第3話 近衛隊

「第七王女の……クラリス?」


 イマイチピンと来ない。

 ギルに言わせれば俺には常識が無いらしく、俺自身もその自覚はある。


 現国王のアドラス・オルゴノーツの名前と顔が分かるぐらいで他の王族や貴族については全然知らない。

 王族のオルゴノーツ家が少し特殊な家系で、現国王のアドラス自身はヒューマン族だが、女王から妾まで様々な人種を揃えている、と聞く。

 だから竜人族の王族がいても不思議ではない。


「ちなみに、あなたが一蹴したその男は私の近衛隊の一人よ」


 言われてみれば俺が蹴り倒した男は、この街の憲兵とは違う黒を主体とした制服を着ている。


 しかし、この少女が王女か。


「なによ、その顔。まさか私のことを知らないって言うんじゃないでしょうね」

「そのまさかだ。俺にはお前の顔も名前も全然知らん」


「はあ!?」とクラリスは素っ頓狂な声を出す。


「あなた、その制服を着てるってことは護衛学校の生徒でしょ! なんでそれで私のことを知らないのよ!」

「別に王族の顔や名前を覚える試験なんてなかったしな」

「当たり前よ! そのぐらいは一般常識の範囲でしょ!」


 と、言われてもなぁ。

 王族に会う機会なんてそうそうないし、自分から進んで王族について調べようなんて気にもならなかった。


「それに私、あなたが通う護衛学校の姉妹校の魔法学校に通っているのよ。それなのになんでわからないのよ!」

「魔法学校とか一度も行ったことないから知らねえよ。入れるとしても実践訓練が始まる二年生に進学してからだしな」

「ぐぬぬぬぬ……」


 クラリスは複雑そうな顔をして俺を睨む。

 王族と分かっても、いや、だからこそこの本はますます渡したくなくなった。


「おい! 人が口から血を流して倒れているぞ! 誰か医者を呼べ!」

「げっ、ヤバい!」


 クラリスの護衛を蹴り倒したことをすっかり忘れていた。

 蹴った感覚では命に別状はないはずだが、それでも王族の護衛を蹴り倒したのは相当な罪になるはず。


 俺は一目散にその場を離れる。


 いや、逃げてもあのクラリスとかいう少女に顔と学校がバレている。

 だが逃げずに残れば有無を言わされずに牢獄行きになるだろう。


 どちらを選んでも地獄行きには変わりないが、それでも俺は逃げを選んでしまった。


 狭い路地の壁と窓の取っ掛かりを使って建物の屋上へ素早く昇る。

 それから屋上伝いに蹴り倒した場所から出来るだけ遠くに離れ、アゼリュートの東にある噴水広場までやって来た。


「ふぅ……とりあえずここまで来れば大丈夫だろう」

「大丈夫って、なにが?」

「なにが……って、なんでお前までここにいるんだよ!?」


 振り返ればすぐそこにクラリスが立っていた。

 この華奢なお嬢様が俺の動きに着いてこれるとは思えない、なにか魔術的な仕掛けがあるはず。


「この本なら絶対やらねえぞ」

「あの護衛を蹴り倒したことをなかったことにすると言っても?」

「……………………やらねえよ」

「そう。……でも気に入ったわ」


 気に入った? なにがだ?


