■4 ゴーラの書店の装飾本


 『山と平和しかない』は、モンテ領の特徴を最も端的に表した、ある詩人の言葉だ。

 どのくらい的確かといえば、領民、特に山間の村に住む者たちが合言葉のように使うほどである。


 村の規模は全体として小さく、山のところどころに作られている。木を切り出したり、少しでも日当たりのいい場所で細々と作物を育てたり、山の獣を狩ったりと、慎ましく暮らしていた。


 だが、ここ十数年で、少々変化があった。

 代替わりした領主が積極的に働き、コナドの街と村々をつなぐ道を整備した。行商人の往来も増え、村々も多少豊かになったという。その領主の施策のひとつが、演劇の推奨だった。〈転がる羊〉劇団がモンテ領を訪れたのも、演劇が盛んだという評判あってのことだ。


 本好きで演劇好きの、変わり者だが有能な領主。

 領主の実力は、お膝元であるコナドの街を見れば一目瞭然だ。


「山二つ向こうから届いた新鮮な魚だよ!」

「ウル草はいらんかね。滋養強壮、厄除けに、ウル草はいらんかね」

「インクー村の木彫り細工! 扱いはこちらだけですよー!」


 拠点としている村からコナドの街へと買出しに訪れたノーマとニギンは、しばし、喧噪に圧倒された。


 石畳の大通りには大勢の人が行き交っている。山の多い土地柄、大型の馬車は少ない。重そうな荷物を背負った村人、ロバやヤクに荷を乗せた行商人。高い山から降りてきたのか、山羊を連れた者もいた。


 大通りの両側には露店が並び、領内の各村から集まってきた様々な品物が売られている。作物や獣革、細工物、果ては石まで。それぞれ声を張り上げて客を呼び込み、値段の交渉をするものだから、大通りは実に騒がしい。


「そこの虎のお兄さん! 山鳥の串焼きはどうだい? モンテに来たらこいつを食わないとな!」

「また今度な」


 食べ物を売る露店もあった。木の実を鉄鍋で炒っている店や、良く干した獣肉を吊るした店。様々なチーズ、串に刺した肉を焼いたもの、みずみずしい果実、音と匂いが雑然と交じり合い、行きかう人々を誘惑する。

 ノーマの虎の耳があふれる刺激にせわしなく反応していた。


「すごい人だね……」

「こんな来にくい土地に、これだけの街があるとは」

「やっぱり、領主さまがすごいのかな?」

「かもな。はぐれるなよ、ニギン」

「はぐれちゃったら、入ってきた南側の門で待ってるよ」

「……しっかりしてるな、お前は」


 活気に圧倒されながらも、ノーマとニギンは街を巡って買い物を済ませていく。次々と荷物を任される山羊が、不満げに鳴いた。


 買い物の途中、ふと、ニギンが足を止めた。

 視線の先には、革と金具、宝石で装飾された本が飾られている。書物の表紙を作る、装幀師の店だ。もちろん、飾ってあるのは表紙を見せるためで、本の中身は白紙だろう。

 少年の瞳は、宝石の輝きを映して輝いていた。ノーマが隣に立ち、一緒に眺める。


「本か」

「うん……いつかこんな豪華な装幀の本を読んでみたいな」

「酔狂なことだな、化け物が出てくるってのに」

「確かに【物語】は怖いけど……やっぱり、本は面白いよ」


 ニギンがはにかむ。

 【物語】の存在は恐ろしいものだが、現代、本の作成や所有を完全に禁じている国や領地は多くない。


 図書館が敷く〈アレクサンドリア〉大結界により、世界で発生する【物語】の九割は、図書館内部に留められているという。百年ほど前に実用化された活版印刷の本からは【物語】が現れにくい、という事実も発見された。


 ゆえに、一冊の本を持っていたとして、その本から【物語】が現れる可能性はほとんどないと言っていい。多くの者にとって、森に潜む獣や、農作物の不作の方が、よほど差し迫った脅威であった。

 とはいえ、騎士のいない村に勝手に本を置くのは、もちろんご法度だが。


「そういえば、モンテ領の領主様は本も好きなんだって。優秀な人は、お屋敷の書庫で勉強できるらしいよ」


 貴族がしばしば高価な書物を集めて書庫を作るのは、見栄や知識欲だけが理由ではない。【物語】に対処するだけの戦力を有しているという誇示でもあった。

 ノーマはゆっくりとかぶりを振る。


「演劇に、本に、よっぽどの変わり者だな、ここの領主は」

「うん、そうかも。ノーマは、本は嫌い?」

「字が読めないんだ。読めないものに、好きも嫌いもないさ。……さ、次は布だ。さっさと買って帰るぞ」

「了解」

「メアリにドレスは買っていってやらなくていいのか?」

「ノーマがお小遣いをくれたら考えるよ」

「……本当にしっかりしてるな、お前は」

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