■13 図書館機密〈証言-481-M〉
領主マティアスは、早朝だと言うのにしっかりと身なりを整えて三人を待っていた。執務室の広い机に肘をつき、出迎える。
「待たせたようだ、諸君。貴族として、
残念ながら、フォルカには、挨拶と呼ぶには長々しい口上に付き合う余裕はなかった。
「伯爵閣下。急ぎ、報告があります」
「聞こう」
逸る感情を抑えて、ふう、とひとつ意識的に吐息を入れる。フォルカの報告は、司書らしく、整理されていて明確だった。
オロン村と、劇団が、【物語】に襲われたこと。
強大な黒い狼の【物語】と、その傍らに立つ少女。
アンドレアが残り、食い止めたこと。
山の中で別の【物語】に襲われ、討伐し、夜を徹して街まで逃げてきたこと。
時折、ノーマが補足を入れながらも、一気に報告しきった。
「……【物語】が、我々の想定よりも多い。図書館に応援を求めますが、時間がかかるかもしれません。騎士団のご協力をお願いできますか」
「君の指揮下に入れるわけにはいかないが、モンテ領を守るために協力はできるだろう。そうだね、コーエン」
「はッ」
迅速な返答。忠誠心と判断力の権化のような反応に、ノーマが嫌そうな視線を向ける。
「しかし、戦うからには相手を知らねば。【物語】は、なぜ人を襲うのかね、フォルカくん?」
「本能的なものだ、と言われています。……【物語】は、人間を殺害するほどに、その存在強度を高めます。平たくいえば、現実感を増し、強くなるのです」
「ふむ。人間が獣を喰い体を強くする、のと同じことかもしれないな」
「かもしれません。まだ、その理論まではわかっていませんが……。かつて、図書館は数人の知性ある【物語】から情報を得ていますが、解明には遠いのが現状です」
フォルカの事務的な声に、僅かに悔しさが滲む。だが、マティアスが反応したのはそこではなかった。
「ほう! 【物語】が、自らを語ったのかね?」
「はい。知性ある【物語】は、ごく稀に、自らが【物語】である……という認識をもつことがあります。これを
「何とも、惜しい……いや、切ない話だね」
ごほん、と野太い咳払い。
「……話が逸れております。伯爵」
「おっと、これは失礼。【物語】が本能的に人を襲うとするなら、取引や撤退はない。飢えた獣か、山賊を相手にしているようなものだ、と考えるのが良いだろうね」
「……獣、か」
「何か気になることがあるかな、ノーマくん?」
ノーマが、僅かに虎の耳を揺らして驚きを示す。
「貴族様が、平民の名前を覚えるなんてな」
「農民が土地を、鍛治師が鉄を見るように、貴族とは人を見るのが務めであるからして。それで?」
「そうかよ」回りくどい表現に、呆れ顔。「……黒い、狼の【物語】。あれは、獣なんてものじゃねえ。怪物だ」
ノーマの脳裏にあったのは、劇団を襲った黒い狼の姿だった。確かに狼のかたちこそしていたが、人間をゆうに超える大きさも、漆黒の毛並みも、尋常の獣ではあり得ない。何よりも……。
「あの、気配。こっちを、当然喰うものとしか見てねえ。マトモな獣なら、獲物が相手でも多少警戒するはずで……くそ、なんて言ったらいいか……とにかく。ただの獣と思って相手をするのは、危険だ」
「私も、賛成です。出没している【物語】は確かに動物の姿をしたものが多いようですが、知性も、能力も、見た目の通りとは限りません」
フォルカも頷く。
最初にノーマたちとフォルカたちが出会った森。襲ってきた大鴉を、フォルカは【現実】と考え、アンドレアは『不正解』と言った。その意味を、フォルカは考え続けている。
「なるほど。念頭に置いておくとしよう。では、別の方向からも考えていこうか」
「別の方向というと……」
「無論、君が目撃したという少女のことだ。【物語】を使役していたのだろう?」
「……そう見えなくもなかった、です。【物語】と意思疎通し、使役するなど、聞いたことがありません」
「あって欲しくない、という言い方だね、司書殿」
「……!」
マティアスの何気ない指摘に、フォルカが一歩、下がる。
「……おい?」
「何でも、ありません。その……少女が、指導的な立場にあるとして。その目的を考える、ということですか?」
「まさしく。その少女は人間だったのだろう?」
「私の感覚ですが、おそらく」
「では人間であると仮定していこう。彼女の目的はなんだろう?」
「ううん……」
思い出したくもない光景を、ノーマとフォルカは思い浮かべる。
黒い狼。
哄笑する少女。
噛み殺されたシエラと、辛うじて助け出したメアリ。
燃え盛る炎と、立ちはだかるアンドレアの背中。
「……【物語】が人を襲うのは、自らの存在を確かにするためです。人を喰うほどに、存在強度は上がっていく、ので」
「では、その少女の目的は、まずは黒い狼の【物語】を強くすることだ、と」
「おそらく。ですが、その先に何をしようとしているかは――」
想像もできません、という、司書としての敗北を認めるような言葉は、別の声に遮られた。
『あら、なあに? 私の目的が知りたいの、皆様?』
「!?」
「何者か!」
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