ええケツの朝

「おはよう、もう朝だぞ。起きた方がいい」

 やたらと声がいいアラームが、鳴り響く。

 勢いで買った推しキャラの目覚まし時計は今は恥とかを感じるまでもなく日常の一部になっていた。

 だから、無表情でベッドからもぞもぞとはいでて時計に激弱チョップをかます。

 黙ったそれは七時を示していた。

(ねっっっむ……)

 普段、休みの日は十時くらいに起きるのが習慣の私にとってはかなりキツい。

 それでも何とか体を起こすと、洗面台で顔を洗って頭を呼び起こす。

(支度しなきゃ……というか現地で九時半に集合って、なに?早くない?)

 普通ならばお店が開いてないその時間に、何故か駅二つ隣のオシャレシティに行くのが今日の約束だった。

 辛い、あまりにも辛すぎる。ただでさえ早起きなのに更にオシャレシティにはびこる若人の群れと対峙するとか無理すぎる……。

 まあでも、葵が隣に居てくれるなら何とかなる、かなぁ。

(待って隣に居るのが、葵?)

 その顔の良さと溢れ出るオーラのせいで人の目を集める絶世オブ絶世の美女が、隣。……なんか、マリオオデッセイみたいになっちゃったけど。

 つまりその、葵を見るついでに私と葵を比べられるわけじゃん。

(わーすっごい綺麗な人だー、隣の人はアレだけど)

 こうなるわけじゃん。

 うっわー、すっごい嫌になってきたなー!

「もう何着ればいいんだよぉ……」

 いつものオシャレニードルガードも多分彼女の隣だと無力になってしまうだろう。フェイントかよ。愚痴しか出ねぇよ。

 ヤバい現実から逃避を試みて部屋に戻ると、スマホを手に取って電源をつけてみる。

 その瞬間、妙案と称する半魚人で空手やってる私が殴りかかって来た。

(確認しろ私!お前にまだ残ってるものはなんだ!)

(……妹がいるよ!)

 ありがとう半魚人の私、お前が居なかったらどうしようもなかったぜ。

 早速ラインのアプリを起動して妹との会話を開く。

 抉り込むように文字を打つべし。


『我が妹よ』

『おーい』

『寝てる?』

 

 雲行きが怪しくなってきた。この時点で既に五分くらい経ってる。


『寝てるなおい』

『起きろ妹子』

『べ、別に起きなくてもいいんだからねっ』

『起きてよ!』

『おーーい』

『姉をそんなにいじめたいかー』

『謝るから助けて!!!』


 どれだけ送っても反応は帰ってこなくて、疑問は確信に変わった。

(絶対寝てるじゃん〜〜〜)

「いや、なんで寝てるんだよ、妹なんだから姉が呼んだ時には起きてろよぉ……」

 自然と愚痴が漏れる。

 これで、私の唯一の手段は断たれてしまった。

 改めて交友関係の少なさを突きつけられた気がした。くそう。

 かくなる上は、葵本人に聞くぐらいしか残されていなかった。


「た、す、け、て、と……。」

 葵とのトーク画面を開いて、ぱぱーっと打ち込む。既読はまだついていないけど、もう少ししたら返信が来て事情も説明できるだろう。

 よし、多分何とかなるはず……。


 私はベッドにスマホをアンダースローでぶん投げ……ようかと思ったけど普通に置いて、とりあえず朝ごはんを作ることにした。

 冷蔵庫の中は興味本位で買った缶チューハイやら、開けたままの蒟蒻ゼリーがごちゃごちゃと入っていて、何があるのかパッと見ても分からない。

 そこから感覚で液体味噌とカットわかめを取り出して、お湯に溶かした即席の味噌汁に、主食は昨日炊いたお米の余りをチン。

 そんなこんなの十分くらいであっという間に一汁零菜の朝ごはんができてしまった。

 土井善晴さんが見たら怒りそう、一汁一菜を唱えてたのに、とかどうでもいいことを考えたりしつつ、朝ごはんを膝くらいの高さの机に置くと、ついでにテレビの電源を入れてみた。

「今日の天気は一日中晴れで、かなり暑くなることが予想されます。日傘などがあると良いかもしれません。」

 ちょうど朝の時間だからか、タイミング以外は何も良くない天気予報が、微妙に嫌な情報を知らせる。

「暑くなるんだ、やだなぁ……外出たくないよ、ズズ、あ、お味噌汁うまっ」

 何事もなく、液体味噌に感謝をしながら朝ごはんを食べ終わり、食器を洗って、歯を磨いて、次何するんだっけ、なんて考えたその瞬間だった。


 ピーンポーン、とオートロックのマンションのチャイムが鳴る。


(え、こんな時間に誰……?宅配頼んだ覚えとかないし、そもそも部屋番知ってる人、ほとんど居ないはず……)


 恐る恐る、インターホンに近づいていく、すると追い討ちをかけるようにもう一度チャイムの音が鳴り響いた。

「ひっ……」

 出たく、ない……そんな思いで心が埋められていく。怖い人だったらどうしよう。そうでなかったとしても、なんでこんな時間に?

 とりあえず、出なきゃ。


 意を決して、ゆっくりと辿り着いたインターホンのディスプレイに映っていたのは、よく見知った親友の姿だった。

「葵……?」

 その瞬間、全てを察した。察してしまった。

 

 さっきの、メッセージ。『たすけて』

 あれ……どうなってる?


