塩素漂う自慢の髪の毛

大柳未来

本編

「……ふごっ」

「おーい、起きて。夏樹なつき……? 授業終わったよー」

「ん、んぅー」


 机に突っ伏して寝てたから、体がガチガチだ。両腕を真上にぐっと伸ばす。

「そんな調子で勉強大丈夫なの?」

 隣には幼馴染のたすくが座ってる。夕方の教室から他のクラスメイトは居なくなってた。めちゃくちゃ寝ちゃってたらしい。


「ヤバい。でも朝練で体力使い果たしちゃってるから耐えられねぇんだよ……!」

 言い訳しながら髪をいじり始める。指通り最悪で痛みまくってる髪を手ぐしでガシガシすく。日に晒されたりプールで泳いでるせいでちょっと茶色になっちゃってるくらいだった。


「夏になるとずっと泳いでるもんね。この後部活は?」

「テスト前で今日は朝練だけ。帰ろっか」

「うん……あれ、どうしたの? 髪」


 手ぐしでとかしてたんだけど、毛先の方で引っかかってしまっていた。絡まりまくってぐちゃぐちゃになっちゃってる。

「あー、こりゃダメだね。切るか」


 さっさと切った方が早い。待たせるのも悪いし。筆箱からハサミを探してると、祐が声をかけてきた。

「待って。ボクに任せてよ」

「切ってくれんの? サンキュー」

「違うって。ほぐすんだよ。せっかく伸ばしてるんだしもったいないでしょ」


 祐はカバンから裁縫セットを出すと、針でぐちゃぐちゃになってる部分を触り始めた。こんなボロボロの髪なんて大事にする必要ないのに、丁寧にほぐそうとしてくれてる。


「いいよ時間掛かっちゃうし。帰り遅くなるぞ?」

「こういう細かい手作業好きだし、良いからじっとしてて」

「……やっぱ伸ばさない方が良かったか。今度バッサリ切っちまおうかな」


 ヘアケアは怠ってない……というとちょっと嘘になっちゃうぐらいガサツなんだけど、水泳部の練習でダメージは避けられない。それは分かってたはずなのに、どっかの誰かさんがロングヘアが好みとか言ってんの聞いたから伸ばし始めたんだ。結局、ガラじゃなかったってことだ。


「そんなことないよ。ボクは良いと思うけれど」

 祐は真剣な目つきで綻びがないか探してくれている。手がアタシと違って真っ白だ。コイツは昔っから縫い物が好きで、こういう作業が苦じゃないってのも本心なんだろう。

「だって……ボクは好きだし」

「あぁ、そっか――って好きッ!?」


「かっ、髪! こういう髪も好きって言いたかったの!」

 危ない。ビックリして立ち上がるとこだった。勘違いするようなこと言わないで欲しい。

「こんな髪が好きなんて変わってんなぁ。もっと黒髪ストレートでキューティクルな感じがやっぱ良いんじゃないの?」


「ううん、そういうことじゃないんだ。夏樹の髪はねぇ。夏樹の頑張りを教えてくれるんだよ」

 祐は優しい手つきで、一本、また一本と髪の結び目を解いている。絡まりが徐々にほどけていっているのを感じる。


「髪が痛んじゃってるのは、夏樹がそれだけ泳ぎに打ち込んでるってこと。色落ちだってそう。会うたび塩素の香りがして、夏樹の水泳部との向き合い方を伝えてくれる。だから好きなんだ。それに夏樹は、髪が長い方が可愛いし――」


「おっ? 髪が長い方が何だって?」

「何でもないから! ほら、ほぐし終わったよ!」

 祐はそそくさと針をしまうとそっぽを向いてしまった。口をすべらせちゃったのか? 耳が赤く見えるのは夕日のせいか、それとも――照れてんのか。


「全く、そこまで言われちゃしょうがねぇな! 切らないで伸ばしといてやるよ!」

「うるさいな! 早く帰ろう!」


 あはははは! と笑いながら祐と一緒に下校する。

 正直自分の髪に自信を持ててなかったけど。

 誰かさんのお陰で、塩素の香り漂う自慢の髪の毛になったってわけ。

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塩素漂う自慢の髪の毛 大柳未来 @hello_w

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