■3 ハレウエスの乙女

 夜の天幕。

 〈転がる羊〉劇団の面々は、夕食を終えて車座に座っていた。


 天幕は稽古にも使うから、それなりの広さで、床にも厚手の布が敷いてある。ゆらゆらと揺れるランプの明かりがいくつか吊るされた中、一人だけ立ち上がっている座長へと、劇団員の視線が注がれる。


「 狼は、姫との約束通り、敵の国の兵士を皆食べてしまいました。

  戦勝のお祝いに現れた狼は、代わりの褒美をあげようという王様を無視して、お姫様のもとへ。お姫様は、その鼻先に身を寄せて、口づけを捧げました。

 狼はお姫様を背に乗せて、城壁をひとっとび、森へと帰っていきました。 」


 『ハレウエスの乙女』は有名な古典で、悲劇として名高い。〈転がる羊〉劇団の得意演目のひとつだった。座長が吟遊詩人をしていた時の十八番でもあったらしい。


 舞台は、小さく平和な王国。

 王に拾われた奴隷の娘が、美しい姫に育つ。姫は、隣国に攻められた王国を救うために、百年を生きたという狼の伴侶となる。

 国は救われたが、王は姫を取り返そうと兵を差し向ける。結局、兵士も王も、狼に全員食い殺されてしまう。


 最後に訪れたのは、元奴隷からなり上がった、闘技場最強の戦士。

 三日三晩にわたる戦いの末、戦士は狼を倒し、姫へ想いを告げる。しかし――


「 姫は、横たわった狼、その牙へと身を寄せて、自らを捧げました。

 『私は、この方の妻です。この方が旅立つのなら、私も供をいたしましょう』」


 低く抑えられた座長の声が、物語を締めくくった。軽く、拍手が起こる。全員知っている物語であるのに、幾人かは涙ぐんでいた。座長の面目躍如といったところだ。


「メアリ、ハンカチ使う?」

「泣いて……ぐすっ……ないわよ、ばかニギン」


 こうして、座長や脚本家が語るのを皆が聞くのが『聞き合わせ』である。同じ物語を聞いても、人が抱く感想や解釈はまるで異なる。一座の中で物語の雰囲気を共有しておくための重要な下準備だった。


「全員、必要なものは解っているな?」

「「「へーい」」」

「大道具組。俺たちが主役だ、狼の人形作り直すぞ」

「げっ。一日でですか?」

「楽勝楽勝」

「小道具の方で何か要るものはあります?」

「ドレスは白よね。繕い直さないと。布が足りないかも」

「ノーマ、ニギン。明日は買い出しだ。山羊連れて、コナドの街まで行ってこい」

「わかりました!」

「了解。シエラ、布のことなんて解らねえから、後で必要なもの教えろ」

「はいはい。主役じゃないからって気楽ね」

「私も新しい服がほしいわ!」

「……僕とメアリのお小遣いじゃ、足しても服は買えないと思う」

「もう、ニギン。そこは、僕が用意してみせるよ、って言うところよ?」


 普段ならば、聞き合わせとしてだいたい半日をかけて細かいところをすり合わせる。その後、演技の練習や道具作りが始まるのが、〈転がる羊〉劇団の常の流れだ。今回の『ハレウエスの乙女』は何度も公演してきたから、すぐに実務的な話に入ったが。


 そのままがやがやと打ち合わせを始める団員たちに、座長が声を飛ばす。


「ランタンの油もタダじゃないんだ。急ぎじゃなければ明日に回して寝るんだぞ、お前たち」

「「「へーい」」」


 当然。

 座長が鍛え上げた演劇馬鹿どもは、深夜遅くまで、天幕の中で騒いでいた。


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