■19 警吏の報告書

 ノックの音が、狭い室内に響いた。


 都市コナドの片隅、七番街区。小さな住宅が密集した区域にある集合住宅のひとつ。

 その家の住人は夫を早くに亡くした女で、女手ひとつで二人の子供を育てていた。コナドが良い都市であったとしても、楽園ではない。先立つものを稼ぐには、相応の苦労が必要だ。

 だから、その夜も、子供二人を家に残し、女は仕事に出ていた。


「……お母さん?」


 眠たげに目を擦った少年が、扉の向こうに声をかける。他に訪ねてくる者などいなかったから、母だと思った。鍵を持って出かけたはずなのに、と、首を傾げる。


「そうだよ。お母さんだよ。扉を開けておくれ」


 母の声、だろうか。

 何かが違う気がした。でも母の声にも聞こえる。

 少年は悩んだけれど、他ならぬ母の教えを思い出した。夜に誰かが訪ねてきても、危ないから家にあげてはいけない、と。

 そこで、扉に近づいて、小さな覗き窓から外を見てみることにした。


「あっ……お母さん」


 優しげに微笑む顔。くすんだ金髪。確かに、扉の外にいるのは母だった。

 少年は眠気も忘れてはにかみ、急いで扉を開く。


「お帰りなさい」

「いただきます」


 ややあって、その部屋から出てきた女は、優しげな微笑みを浮かべた唇を真っ赤に染めていた。



 早朝の陽光を、太陽の神ソーレアのひと撫でという。

 窓から差し込む優しい朝の日差しを浴びて、ノーマとフォルカは伯爵の執務室に立っていた。


「おはよう、二人とも。よく眠れたかな?」

「おかげさまで」

「まだパン屋しか働いてないような時間に、何の御用で?」


 フォルカが微笑み、ノーマが眠たげに応える。迅虎族の青年は、朝に弱いようだった。


「まずは状況整理だ。昨日のうちに、各村への避難指示を携えた騎士が発った。【物語】に襲われては避難すら難しいかもしれないが」

「英断と思います。……私からもひとつ、ご報告を」

「ふむ」

「図書館から、手紙の返事が来ません。巡回司書の緊急報告は最優先で扱われるので、もう返事が届いているはずの時間です。手紙が、往復のどちらかで妨害された可能性があります」

「そう簡単に奪われるものなのかね、魔術の手紙と言うのは?」

「……機密ですが。空を移動するものです。野生の鳥に妨害されることはありませんが……鳥の【物語】をシュトゥが使役していたとしたら、堕とされていても不思議ではありません」

「なるほど。ならば、往復の往路で妨害されたと考えておくべきだね」

「あー……つまり?」


 ノーマの嫌そうな問いかけに、伯爵が深く頷き、両腕を大仰に広げて見せる。


「救けはこない、と言うわけだ」

「……楽しそうだな」

「まさか! 大いに悩み、苦しんでいるとも。今にもこの胸が張り裂けそうだ」

「演劇好きと聞いてたが、そっちの意味かよ。しかも下手の横好きときた」

「ノーマさん!」

「ははは、本職の役者からの評価は厳しいね」

「か、確認ですが!」


 フォルカが次の話題に移ろうとする。慌てた反応自体が内心を表現していると、マティアスはもちろん、ノーマにすら悟られているが、本人ばかりは気付いていない。


「……司書アンドレアの情報は、ありませんか?」

「残念ながら。剛熊族の情報は最優先と指示しているが、捜索に回す手はないのでね……すまないが」

「いえ。連絡がない以上、未帰還を前提とすべきですから」


 フォルカが頷く。声に宿る強がりを指摘するほど、二人の男は野暮ではなかった。

 報告は終わったと判断し、マティアスが机にうず高く積まれた資料へと手を伸ばし、一枚の紙を差し出す。


「さて。ひとつ、君たちにお願いしたいことがあるのだよ」

「私たちに?」


 フォルカが差し出された紙を受け取り、素早く一読して、ノーマへと回した。


「おい。……読めないから読み上げてくれ」

「失礼。ええと……」


 内容は、簡易な報告書だった。情報を取り急ぎ整理した走り書きのような筆跡だ。

 七番街区で五名の行方不明者の訴えあり。

 誘拐の疑いあり。

 強盗の痕跡はない。

 犯人の情報はない。

 警吏が捜査にあたる。

 被害者と思しき名前と年齢が記されている。そこには、三歳と五歳の子供も含まれていた。


「……誘拐の疑い、ですか」

「家出人がどうしたって?」

「今、コナドの街の警吏と文官たちは避難の準備で手一杯なのだ。そこで、捜査を手伝ってほしい」

「え、ええと……私は司書で、人探しは得意ではないのですが」

「俺はただの役者だぞ?」

「わかっているとも。だがフォルカくんの知性と、ノーマくんの行動力に期待するのは間違いではないはずだ。……それに」


 伯爵は言葉を切り、口ひげを撫でる。

 朝日の眩しい窓へと視線を逸らすのは、確信を持てないことを話すための含羞であったか。


「これは大いなる自慢だが、コナドは平和な街だ。私の手柄ではない。領民と我が先祖が、自ら選び取って積み上げてきた、平和だ。今、このタイミングで、このような事件が起きるのは……おかしい、と感じるのだよ」

「つまり……【物語】の干渉がある、と?」

「かもしれない、と考えている。専門家であるフォルカくんが、違う、と言ってくれるのならば安心できるという部分もある。頼まれてもらえないか?」

「わかりました。街に【物語】が入り込んでいないか、という確認は必要ですし」

「寝床と飯をもらっちまってるからな。やれ、と言われりゃやりますよ」

「とても助かるよ。それと、ノーマくん」

「なんだよ」

「フォルカくんは我々にとって唯一の司書だ。現在の最重要人物と言って良い。しっかり守るように」

「……知るか」

「あ、ノーマさん! じゃ、じゃあ失礼しますね! 後で報告に参ります!」


 呆れたような反応も、中年貴族の思わせぶりな表情と声音を相手にしては、致し方ない反応だったろう。

 尻尾をくるりと回し、ノーマはさっさと部屋を出ていく。その背中を追って、フォルカも部屋を辞した。


「……若い」


 ふ、と笑みを漏らした伯爵は、再び書類にペンを走らせ、ひっきりなしに人を呼んでは走らせる。

 街を守るための戦いは、続く。


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