■6 古今の盾
めえ、と山羊が鳴いた。
買い出しを終えたノーマたちは、午後の日差しが作る木漏れ日の下、森の中を歩いていた。日が暮れる前に村へ帰りつかねばならず、歩く足はやや早い。
たっぷりと荷物を載せられた山羊が、荷物の重さにの文句を言ったのかと、ニギンが苦笑する。ぽんと尻を叩いてやると、山羊の尻尾が不満げに揺れた。
街から村へ続く山道は、それなりに整備されている。モンテ領の山は樹木が多く、生半可な道ではすぐに飲み込まれてしまうから、交通の便を意識して整備されていることは明らかだった。
「あら?」
「お」
その道が、別の村からの道と合流するところで、他の旅人と行き会った。山羊が鳴いたのは、足音を聞きつけたからだったようだ。
「こんにちは」
「どーも」
女二人の旅人とは珍しい、と、ノーマは少々無遠慮な視線を向けて挨拶する。腰に吊った短剣を意識はするものの、相手は軽装の若い女が二人、剣呑な気配はない。羽織ったローブから、下に着ているジャケットの深い緑色が覗いていた。
そのまますれ違うつもりで山羊を歩かせたが、二人もノーマたちと同じ方向へ歩き出した。
「あなたがたも、オロン村へ向かうのですか?」
二人のうち、眼鏡をかけている女、フォルカが問うた。道が続く先にある村の名だ。
「ああ。旅の劇団でね。オロン村の軒を借りてる。あんたらは?」
「私たちは司書です。よろしければ、ご同道させていただけますか」
「同じ道を歩くのに良いも悪いもあるかよ」
互いに名乗り、ノーマは思わず苦笑する。フォルカの言い回しが、貴族を演じる時のような、丁寧な口調だったからだ。
一方で、ニギンは興奮した様子を隠せずに声を上げた。
「司書! 旅をされているということは、巡回司書の方ですか?」
「よくご存じですね」
フォルカが頷く。文字通り、微笑ましい感情を表情に浮かべた。
「なんだ? その、巡……何とかってのは」
「知らないの、ノーマ!? 図書館が派遣する巡回司書は、司書の中でも一握りの精鋭。恐ろしい【物語】や危険な書物を相手にする、本と人の守り手なんだよ!」
「へえ」
「いえあの……」
妙に芝居がかった表現は、書物か吟遊詩人の受け売りだろう。熱のこもったニギンの弁は中々のものだった。観客が、全く興味がなさそうに尻尾を揺らすノーマと、思わぬ賛辞に頬を染めるフォルカでなければ、拍手のひとつもあっただろう。
重い荷物を背負ってのんびりと歩く山羊を少し急かしながら、四人は森の中の道を歩く。
「巡回司書が来たということは、この辺りに【物語】が出たんですか?」
アンドレアが頷くのを待ち、フォルカが答える。
「そうなんです。まだ、調査を始めたばかりですが。お二人は何か、噂など聞いていませんか?」
「知らねえな」
すげなく答えるノーマと違い、ニギンは何とか司書の役に立ちたいと思考を巡らせる。
ほどなく、そういえば、と声を弾ませた。
「村の人から、このところ妙な獣が出てるらしい、って聞きました」
「妙な獣、ですか」
「ああ、言ってたな。夜の森で見れば、山犬も狐も化け狼だし、蝙蝠は人の生き血を啜るもんだ」
人間の恐怖心とはそういうものだ。各地を旅してきたノーマの経験上、『妙な獣』が本当に妙だったことなど、ほとんどなかった。
なるほどとフォルカが頷く。
「他にも、もし気付いたことがあれば何でも教えて下さいね。ニギンくん、ノーマさん」
「はいっ」
「おいおい。アンタら、化け物退治の専門家なんだろう? その程度しかわかってなくて、大丈夫なのかよ」
「う……ま、まだ調べ始めたばかりですから」
名乗った時から黙っていたアンドレアが、けらけらと笑う。
「耳に痛いご指摘だ。とはいえ」
言葉を区切って、手振りで一行の歩みを止める。
「我々の実力は少し見せられそうだ」
「先輩?」
怪訝そうな視線には答えず、道から外れた木々の向こうへ、視線を向けた。
二秒ほどの、沈黙。しびれを切らしたノーマが声を上げようとした瞬間だった。
『カァ――』
鴉の鳴き声だ。木々の間を反響して、どこから響いてきているか、まるでわからない。
むやみに不安を掻き立てる鳴き声。ノーマが、不安を振り払うように、ことさら呆れた声を出す。
「何が来るかと思えば。確かにこの辺りじゃ、鴉は珍しいが――」
言葉を遮ったのは、一行の頭上に姿を現した大鴉の羽撃き。大人が両腕を広げたほどある黒の翼をひと打ちして、姿勢を制御する。
木漏れ日を吸い込む黒の羽に、鋭い嘴。
睥睨する鴉は、その足に大きな石を掴んでいた。
投擲。
「
鴉が放った石を、空中に現れた盾が阻んだ。アンドレアがダイスによって、長方形の朱い盾を作り出して防いだのだ。角度を付けて空中に固定された盾が、投擲された石を受け止めて、受け流す。
石は地面に転がって、どさり、重たげな音を立てた。役目を果たした盾は、色を薄めて消えていく。
鴉は再びひと鳴きし、木々の間へと飛び去って姿を隠してしまった。
「なっ……何なんだ、今のデカいカラスは……!?」
「【物語】だ」
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