2章

■12 騎士心得


 コナドの街は、朝焼けに照らされていた。


 夜通し歩き続けたノーマたちが市壁の門に辿り着いた時、ちょうど朝の開門が行われる時間だった。どこかで、鶏が朝を告げる声が響く。

 勤勉で強欲な商人たちの列を横目に、門番の兵士へと話しかける。


「こら、列を乱すな!」

「申し訳ありません、緊急なのです。どうか、通してください」

「早く休ませてやりたいんだ。頼む」


 フォルカは三日月を模した図書館のメダルと、通行証の木簡を差し出す。ノーマも同じく、通行証を見せた。ぐったりと意識を失ったままのメアリと、歩き通しで体力を使い果たしたニギンを、視線で示す。

 任務に忠実な門番の兵士は、すげなく首を横に振った。


「順に対応する。列に並べ」

「お願いします! 一刻も早く、伯爵にご報告を」

「伯爵だと? 図書館の司書などという怪しい人間に、伯爵が会うわけがないだろう」

「オロン村が……襲われました。他の村も、いいえ、コナドの街も危ないかもしれません!」


 たむろする商人たちに聞こえぬよう抑えていた声は、気付けば焦りを滲ませて大きくなってしまった。日頃のフォルカであれば抑えられたかもしれないが、焦りと疲れが思考から慎重さを奪っていた。

 門番の表情に怒りが浮かぶ。


「ええい、大人しく並んでいろ!」


 門番にとっては、平和な、いつもと変わらない朝だ。フォルカとノーマが異変を訴えたところで、任務から外れる理由にはならなかった。

 とりつく島もない門番に、フォルカが唇を噛む。

 ノーマが、子供たちだけでも寝かせてくれないかと頼もうとした時、遮る声があった。


「なら、せめて……」

「待て」


 力強さを感じる、低い声だった。決して怒鳴ったわけでもないのに、強く耳を打つ。無闇に迫力がある男性の声だ。

 開かれている市壁の門からではなく、兵士たちの詰所から現れたのは、体格の良い男性だった。歳の頃は三十絡みの人間族。短く刈り上げた焦茶色の髪。厳しい顔つきに、睨みつけるような表情を浮かべている。


「街も危ない、と聞こえた。本当か、フォルカ殿」

「……コーエンさん!?」

「知り合いか?」


 訝しげに見つめるノーマに、コーエンと呼ばれた男も、警戒を隠しもしない不躾な視線を投げる。


「はい、この方は……」

「話は中で聞く。領主殿の客人だ。私の責任で、通せ」

「は、はッ! 了解しました!」

「……いちいち人の話を遮るゴリラだな」

「聞こえているぞ」

「聞かせてるんだよ」

「け、喧嘩はやめてください!?」



「私はコーエン・ガンデ。モンテ領騎士団の団長に任じられている」

「騎士団長……? 随分と若いな」


 門を通された一行は、そのまま領主の屋敷に向かう。コーエンの背には、ついに意識を失ってしまったニギンが担がれていた。

 メアリも、まだ目覚めない。ノーマの背に、簡易的な背負い紐で背負われたままだ。息と鼓動はある。今は小さなその鼓動を希望として、できる限り丁寧に運ぶしかなかった。


「モンテ領においては、騎士団長とは名誉職ではなく、山を走るものが就く任務だからだ」

「コーエンさんは、先立って現れた【物語】を討伐した方なんです。その時のお話を伺っていたので」

「へえ。司書じゃなくても、あの化け物は倒せるのか」

「はい。【物語】には司書のダイスによる攻撃がよく効く、というだけで。槍や弓でも倒すことはできます」

「……騎馬一名と、徒歩三名。騎士が四人がかりで討つ相手を、一人で相手取るのが司書だ。戦力として、比べ物にならない」

「そういうものか」

「【物語】とは、確定した存在なんです。だからこそ、人の可能性を託した揺らぎ(ランダマイザ)が有効である……というのが、今のところの定説ですね」


 道すがら、軽く情報を交わす。奇妙な取り合わせの五人は、まだ人通りの少ない朝の大通りを足早に抜けていく。

 司書も騎士も、【物語】とも縁がないノーマには、いまいちピンとこない話ではあったが。獣よりは強いのだろうと頷く。

 早朝でまだ人は少ないとはいえ、歩く者はいる。フォルカは本題に入るのを堪えていた。司書以外には意味のない情報を口にし続けていたのも、不安の裏返しであった。


 程なく領主の屋敷につき、コーエンが名乗って領主を呼びにやらせる。

 メアリとニギンは客間のベッドに寝かせてもらえることになった。小さな身体をベッドへと丁寧に寝かせて、ずっと少女を背負い続けてきたノーマが、ようやく一息をついた。


「は……」

「メアリさん、ニギンさん……少しでも休めると良いのですが」

「ああ。……フォルカ。コーエン。礼を言う。二人を助けてくれて、ありがとう」


 ノーマが、深々と頭を下げた。虎の毛並みを備えた耳は頭に這うように垂れ、尻尾も力なく下がっている。


「あ、頭を上げてください、ノーマさん! 私こそ、助けていただきましたし……ありがとうございます」

「騎士ならば、誰でも同じことをしただろう。礼は不要だ」

「……ああ」


 顔を上げたノーマの視線は、寝息を立てる二人に向かう。森を駆け抜けてきたから、特にニギンは髪は乱れ、服もあちこちほつれている。メアリも、時折苦しげにうめいている。

 だが、確かに生きていた。


「……大切なのですね。お二人のことが」

「オヤジ……座長に拾われた者同士の、家族だからな。うちの劇団は、みんなそうだ」

「ノーマさん……」


 しばし、部屋に無言が満ちる。

 そこへ、ノックの音が響いた。


「コーエン様。領主様がお会いになるそうです。執務室へご案内します」

「了解した。フォルカ殿、行きましょう」

「ええ。ノーマさんはこちらでしばらく休んで……」

「……いや、俺も行く。情報源は多い方がいいだろ」


 気遣いが滲むフォルカの言葉に、しかし、ノーマは応じなかった。メアリとニギンの髪を軽く撫でてから部屋を出る。

 ノーマの虎瞳に昏い炎が見えた気がして、フォルカはそれ以上、声をかけることはできなかった。



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