 急いでベッドに置いたスマホを取ってロックを解除すると、そのままスリープにしていたのかすぐさま葵とのラインの画面が現れる。

『何?』『どうかした?』『不在着信』『不在着信』『不在着信』

 律儀に五分おきにかけ直されているそれを、マナーモードになっていたスマホは命令通り黙らせたらしい。


 思い返してみてもいつそうしたのか心当たりは全くない。過去の自分を嘆きながら、どうしようどうしようと思考してみても良い解決策なんて一つも思いつかない。

 ピーンポーン。

 更なるチャイムがどんどん私を焦らせる。やばい。

「とりあえず、出ないと……」

 通話用の受話器を取ると、その瞬間葵の声が響いた。

「あんた、大丈夫!?」

 葵の借りてる部屋から私の部屋まではそう遠くないけれど、走ってきたのだろう、その声には荒れた息が混じっていて、私の申し訳なさを加速させる。

「……えっと、大丈夫だから、とりあえず上がって来て……開けるから」

 心痛の中、かろうじてそう答えるともう既に限界が来ていた私はすぐに通話を切ってオートロックのドアを開けた。

 ……ど、どど、どうしよう……絶対怒られる……。

 猶予は刻一刻と減っていくのに、私は受話器を置いた姿勢のまま、玄関のドアを凝視していることしかできなかった。

 一、二分して、玄関の方のインターホンが鳴った。諦めの溜息をつきながら扉を開けるとそこには、何らかの構えをして臨戦態勢殺意マシマシの葵が居た。

「あの、落ち着いて聞いて欲しいんだけど」

「何」

「多分葵が思ってるようなこと、何も起きてない」

「……は?」

 

 そこから起きたことは、語るまでもなくって。

 私が軽く事情を説明すると、はちゃめちゃに怒られた。

 正座から土下座のコンボをやって何とか許してもらったくらい。

「はぁ……本っ当にバカ」

「……ごめんなさい」

「まぁ、もうどうでもいいわ。とりあえず、コーデ考えればいいんでしょ」

 葵は、部屋のクローゼットをばん、と開け放った。ハンガーにかかったコート類や、引き出し収納がごちゃごちゃと窮屈そうにしている。

 葵は真剣な眼差しでじっ、とそれらを見回した後、床置きしたタンスの中身をひとまず確認するらしく、四つん這いになって全ての段を開け始めた。そこにはもう私が入り込む領域なんてないので、後ろからぼーっと眺めていると、否が応でも、その……おし、お尻が、その、目に、入っちゃう、訳で。別に見たい訳じゃないけど。今日の葵はスキニーのパンツなので、うん、あの、形がその、ダイレクトに出てて、たまに手に取った服を確かめるように立ち膝みたいなかんじになると、その、広がって、あ、あぁ、あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!

 私の中で、ひっくり返った猫が左側に下半身だけ写った。

 多分思考がショートしたんだと思うけど、落ち着いたのでよかった。あのまま続いていたら、なんていうか……その……下品なんですが……フフ……下品なので言いません……。

 とりあえず直接見ると目に毒だからやめよう、太陽拳の手で隠すイメージ、あ、でもクリリンじゃない方ね。クリリンは二本指だけどそれ以外はだいたいパーの手で、隙間いっぱいだけど直視じゃないだけでも幾分マシだから。

「何してんの?」

 いきなり、葵が振り返って、その手には薄橙色の長袖ブラウスと、えんじみたいな色をした、肩紐が付いてるロングスカートを持っていて、差し出すようにそれを前に突き出した。

「え、えっと、太陽拳の練習」

「坊主じゃなくてもいいのね」

 よかった、葵の知識がふわふわで助かった。いや多分何も助かってないしピンチでもないけど。

「選択肢が少ないから、もう少し普段から買いなさい」

「……はい」

 とりあえず、小言と共に受け取ったそれに着替えつつ洗顔やら何やらを終えて、肌の下地も整えた私はデスクにメイク道具と鏡を置く。しかしそれに移ろうとすると、葵に私の手に握られた道具をすい、っと奪われてしまった。

「メイク、私がやるわ」

「え」

 彼女は返事も聞かずに私にその整った顔を、その四肢を近づけてくる。仰け反った私がバランスを取ろうと片手をつくと、体とその手の隙間に葵の手が置かれる。

 わ、近い近い近い、顔がいい、なにこれなにこれなにこれ。

「ひっ」

「何よその反応……目つぶってなさい」

 言われた通りに目を閉じると、真っ暗になった視界で、私と葵の吐息の音と顔に触れる道具の感覚だけがある。

 なんとなく、くすぐったい。

「逃げないでくれる?」

「ひゃ、ひゃい」

 自然に後ろに傾いていた私の顔を近づける為だろう、首元にひんやりとした手が触れて、ぐい、と無理やり前に押される。

 それは別に十分にも満たない時間で、私が思ってるよりも早く終わりを告げた。

 葵が体勢を直して、ほぅ、とため息をついたのだろう、先程までよりも少し深い息の音がした。

「はい、おわり」

「え、もう……早くない?すご……」

 目を開けると、机の鏡には完成した私が写っている。普段私がメイクするのにかかる時間の倍早く終わり、素直に感嘆してしまった。

「あんたが慣れてないだけ」

 葵は少し照れたように、顔を背けていた。

「というか、そろそろ出なきゃじゃない。行くわよ」

 強引に話題を変えられる。

 ただ、元々今日の集合時間は九時半で、普通のお店が開くより明らかに早かったから、疑問に思っていたのは確かだった。

「そういえば、今日って結局どこ行くの?まだ九時にもならないけど」

「……私の知り合いの店よ」

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