じここーていかんはおしまい!

 目を覚ましたら、見知った天井がふわふわとある。

 酷い頭痛がして、全身を包む不快感と少しの寒気が布団から出るのを阻んでいた。


「おはよ」


 その声に驚いて、体が竦む。

 寝返りする感じで声のする方を向くと、部屋のローデスクに頬杖をついて、私を見つめている葵が居た。

「多分あんた今二日酔いで死にそうだと思うから、色々買ってきたわ」

「……あり、がと」

 立ち上がった彼女はそのコンビニの袋から、スポドリとも水ともつかない飲み物を取り出して、私のベッドに置いた。

「水分、とっときなさい」

 体を起こしてそれを受け取ると、冷たくて、目が覚めるような気がした。

 半分ほどの量を飲んで少しだけ気分もマシになった頃、ようやくこの状況のおかしさを聞く気持ちになる。

「……昨日、何があったの?」

「できれば聞かないで欲しかったわ」

「え、そんなにヤバいこと、言ってた……?」

「……ああそう。忘れてるようだったら教えてあげる、昨日のこと」



―葵視点―



 栞の部屋の番号を押して、開けて、と伝える。

「わかった」

 声色だけ不自然に明るい震えた声がして、オートロックのガラス戸が開いた。

少なくとも、死んだりはしてないみたいで、一安心だった。

 

 彼女の部屋に辿り着いて、朝と同じようにインターホンを鳴らすと既に玄関前で待っていたようで、すぐにその泣き腫らした顔が目に入った。


 「……あがって」

 彼女はそれだけ言うと、居間に一人で歩き出していく。

 追いかけると、生活用品やリモコンが置かれた低い机の上に、アルコール度数が九パーセントの缶が二本。そのうち片方は倒れていて空だとわかるそれが置かれていた。

「一人で飲んでたのね」

「ちゃんと、葵を迎える勇気、無くて」

 量に反して既にかなり酔っているのか、素直にそう答える。

 その姿に悪いけど、こう、グッときてしまった。


 彼女がぺたんと座った方と反対側に腰掛けると、そのとろんとした目が、歪む。

「ごめん、なさい」

 目を拭いながら嗚咽を漏らしては何度も何度も、ごめんなさい、ごめんなさい、と繰り返している。

「別にいいわ。あんたが弱いこと、知ってるから」

 私が近づいて抱き寄せると、抵抗はせずに抱きしめられたままだった。

 背中を撫でてあげると、その度に意識してゆっくり呼吸しようとする姿が愛らしくて、ずっとこうしていたいような気もする。

 ただ、しばらくすると彼女が涙を拭う頻度はだんだん少なくなる。

「もう、大丈夫っ、だから」

 まだ乱れた呼吸をしているにもかかわらず、そう言われると離さざるを得ない。

 ゆっくり腕を解くと、彼女は座り直すように腕で床をぐっと押して少し後ろに下がった。

 沈黙が流れる。

 破ったのは、栞だった。

「葵はなんで、私のことが、好きなの」

 照れているのか、そう言うとすぐにお酒の缶を手にして口元を隠している。

「いきなりそれ、聞くのね」

 少し、笑ってしまった。

「……気になるから」

 妙に子供っぽいその話し方も、愛おしい。

 

「私はあんまり、他人が好きじゃなかったのよ」

「朝比奈さんに、聞いた。同じモデルの子に襲われたって」

 その答えは意外で、口止めした訳では無いが……流石に凪が勝手に話すことは無いだろうから、自分から聞いたのだろう。そんな努力だけで褒めたくなる。

 ただその気持ちは今求められてることではないから、無視することにした。

「そう。なら少し端折るわ」

「私はもう他人と関わらない。そう決めたの。どうせいいことなんてないって知ったから」

 ぐっと、栞の顔が驚いて、悲痛に歪んだ。

 優しくて臆病だからきっと、迷惑だったんだ、とかそんな風に自分を責めているんだろう。

「でも、あんたが話しかけてきた時にね、自分でもおかしいと思うけれどね」

「……嬉しかった、のよ」

 照れくさい。

 こんなこと、本当だったら言えないはずだった。

 ただ、その悲しい顔を見ると晴らしてあげないといけないような気持ちにさせられてしまう。

 少し、悔しい。

「まぁ、まさかあんな唐突に友達になってとか言い出すのは流石に無いと思ったけど」

 仕返ししたくてそう付け足すと予想通りというか、自分でも無いな、と理解したのだろう。彼女は耳まで真っ赤にして俯く。

 ただ、その状態のまま声を荒らげて言い返してきた。

「……でもっ!それって……!わたしじゃなくても、よかったってことじゃ、ないの……?」

 自分で言っておきながらその想像に辛くなったみたいで、最後の方はまた泣いて、言葉があやふやになりながら話している。

(泣き上戸って、こんな感じなのね)

 目の前で感情を顕にしている栞を見て、逆に冷静になってしまった私が居た。

「そうね」

「じゃあ、やっぱりまちが」

「でもそれだけじゃないから言ってんの」

「……なに」

 その声はこの子にしては不機嫌そうで素っ気ない。

 深呼吸して答える。

「あんたは私を、私として見てくれるから」

「……意味、わかんない」 

 彼女なりの、最後の抵抗。

 私は無視して畳み掛けた。

「そ、わからないならわからないままでいいわ。だけどね、私の好きって気持ちは誰にも、間違いなんて言わせないから。


それだけ」


 話している間、栞はずっと黙っていた。

 無抵抗のまま下を向いて何を言おうともしない様は、糸の切れた人形のようで、弱々しく見えた。

 その顔を両手で持って、無理やり私の目を見つめさせる。

 その目は、表情は、やけに不安そうだった。

「で、どうなのよ、あんたは」

「……なに、が」

「私のこと、好きかって聞いてんの」

「……っ」

 必死に目を横に向け逸らそうとしている様がいじらしく、嗜虐心をくすぐる。

 多少いじめても、文句は言われない気がした。栞だし。

「あと三秒で答えないとキスするわ」

「えっ!?」

「三」

「待って待って待って!」

「二」

「え、えと、その……!」

「一」

「葵の、ことは!」

 その声に、ひとまずおあずけされる。

 逃がさないように手は離さないまま、話を聞くことにした。

「……私だって。私だって、好きだよ……。今日、手を繋いだ時も、朝比奈さんから守ってくれた時も、今までのこともたくさん、嬉しかった……。

 でも、本当は今でもまだ、釣り合わないとか、そんなふうに考えちゃう、弱い私がいる、から。だから、私は……何も、言えない。……言いたくない。もし弱い私が出てきて喋ったら、きっと逃げちゃう、から。

……ねぇ、本当にこんな私でも、良いなら……嫌いになったり、しないなら……」

 そこから先のことを、栞は何も言わなかった。

(ああ、そういうこと)

 この子の言いたいことが、手に取るようにわかる。

 答えなかった罰として、私はカウントダウンを進めた。

 離した時には、溺れたみたいに荒い呼吸がして。

 世界に誰もいないような優越感が、今しばらく続いた。

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