■21 狼と七匹の子山羊


 昔々、あるところに、母山羊と七匹の子山羊が楽しく暮らしていました。


 母山羊は森に食べ物を探しに行く時、留守番の子山羊たちに「誰が来てもドアを開けてはいけないよ」と言い聞かせていました。


 ある日、狼がやってきて、「お母さんだよ」と言います。しかし、子山羊たちは声が違うと見破ります。


 そこで狼は村の雑貨屋でチョークを買い、それをかじって声を変え、甘く甲高い声で「お母さんだよ」と囁きました。


 子山羊たちは、ドアの隙間から足を見せてほしいといい、黒い足はお母さんではないと見破ります。


 そこで狼は村のパン屋で練り粉を、粉屋で粉をつけてもらい、足を白くしてドアの隙間から見せました。


 子山羊たちは「お母さんだ!」と喜んで、ドアを開けてしまい――





「……聞いたことはあるな。童話か」

「はい。有名な童話ですから、この辺りにも収録した本はあるでしょう」

「なぜ、その狼が犯人だと?」

「最初に引っかかったのは、三件とも、『留守を守っていた人が襲われた』ことです。街を歩いている人ではなく」


 フォルカの脳裏には、泣き崩れる女性の姿が、拳を握り締める男性の姿が、茫然とする男性の姿が焼き付いている。

 家族を奪われた彼らは、【物語】を、本を、司書を恨むだろうか。


「それに、今ノーマさんが言った通り。ドアをこじ開けた形跡がないんです。ドアを開ける能力がないのではなく――ドアを開けるという、概念がない。この『狼』にとって、ドアとは『騙して内側から開かせるもの』なのでしょう」

「ああ……さっき言ってた『確定した存在』云々は、そういうこと、か? つまり、この『狼』ってのは留守番してるやつを騙す存在だから、そのルールに沿って人を襲っている?」

「その通りです。【物語】にも解釈は複数あって、どの解釈が強調されるか、場合によって異なりますが……。この場合は、留守番を騙す側面が強調されているのでしょう。いうなれば、〈待ち人オオカミ〉ですね」

「なら、いきなり街中で人が襲われるってことはないのか」

「おそらくは。ただ、想定できていないルールもあるかもしれません。一度警吏の詰所に戻りましょう。留守番は危険だと知らせてもらわないと」


 夕暮れ時、仕事から帰る者と仕事へ行く者が行き交う通りを歩き出す。詰所に早足で向かう途中、ふとノーマが足を緩めた。


「ノーマさん?」

「……」


 ノーマは、夕日に眩しそうに目を細めながら、人の流れを見ている。虎の耳が細かく動く。緩んだ歩調は、やがて止まってしまった。


「おい」冷静たろうとする声。「〈待ち人オオカミ〉とやらは、やっぱり、化けて騙すんだよな」

「え……はい」戸惑いながらも、司書は問われれば答える。「童話の通りなら、声と姿を変える能力を持っていてもおかしくありません」


 通りの端に寄り、ノーマは腕を伸ばす。人差し指で指した先には、通りをまっすぐ歩く女がいた。

 フォルカが眼鏡の奥で目をすがめて見つめるが、特に変わった要素は見えない。焦茶色の髪を太く編んだ、小柄な女性だ。服装も、普通の町娘という印象だった。


「あの人がどうかしたんですか?」

「女の歩き方じゃない」

「え?」

「歩き方、立ち方、手の動かし方ってのは、男女、体格、職業で違うんだ。あれはもっとデカくて、力の強いやつの動きだ」

「は、はあ……。……まさか。化けている、と!?」

「疑ってる。何しろ、あの女、さっきまでこの通りにいなかったはずだ」


 フォルカは思わず視線をノーマに向けてしまった。怪しい女から目を離すのは危険だが、そんな考えすら一瞬忘れるほど、ノーマの言葉が信じられなかった様子だ。


「どうしてそんなことがわかるんですか?」

「職業柄、人の仕草を見る癖がついててな。面白そうな動きをしてるやつがいないか、つい見ちまうんだよ」

「それで……なるほど……でも確かめるにしてもこんなに人がいては……」


 フォルカは半信半疑の様子だが、何もなかった手がかりが現れたことは確かだった。眼鏡の位置を整えて、頷く。


「追いましょう。人が少なくなったら、確かめます」

「相手は姿を変えられる。見失っちまうかもしれねえぞ」

「こんなところで暴れさせるわけにはいきません。即座に制圧できなければ、危険です」


 先輩がいれば、という言葉が浮かびかける。有無を言わさず【物語】を圧倒するのが、〈天文機器〉アンドレアのスタイルだ。フォルカには、その力はない。

 弱音を、何とか飲み込んだ。いない者は頼れない。【物語】に対処できるのはこの場に自分しかいない。

 思いとともに、フォルカは腰のポーチからダイスを握り込む。


「……わかったよ。今のところ、まっすぐ歩いてるな。目的地があるのか……?」


 ノーマもすぐに確かめるべきだとは言えず、女の後を追い始める。

 人混みに紛れるようにして、女は通りを進む。やがて街の中心を貫く大通りに出て、さらに歩いていく。


 夕方の大通りは商売を終えた者が多く、朝や昼間とはまた違う混沌とした様子を見せていた。商売を終えて片付ける者、これからが本番だと意気込む者、さまざまな目的を秘めて歩く者たちが行き交い、すれ違う。

 そんな中で、ふと、女がしゃがむような仕草を見せた。

 視界から外れ、そして、戻ってくることはなかった。


「……!」


 ノーマが悔しげに唸る。視線の先に、焦茶色の髪の女はいない。


「くそ、見失った」

「わ、私もです」

「男に化けられたら、動きの違和感もない。どうする?」

「どこに向かっていたんでしょう、この先、には……」


 大通りが向かう先。

 中央広場と、役所を超えた先には、領主の館がある。


「まさか……」

「呆けてる暇ねえだろ、行くぞ!」

「は、はい!」


 ノーマが駆け出し、フォルカが追う。途中で、すばしっこそうな若者に、『【物語】かもしれない、扉を開けるな』と伝言を伝えさせて、領主の館へと走らせた。


「はぁ、はぁっ……。……それと、もうひとつ、わかりました」


 行きかう人を描き分けて領主の館へと走りながら、フォルカがもう一つの予想を口にする。

 敵の正体を。

 大きな狼、石を使う鴉。恐ろしい熊。賢い狐。そして、『狼と七匹の子山羊』。


「シュトゥ。彼女が呼ぶ【物語】は、童話です」

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