■断章 英雄ザイルの足跡――あるいはゴルゴンの惨劇


 【物語】は、人を喰う。


 土を食って草が育ち、草を牛が食い、牛を狼が食うように、それは覆せない摂理である。

 【物語】から身を守る力がない立場の人間は、本を遠ざけるほかない。書物の管理は、騎士を擁する貴族の第一の仕事だった。


 ゆえに、大昔から、吟遊詩人が果たしてきた役割は大きかった。庶民にとって、物語とは、吟遊詩人が歌い上げる詩のことだ。彼らは歌と共に様々な表現を生み出し、磨き上げた。


 生み出された、あるいは再発見された表現のひとつが、演劇ロールプレイである。

 役を演じることで、物語の登場人物を掘り下げる。動きをつけ、会話を交わし、舞台を整え、やがて演劇を専門に行う集団が現れた。彼らは劇団と呼ばれ、物語の語り手として重要な位置を占めている。


 だが、問題がひとつ。

 独りで歌う吟遊詩人と違い、演劇を行うには複数の人間の協力が欠かせない。主役と脇役、語り手。大掛かりになれば、衣装に、音楽、大道具・小道具。各々で物語に対する認識が異なるのは当然のことで、そのすり合わせは必要だ。認識をある程度共有しなければ、いわば一頁ごとに書き手を変えた小説のように、まとまりを欠いた舞台になってしまうだろう。


 共有のために最も有効なのは、台本を作ることだ。台本とは、台詞や演出のト書きをまとめた本――そう、本である。

 【物語】は、台本や脚本からも現れる。


 数百年の昔、ある王国の都で大人気を誇った役者がいた。彼は王国一の役者であり、喜劇を演じれば寡婦を笑わせ、悲劇を演じれば子供を泣かせ、英雄譚を演じれば貴族すらも奮い立たせた演技上手だったという。王が観劇に来ると聞いた彼と彼の一座は、何としても最高の演劇を見せねばならぬと、密かに台本を作り舞台を整えた。


 残念ながら、最高の劇が演じられることはなかった。

 開演前に、台本から現れた【物語】が、劇団と観客のほとんどを殺戮したからだ。


 僅かな生存者と、苦悶の表情を浮かべた五百六十三体の石像が、被害の凄まじさを伝えた。

 現れた【物語】、伝承の怪物の名を取って、その事件はゴルゴンの惨劇と呼ばれる。


 台本や脚本を作ってはならぬ、と。演劇や詩歌に携わる者は、先達から必ず聞かされる事件であった。


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