「あなた、私の正式な護衛にならない?」

「正式な護衛って、俺はまだ学生だし、それにもう学校は辞める予定だ」

「辞める? それはどうして?」

「才能が無いからだ。俺は学校では劣等生で通ってるんだよ」

「嘘を吐かないで。仮にも劣等生だとして私の護衛をマグレでも蹴り倒せる訳ないでしょ」


 嘘は吐いていない。

 実際護衛学校の成績順ならブービーだし、護衛に関して他のクラスメイトより優れているものなんてなにもない。

 強いて言えば、殺生関係なく戦うのであればクラス一だと自負するくらいだ。


「私は弱い護衛やボディーガードの類いが大っ嫌いなの」

「そうか、じゃあ俺のことも嫌いだな」

「でも、あなたは別よ。少なくとも私の護衛を一蹴できるほど強いし、なにより私にへりくだらないのが気に入ったわ」


 面倒臭いやつに気に入られたもんだ。

 しかしこいつから逃げようとしても、また魔術的ななにかで俺の近くに現れる、そんな気がする。


「姫様っ!!」


 またしても殺気を感じ、今度は後方にジャンプしてクラリスから距離を取る。

 俺がいた場所には剣が振り下ろされていた。


 その剣を振り下ろしている男の格好に、見覚えがあった。

 俺が蹴り倒した男の制服と同じものを着ている。


 ということは、この男もクラリスの近衛隊の一人か。

 肩まで伸びた長髪に顔はそこそこ整っており、見た目は俺と同じくらい若く見える。


「姫様、ご無事ですか! 先ほど大怪我をしたマルコから聞きました! 護衛学校の生徒にやられ、姫様を誘拐されたと!」


 大怪我をしたマルコ、というのはたぶん俺が蹴り倒した男の名前だろう。

 しかしこの短時間で意識を取り戻しているとは予想外だ。

 俺が怪我をさせたことは事実だが、まさかクラリスを誘拐したことにまでさせられるとは。


「待って、ジャック! その人は誘拐犯なんかじゃ──」

「チェストォォォォオオオオオオ!!!!」


 突然奇声を上げたと思えば間合いを一瞬で詰め、俺の脳天をかち割ろうとする。

 反応が遅れた俺は、避けるには間に合わないと即座に判断して頭上に魔術障壁を展開する。


 魔術障壁は万能な魔力の盾であり、術者の力量で自由に形を変え、物理攻撃から魔術攻撃まで様々なものを防ぐことができる。

 俺は他の人間のように障壁を大きく展開することは苦手だが、狭い範囲でどんな攻撃でも防ぐ自信がある。


 現にジャックと呼ばれた近衛隊の渾身の一撃を魔術障壁で完璧に防いだ。


「なっ、か、硬い!!」

「あっぶねえな。本当に俺を殺す勢いで斬りかかってきやがって」

「ふん、賊の癖に中々やるな。魔術障壁ごと貴様を切り裂くはずだったが、どうやら無理そうだ」

「なんか勘違いしてるけどよ、俺は別に誘拐犯じゃねえよ。むしろそっちの姫が俺を追ってくるストーカー──」

「ならば、障壁を砕くまで打ち込むまでだ」

「お前、人の話を聞けよ!!」


 流石と言うべきか、王族の近衛隊だけあってそれなりに出来るようだ。


 魔術障壁を全方位に展開しているので、ジャックの剣戟が俺の体に届くことはまずない。


 だが、逃げ出す隙もない。


 ジャック一人だけなら難なくこの場から逃げることも可能だが、周囲から複数の殺気の籠もった視線が俺に向けられている。

 たぶん何かしらの遠距離武器や魔術で俺を狙っている。

 魔術障壁を解いた瞬間、たぶん俺は四方八方から殺意を込められた攻撃が飛んでくるはず。


 絶体絶命、とまでは行かないまでも、流石に無傷でこの場から逃げられないだろう。


 と、ここでジャックが大きく隙を見せる。

 魔力を剣に注ぎ始め、次の一撃で俺の魔術障壁を壊す算段か。

 剣を大きく振りかぶり、それを俺に目がけて振り下ろす。


 が、その剣は俺にまで届かなかった。


「待てと言うのがわからないの! この人は誘拐犯じゃないわ!」


 俺の目の前にいたはずのジャックが、クラリスと入れ替わっていた。

 いや、違う。

 俺の立ち位置がクラリスの後ろに移動させられた。


 これは恐らくクラリスの魔術は転移、物や人の場所を移し替えている。

 だとしたらこの広場に突然現れたのも納得がいく。

 なにかしら方法で俺をマーキングし、クラリスはそれを追って近くに転移してきたのだろう。


「ひ、姫様、どうしてその男を庇うのですか!」

「庇うもなにも、ジャックが私の話を聞かないからよ」

「話? なんのことですか!」


 はぁ、とクラリスは大きな溜め息を吐く。


「確かにマルコを怪我させたのは彼だけど──」

「そうだ! マルコを怪我させた報い、その身で償って貰うぞ!」

「だーかーらー! 私の話を最後まで聞きなさい!」


 クラリスが間に入ったことにより、ジャック以外の殺気が消え去った。

 どうやらジャックは暴走気味な従者のようで、他の奴は冷静のようだ。


 今ならこの場から逃げることも可能だろう。


「じゃあなクラリス。あとはそいつに俺が誘拐犯じゃないってことを説明してくれ」

「貴様! 姫様を馴れ馴れしく名前で呼ぶとは不敬な!」

「あーもう! ひとまずジャックは落ち着きなさい!」


 上手い具合にクラリスとジャックを広場に置き去りにし、広場から遠離ることが出来た。

 あとはクラリスがなんとかしてくれると信じて、俺はアゼリュートの街を後にした。

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