■14 きつねのライネケ

『あら、なあに? 私の目的が知りたいの、皆様?』

「!?」

「何者か!」


 部屋に響いた少女の甘い声に、いち早く反応したのはコーエンだった。腰に提げた剣を抜き放ち、声の方向、すなわちバルコニーへつながる大窓へと駆ける。

 ついでフォルカが身構えて、ダイスを握った。


「き、狐……!?」


 窓には硝子はない。バルコニーから差し込む午前中の日差しを背に、白い狐がちょこんと座っている。

 コーエンは駆けた勢いのまま、剣を突き出す。鋭い突きを、狐はひらりと跳んで避ける。白い、ふわふわした尻尾が揺れた。


『まあ、乱暴。こんなに可愛い狐さんを殺そうなんて』


 くすくすと愉快げな笑みが、他ならぬ白狐から漏れた。軽い足取りで、バルコニーを歩く。

 コーエンが再び剣を振るう。今度は薙ぎ払うような一撃。振りは鋭く、空を切り裂く音が響く。だが、白狐は再び身軽に跳んで刃を飛び越えた。


「コーエン。狐くんは我々に話があるようだ、剣を納めたまえ」

「……は」

『ふふ、ありがとう、おじさま。そんなノロマな剣には当たらないけれど、お話ができなくてはあなたたちも困ってしまうものね』

「なに、君は彼の真の実力をまだ知らないだけさ。名を聞かせてくれるかな、狐くん」

『シュトゥ。この子にメッセンジャーをお願いしているの』

「言葉を伝達する使い魔? なんて高度な……」

「…………」


 小さな狐の体から発されているとは思えない、甘やかな少女の声。名乗られた名前に、フォルカが驚愕し、ノーマが拳を握りしめる。

 そんな様子を知らぬ様子で、白狐は、少女の声で笑う。


「目的を教えてくれるというのかな? シュトゥくん」

『ええ、ええ。私、時間がかかるのは嫌いなの。後で探すのなんて面倒だわ。だから、ねえ、領主様』


 白狐は、まるで狼を罠に嵌める時のように甘く、ささやいた。


『神話の本を、くださいな』


 ――反応は、劇的だった。

 フォルカが息を呑み、マティアスすら数瞬、言葉を失った。事情を知らぬノーマとコーエンの怪訝な表情を置き去りに、マティアスが首を横に振る。


「……それは、できない。余人に、」

『できない! できないですって! おじさま、えらいのに言葉がお上手でないのね?』


 言葉を遮って笑う白狐は、シュトゥの感情を反映するように、飛び跳ねてくるりと踊ってみせる。

 陽光に美しく映える白の毛並みとは裏腹の言葉が続く。


『できないのではなく、しない、のでしょう? 領民の命よりご本が大事なんて、ひどい領主様!』


 単純にして明快な、脅し。すでに殺したし、まだ殺すという、明確な意思表示だった。

 マティアスが唸る。白狐はますます楽しげに、その苦悩こそが心地よいというように笑っている。


『一週間あげる。その間は、街を襲ったりはしないわ。準備ができたら呼んでくださいな』

「ッ、逃げるぞ!」

「待ちたまえ!」

「〈泥〉!」


 一方的に告げて、白狐は身を翻す。フォルカが投じたダイスが上から泥を降らせ、コーエンが剣を振るうが、バルコニーから飛び降りる狐を捕らえるには至らない。


『うふふふ。でも、動物たちは協力してくれているだけで、命令できるわけではないの。早くしないと、みんな食べられちゃうかも?』


 どこまでも楽しげな、残酷な言葉を残し、白い狐は姿を眩ませた。


「……申し訳ありません、逃しました。追いますか」

「あのすばしっこさでは捕まるまい。後で、警戒するよう触れは出しておくことにしよう」

「了解しました」


 しばし、執務室に無言が落ちる。

 少女シュトゥが告げた内容を飲み込むための、少しの時間。最初に口を開いたのは、ノーマだった。


「おい。……神話の本ってのは、なんなんだ?」

「……伯爵。お話いただけますか」

「致し方あるまい。ノーマくん、君には席を外してもらいたいが。厄介ごとに巻き込まれる必要は――」

「ふざけるな。あのガキをぶち殺すまで、尻尾を丸めて逃げるわけにいくか」

「の、ノーマさん……」

「……良いだろう。フォルカくんは君のことを信用しているようだ。コーエン、君も聞きたまえ」

「はッ」


 三人にソファを勧め、伯爵が語る。

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