■20 推測


 七番街区は、小さな住居が多数集まった区域だ。通りは狭く、複雑に曲がりくねっている。土地が足りなくなったのだろう、二階建ての建物も多く、三階まで見える建物すらある。

 コナドの街では、二階建ての建物を建てるときは役所の許可が必要だが、アンバランスで頼りなく細いそれらの建物が許可をとっているとは到底思えなかった。


「子供が……、子供が二人とも、いなく、いなくなったん、ですっ、ああ、どうして……」


 警吏の詰所で、一人の女が泣き崩れていた。被害者と思われる子供二人の母親だ。

 朝日が昇る少し前、仕事を終えて帰宅したところ、二人の子供の姿がなかったという。部屋には、何の痕跡も残されていなかった。


「いつも……扉には鍵をかけて、決して開けないように、と……」


 子供を探し、叫び続けたからだろう。女の声は掠れて、聞き取りにくい。

 涙で化粧は落ち、くすんだ金髪はぼさぼさに乱れていた。

 フォルカは辛そうに、ノーマは居心地悪そうに、その話を聞いている。


「……扉には、こじ開けられた様子はないとのことですね」


 警吏がまとめたメモを見つめて、フォルカが確認する。女は何度も頷くばかりだ。


「鍵開けでもしたのか、子供をうまく騙して開けさせたのか……」

「……まだなんとも言えません、ね」


 ふむ……とため息が重なる。


「お話、ありがとうございました。私たちも、微力を尽くします。どうか……今はお休みください」


 聞くべきことは僅かだった。女を詰所の奥へと戻らせる。子供たちのいない自宅では休めないだろうと、警吏が詰所へと連れてきたらしい。

 二人きりになった狭い詰所の部屋で、ノーマが一息をつく。


「どうなんだ、フォルカ。【物語】ってのは、押し込み強盗までするのか?」


 ノーマにとって【物語】とは、動物の姿をした怪物だ。ここ数日で行き会った鴉や熊と、今回の事件に、違う印象を覚えている。

 一方、フォルカは思案気だ。


「……モンテ領に現れている【物語】は、確かに動物が多いようです。ですが、【物語】は本に記されている全てに顕現する可能性があって、動物に限られるわけではないんです」

「なら、なんで動物ばっかりなんだ?」

「わかりません。伯爵の図書室も拝見しましたが、ジャンルが偏っているということもありませんでしたし……」

「とにかく、これじゃまだ【物語】の仕業とも、そうでもないとも、言えないわけか」

「そうですね。現場も見に行きましょう」

「はいよ。やれやれ、謎解き劇ミステリーは苦手なんだが」


 警吏に道を聞き、狭く入り組んだ七番街区を移動する。

 丈夫な仕立ての司書の制服、深緑のジャケットとネクタイは、薄汚れた路地ではよく目立つ。高価な眼鏡を掛けた女とくればなおさらだ。好奇と警戒の視線がそこかしこから突き刺さり、フォルカは居心地悪そうに早足で歩く。

 その後ろを、ノーマが追う。歩幅の違いで、フォルカの早足がノーマにとってはちょうどいい速さだ。狭い窓や、路地裏に設えられた住処から注がれる視線にも気にするそぶりはなく、尻尾を緩く揺らしている。


