なななな〜 なななな〜 レッツゴー 哀しみの向こう

 それから、一日はあっという間に過ぎて。

「楽しかったね」

「そうね」

 私と葵はコーヒーチェーンでそれぞれフラッペとコーヒーを買って、近くの自然公園のベンチで休んでいた。

 目の前の大きな夕日は黒い池に反射しながら、じわじわと夏の訪れを教えているみたいに、熱く、赤い。

(眩し……)

 その光景から、公園はデートスポットみたいに使われているらしく、周りにはちらほらと学生カップルと思われる人がいた。

 なんとなく気恥ずかしくて、話しかけたのにも関わらず私は上手く言葉を繋げられなかった。

「あんたのそれ、一口頂戴」

「……いい、けど」

 葵と私の間にフラッペを置くと、交換とばかりに葵も飲んでいたコーヒーを置いた。

 お互いの飲み物に、手を伸ばす。

「あまっ」

「にが」

 感想が出たのは、ほとんど同時のタイミングだった。

 不思議と体が強ばるくらい緊張している。

「ねぇ」

「うん」

「言いたいこと、あるんだけど」

 今更、葵があらたまって何を言おうとしてるのか、私には考えても分からなくて少し黙ったあと、素直に聞くことにした。

「……なに?」

「ちょっと、目つぶって」

 真っ暗な視界は、眩しい西日が少しだけ透けて、チカチカと、目を開けたくなる感じがする。


 一瞬、その日差しが、遮られる。

 唇が触れ合った。


 だからこそ、次に葵が何を言おうとしているのか、分かってしまう。

 忘れたはずの恋心が蘇ってきた。


 違う、


 目を開けると、逆光の中、顔を赤くした葵が目の前にいた。


「私は」


 だめ。私じゃだめ。


「あんたのことが」


 初めから諦めた私が、誰よりもダメな私が、葵の特別なんて、許されない。

 許されちゃいけない。


「そんなわけない……葵が、そんな……!」

 目頭に、熱が溜まる。

 私が急に泣き出したことに驚いたらしい葵は、続きの言葉を継げずにいた。

 気づけば私は、逃げ出していて。

 後ろから、葵の追ってくる足音は無かった。




 どうやって家に辿り着いたのか、もう覚えていないけれど、日は落ちていたからか、真っ暗な部屋が私を迎えた。

 電気をつけてもそこに住んでいるという実感が無くて、何となく虚しかった。

 ただクローゼットの引き出し収納から部屋着類を取り出すと脱衣所に置いて、メイクを落としてから、シャワーを浴びた。

 顔にかかるお湯は、いつも通りぬるめのはずが体温よりずっと熱くて、直ぐに止めてしまった。

 

 逃げるようにお風呂場から這いずり出て、部屋着を着ると、スマホの電源を入れる。

 通知は一つも入っていなかった。

 少しだけの安堵。

 何も考えたくなくて、なんでもいいから音が欲しくて、動画サイトを開く。ちょうど、よく見ている配信者の生放送中だった。

 普段は好きなその声も、今はやっぱりただの音としか聞こえない。

 欲しかったそれは、どうでもよくなって、すぐに消してしまった。

 リビングに戻ってテレビをつけると、猫の救助とか台風情報とかのどうでもいいニュースがやっていた。

 ベッドでひとり、膝を抱え込む。


「あぁ、ああぁぁぁ」

 何度目かわからない涙が、溢れる。


 葵は、勇気を出して言ってくれたのに、私は逃げた。

 最悪だ。

 どうして、こんな私が生きるのが許されてるの。

 最悪。

 許されるはずがないのに、世界は殺してくれない。

 最悪、最悪、最悪──



 でも、本当に、最悪なの?

 だって、元々は葵が無理やりキスしてきたのが悪いでしょ。

 私は悪くない、悪いのは、葵。


 そんな風に考える自分が居ることに気づいた。

 違うと言いたくても、私の心はどんどん弱くなっていって、同じ形を保てない。

 

「違う、そんなの、絶対に違う……」

 葵は間違ってなんかない。葵を否定したくない。

 どれだけ声に出しても、その二文字はどんどん小さくなっていく。

 自己嫌悪は留まることを知らずに、私の体を支配して、自分の手を首に沿わせて、強く絞めさせた。

 両手はしっかりと、包み込むように熱と痛みを与えてくる。

(苦しい)

 ただ、どれだけ力を込めても息苦しさとそれと同時に流れる涙以上のものは無くて、いつまで経っても終わる気はしなかった。

 

「……死んだ方が、いいのに」


 口にするといてもたっても居られなくて、ベランダの引き戸を開ける。窓の下には、植え込みと舗装された歩道。いつのまにか振っていた予報外れの雨がざあざあとうるさい。

 瞬きするとそれに混ざって一粒水滴が地面に吸い込まれていって、すぐにそれとわからなくなった。

 足がすくんで、その場にへたり込む。

 今飛び降りたら、雨はきっと冷たい。

 それだけのことで……思ってもない、ただの理由付けで、やめてしまった。

 こんな私ならきっと、他のどんな方法を試そうとしても、勇気が足りなくて、やらない理由を探して、諦めてしまう。

 自分がダメだと突きつけられているような気がした。


 葵からメッセージが来たのは、そんな時だった。

『今から家行ってもいい?』

『うん』

 私は自然と、そう返していた。

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