めていた。重厚な騎士剣を片手で構え、受け止めるだけでなく、時に反撃すらしている。

 だが、鋭いはずの騎士の刃は通らない。黒褐色の毛並みが鎧でもあるかのように、刃を弾いたのだ。


 【物語】に、尋常の刃は通りにくい。通らないわけではないが、弱い【物語】ですら、騎士一人では討伐はおぼつかない。

 既に何人も人を喰い、存在強度を高めた【物語】ともなれば、なおさらだ。一対一で凌いでいるコーエンの腕前をこそ、称賛すべきであった。


「フォルカ! 櫂よこせ!」

「偉大なる大地の女神よ / 祝福、振るいたもう――〈沼裂きの櫂〉!」


 櫂を握り締めたノーマが、横合いから、大上段に殴りかかる。〈待ち人オオカミ〉が迎撃しようと振るった腕を、咄嗟にコーエンが剣で押さえ込む。

 狼の頭に、櫂が深く叩きつけられた。骨まで達する手応え。ギィ、と、【物語】が音とも悲鳴ともつかない声を漏らす。

 だが、倒れない。手負いとなった獣は、ますます激しく腕を振り回して二人を遠ざけた。


「なるほど、その武器ならば通るようだ」

「逃すと厄介だ。ここで仕留めるぜ」

「いいだろう。私が抑える」

「コーエンさん、中庭に井戸はありますか!?」

「井戸? 井戸はないが、小さな池ならば」

「ではそこに誘導をお願いします!」


 確信に満ちた声に、思わずノーマとコーエンが視線を合わせた。互いの顔に、『無茶を言う』と書いてある。

 そんな戸惑いも【物語】には関係のないこと。吼えた〈待ち人オオカミ〉が、腕を振り上げる。月光に照らされた腕の先は、いつの間にか白い毛並みに黒い蹄を持つ、山羊のそれになっていた。

 【物語】を追い詰めるべく櫂を振るいながら、ノーマは唸る。コーエンの剣術、その冴えに、だ。


「やべえな、騎士ってのは!」

「無駄な口を叩くな」


 コーエンの剣はよく鍛えられた業物だが、【物語】には通りにくい。そのルールを理解したコーエンは、しかし、攻める手を緩めない。

 滅茶苦茶に腕を振るう〈待ち人オオカミ〉の爪を、蹄を、的確に弾く。むしろ踏み込んで、速度に乗る前に止める。毛並みが守っていない腹や腕の内側を斬りつけて、切り裂く。眼や耳といった柔らかそうな部位を狙って突く。

 体勢を崩させ、ノーマが〈沼裂きの櫂〉を深く当てる隙を作る、容赦のない剣だった。


「池ってのはあれか!」

「押し込んでください! 溺れさせます!」


 月明かりが映り込む清らかな池が見えた。

 コーエンが腕を止め、ノーマが横殴りに思い切り櫂を振るう。かろうじて片腕で受け止めた〈待ち人オオカミ〉が、衝撃を受け止めきれずに後ろによろめく。


「はッ!!」


 裂帛の気合を込めた騎士の一撃が、怪物の胸を突き、ついに池の中へと押し込んだ。

 狼の脚が水に沈みかける。景観のためだけでなく貯水の役割も担う池は深い。横っ飛びに水を避けようとした〈待ち人オオカミ〉を捉えたのは、泥だ。


「〈泥沼〉!!」


 フォルカが、地面にダイスを押し付けて魔術を行使する。澄んでいた池の水は粘度のある泥と化して、意思を持つように【物語】に絡みつき、引き摺り込んだ。


『ドアを開けて! ドアを開けて! ドアを開けて!』


 その叫びは、助けを求める悲鳴だろうか。殺意を込めた呪いだろうか。


「沈めてください! 童話の最後は、溺死です! ノーマさんの、その櫂なら!」

「信じるぞ!?」


 泥沼と化した池の淵に足を踏み込んで、ノーマが櫂を振るう。

 睨む視線の先で、抜け出そうともがく〈待ち人オオカミ〉が姿を変えた。


 整った顔立ちの女だ。

 白い肌に、艷やかな黒い髪。たおやかな手。

 優しい表情をノーマに向け、助けを求めるように、白い手を伸ばした。


「シエラ」


 ノーマが、その名を呼ぶ。

 あの日、黒狼に喰われた、家族のように育った女の姿へ向けて――


「劇団一の女優を、オオカミ如きが演じられるわけ、ねえだろ」


 櫂を、叩きつけた。

 〈沼裂きの櫂〉はその名の通り、泥を切り裂き、抵抗を受けることなく全ての衝撃を〈待ち人オオカミ〉へと伝えた。


 断末魔の悲鳴すら飲み込む沼の中に、【物語】が沈む。もがく女の手が月光に照らされて白い。やがて動きが止まり――夜闇に、黒い文字のかけらとなって散った。



 それこそが、司書が握るダイスの力。ヒトの可能性を託した乱数発生器ランダマイザこそ、確定した【物語】を超えるための、武器だった。

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