「ここですね」


 まず辿り着いたのは、先に話を聞いた女の家だ。三歳と五歳の子供が『いなくなった』。女から預かった鍵で扉を開き、中に入る。

 扉を閉めて部屋を見回す。荒らされた形跡も、争った形跡もない。

 寝室の小さなベッドは、今さっきまで寝ていたかのように、毛布が残されていた。


「……ついさっき出かけた、って感じだな」

「家出をするには幼い子供たちです。やはり誘拐なのでしょうか……?」

「それにしても、荒事の気配がなさすぎるが」


 子供たちは、夜が明けても見つかってはいない。


「手がかりは?」

「……少し、探してみましょう」


 ノーマは面倒そうに頷いたが、フォルカの真剣な横顔を見て、呟きかけた文句は飲み込んだ。

 二人で壁をにらみ、床に這いつくばり、調度を検める。

 しばし時間を掛けて調べたが、収穫はひとつもなかった。


「何が起こったか、想像もつかないなんて……」

「少なくとも、マトモな人間の仕事じゃねえな。次、行くぞ」

「はい……」


 二つ目の現場は、二人暮らしの夫婦の家。夫は職人で、酒を飲んで帰宅すると、妻がいなかった。リビングに、片付けかけの食器だけが残されていた。

 三つ目の現場は、三人家族で住んでいた家。遅くまで仕事をしていた父親が帰宅すると、妻も娘もおらず、いつも寝る前のお祈りに使っている聖印が床に落ちていた。


「……おい、大丈夫か」

「大丈夫、です」


 時刻は、すでに夕方。

 何の手がかりも得られないまま必死に現場を調べたフォルカの顔色は、蒼白になっていた。

 三つ目の現場から少し離れ、広い通りの端に腰掛けて休む。昼食も喉を通らず、二人とも食べていない。


 何よりもフォルカの胸を締め上げたのは、残された家族の慟哭だった。

 夕日が通りをオレンジ色に染める。【物語】の情報を、まだ多くの人は知らない。昨夜起こったこの誘拐事件についても、知らない者が多いだろう。


 夕暮れの街は、平和だった。


「しかし、手がかりはまるでなし、か」

「そう、ですね……」

「……おかしくねえか?」


 ノーマが、通りを行き交う人々を睨んで、言う。

 夕暮れの通りはにぎやかで、通りに面したパン屋でパンを買う人や、売り歩きの菓子を食べる人もいた。


「おかしなことだらけです。どれ、ですか?」

「二人も三人も攫っておいて、抵抗もさせない、跡も残さないってことだ」

「……そうですね」

「痕跡を隠すのは別に不自然じゃない。人でも獣でもやる。だが、隠すだけ隠しておいて、一晩で何件も回るってのはどういう意図だ? それに……【物語】なら、窓だってドアだってこじ開けられるだろ?」

「意図……意図などないのかもしれません」

「なに?」


 フォルカが囁く。ノーマの問い返しにも答えず、何もない石畳を見つめる。


『言語化は重要だ、フォルカ。言葉を惜しむな。思考を曖昧にするな。因果を分割しろ』


 先輩に叩き込まれた教えが、司書の思考を駆動させる。思考とは、連想と論理の頼りない糸を、途切れぬように辿る業だ。


「【物語】は、確定した存在なんです。成長することはなく、新たな概念を学ぶこともない」


 ゆえに、


「その場の状況で多少違った行動を取ることはあっても、書物に記述された存在から逸脱することはない」


 つまり、


「隠蔽ではないのです。隠してなどいない。ただ、物語の通りに振る舞った結果、血の一滴も残さなかっただけで」


 眼鏡の奥で、瞳が輝く。

 先ほどまでの消えそうな声から一転して、フォルカの声には熱が宿る。剣呑な状況にそぐわない、喜びの気配。


 喜びの名を、発見エウレカという。


「丸呑み!」


「……犯人、わかったのか?」

「目星は付きました。この【物語】が犯人ならば、色々な点に説明がつきます。ですが、証拠があるわけではなく……確信は、まだ……」

「バカ。確信なんて言ってる余裕、ねえだろ。行けそうならひとまず『そうだ』と決めつけて動くんだよ」


 問い詰めるようなノーマの言葉に、フォルカは不承不承頷いた。素早い対応が重要な局面だと、理解はしている。

 果たして、司書が告げたのは、ひとつの童話の名だった。

 発見の喜びは冷め、誘拐ではなく殺人であったと理解した悲しみを声に滲ませて。


「狼と、七匹の子山羊」

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