■2 モンテ領地史
「賢き書物よ、偉大な巨人たちの足跡よ。我に知恵と力を授けたまえ!」
森を切り開いて作られた広場に、朗々と声が響いた。
声の主は、まだ年若い青年だ。迅虎族の証、丸みを帯びた三角の獣耳が頭部を飾っている。褪せた金色の髪を首後ろで括り、背中に垂らした髪型。まぶしい陽光にも負けず、真剣な表情で前を見ている。黒の瞳が見据える先には、一頭の竜が対峙していた。
竜を睨みつけ、手にした剣を大仰に振りかぶって、ゆっくりと振り下ろす。力感を強調する動き。上半身は裸で、しなやかに鍛えらえた筋肉を見せつけるように、剣で空を切る。
竜は恐ろしげにひと啼きして、木と布で作られた身体を舞台に横たわらせた。
じゃあん、と楽器が打ち鳴らされる。
固唾をのんで見守っていた観客の村人たちが、わあ、と歓声を上げた。
「――こうして」
舞台の袖から、女の声が響く。
屋外、詰めかけた観客が好き好きにわめいている中でも、後ろの方の観客まで届く声量でありながら、叫んでいるようには聞こえない。穏やかな調子で、物語の顛末を語る。
観客たちもすぐに静かになり、語りに耳を傾けた。
「書物から現れて人を喰らう【物語】、邪悪なる怪物は、英雄に打ち倒されたのです。竜は文字となって本へと還り、山々に平和が戻りました。英雄はその功績を讃えられ、当時の王から、怪物が支配していた土地に封じられました。その土地の名こそ……」
女は一度言葉を切る。
一拍。
観客が、足を踏み鳴らして応じた。
『モンテ! 平和と山しかない、我らがモンテ領!』
じゃあん、と再び楽器が鳴り、劇の終了を告げる。歓声と拍手に見送られて、英雄を演じた青年と、つくりものの竜が舞台袖へとはけた。
舞台といっても、村の近くの広場を借りて、丸太と幕で区切っただけの空間だ。舞台袖に入っても、興奮した観客の気配はすぐ近くに感じられた。
「お疲れさま、ノーマ!」
「おう、ありがとう」
英雄を演じた青年、ノーマは、差し出された布を受け取って汗を拭う。縞のある尻尾をぶるりと振った。迅虎族に人々が持つイメージ、しなやかな力強さを確かに備えた印象の青年だ。
秋に入りかけた肌寒い季節だが、演技を終えたばかりのノーマの肢体は熱い。
何しろ、竜と死闘を演じていたのだから。
雑用係の少女、メアリが、ノーマの手から剣を受け取る。剣は不自然なまでに白銀に輝いて、軽い。
「俺たちにもタオルをくれよ、メアリ」
「はいはい、お疲れさま! 今日のドラゴンもすっごく恐ろしかったわ!」
メアリは、同じく雑用をこなす少年ニギンと共に走り回り、布や水を配り、小道具や大道具を片付けていく。雑然とした様子を眺めながら、ノーマは片隅に座り込んで水を飲む。声を張っていた喉は、演技の途中では気付かなかったが、からからに渇いていた。
身体から熱が抜ける。劇団の仲間たちをぼんやりと眺め、英雄から、役者へと戻っていく。
「ふー……」
「お疲れ様。竜は手ごわかった?」
「お姫様を助けるためなら楽勝だよ、シエラ」
ナレーションをしていた女性、シエラが声をかけた。劇全体のナレーションに加えて、前半では怪物に襲われる姫の役も演じていたから、赤いドレスに身を包んでいる。
シエラはノーマと同年代の、劇団のヒロイン役だ。共に育ってきた姉妹のような女を見上げて苦笑する。
「客のノリがいいからな。舞台は近すぎるが、やりやすい」
「そうね。ご領主様が演劇を推奨してるんだっけ。劇の見方を知ってる人が多いのは、ありがたいこと」
「おかげで仕事にありつける。街中の大劇場は、領主お抱えの劇団しか使えないらしいって、座長が文句言ってたけどな」
視線を巡らせれば、座長が一人、観客を前に観劇の礼を述べている。
礼といっても、半分以上は次の宣伝であった。
「次回は、明後日。時間は同じく昼から。演目は古典最高の悲劇と名高き『ハレウエスの乙女』でございます。どうぞ皆様、我ら〈転がる羊〉劇団の舞台をお楽しみくださいますよう!」
正装風の衣装に身を包んだ座長は、六十絡みの伊達男だ。もとは吟遊詩人だったらしく、渋い声が良く通る。
次回の演目の宣言に、シエラの顔が曇った。
「やだなぁ、『ハレウエス』」
片付けを終えた大道具の数名がその呟きを聞きつけて、寄ってくる。
「いいじゃねえか、シエラが主役だろ?」
「お城のシーンは大道具的にも作り甲斐があるし」
「奴隷からお姫様への早着替えがあるのよ。肌の露出も多いし。座長め、男どもを釣るつもりかしら」
「はいはい! シエラが嫌なら、わたしがお姫様をやる!」
「はっはっは、メアリがお姫様をやるにはあと五年は待たないとな。背も胸も――痛ぇ!?」
「次は逆の脛を蹴るわよ! ね、ね、ノーマはどう思う?」
汗が引いた肌に簡素なシャツを纏いながら、水を向けられたノーマは考える素振りで一秒時間を稼ぐ。
期待に輝くメアリの瞳と、苦笑するシエラの視線を向けられて、重々しく答えた。
「メアリのお姫様役も似合うと思うぞ。立派なレディだ。……ピーマンさえ食べられるようになればな」
「いじわる!」
はは、と笑いが起こる。
挨拶を終えて客を帰した座長が舞台袖に戻り、パンパンと手を叩いて注目を集めた。皆、後片付けの手を止めて意識を向ける。ノーマも座り込んだまま、顔と、虎の耳を向けた。
「今日も良かったぞ。客の入りも上々だ」
「へーい」
「このまま名を売っていくぞ。気を緩めるな。前にも言った通り、村を巡るのはあくまで宣伝。本番はコナドの街での公演だからな!」
「街の劇場は、領主様お抱えの劇団だけって話じゃ?」
「そうらしい。我々の実力にふさわしい大劇場を使えないのは残念だが……今、広めの酒場を借りる話を進めている」
「実力ってなぁ……」
誰かが苦笑する声に、ノーマも頷く。
座長を含めて、総勢十一名。まともに演技ができるのは四、五名しかいない。各地を渡り歩く巡演劇団としては一般的な規模ではあるが、都市に根付いて、固定の劇場を持つような連中とは規模が違う。
「ふん。人数が多くとも、できる演目の種類が増えるだけの話だ。うちは粒ぞろいだからな」
「へいへい」
「また始まったよ」
「シエラの美貌は大陸一だけどな」
「確かに!」
「やめてよ、もう」
「とにかく! 明日は準備、明後日は『ハレウエスの乙女』だ。今夜は聞き合わせをやるから、皆思い出しておくように」
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