【第23話】人ならざる者
カフェに入ってから30分が経った頃、アイさんがいつにもなく不安げな顔で呟いた。
「吉川ヤバいかも」
「え……?」
「相手が1人なら良いけど、何人もいたとしたら?」
「つまり、罠だと?」
「うん、そうだとしたらヤバい……」
「クソッ……!」
最悪の事態を考えた僕たちは、カフェを飛び出し、吉川が単身乗り込んだビルに向かった。
「吉川!」
「吉川さん!」
「ヨシ! どこにいる?!」
ビルの中は脆く、今にも崩れそうなほど腐敗していた。その廃墟に僕たちの声がこだまするだけで、吉川からの返答も物音すら聞こえない。
「ど、どうしよう……」
「大丈夫だ。彼は生きている」
狼狽えるアイさんをソルボンが諭した。
「本当に?」
「ああ、微かに彼の魔術の痕跡がある。だが、このビルにはもう居ないだろう」
「連れ去られたってこと?」
「そう考えるのが妥当だろう。見ると、彼の他にも魔術の痕跡がいくつもある」
「やはり罠か……」
「助けに行かなきゃ!」
「その通りだな。ソルボン、ヨシの痕跡を追えるか?」
「途中までは見えるだろうが、彼に辿り着けるかまではわからない」
「それで結構だ。行こう」
ソルボンの
道中、どうして吉川が連れ去られたのか、誰が連れ去ったのか、という疑問が生まれた。僕はギュッと拳を握りしめた。それは、恐怖心ではなく、怒りにも似た憎しみの感情が僕を包んでいた。
「ここで途切れているな」
「この中に……」
しばらく歩き、辿り着いた先は、パリ郊外にあるホテルの玄関だった。
「おそらくこのホテルの中だ」
「ソルボンありがとう」
「全員、ここから先は用心してくれ」
ジャックがそう言って入ろうとした時、扉が開き、10歳前後の女の子が僕たちを見つめたまま、立ち尽くしていた。その姿は、僕の中の警報を鳴らした。
(なんだ、この子……オーラが違う)
不思議なベールに包まれた彼女は、表情を一切変えないまま路地裏へと消えていった。
「なんだったんだ、あの子」
「こっちを見てたよね」
「ああ、しかも笑っていた」
ジャックの発言に、僕は驚いた。彼女は確かにこちらを見ていたが、笑っているようには見えなかった。それは、他の2人も同じ意見だったようだ。
「笑ってなんかなかったわ」
「ジャック、君とあの子には何かの縁があるのか?」
「い、いや、そんなまさか……」
「アレは人間でも魔術師でもないモノだ」
「彼女のことは知らないが、今はそれよりヨシの救出が先だ」
「確かにその通りだ。先を急ごう」
(あの少女の霊は、何を伝えたかったんだろう……)
僕は、何か引っ掛かっていた。
ホテルのフロントには、痩せた初老の男が受付をしていた。
「いらっしゃいませ、ご予約されていますか?」
「いいや、このホテルに日本人の男が来なかったかい?」
「申し上げられません」
初老の男は、ジャックから目を逸らした。僕は心理学者じゃない。それでも明白に分かる。この顔は、何かを知っている顔だ。
「嘘つけ! 居るんでしょ?!」
アイさんが怒鳴りつけるのを、ジャックが制止した。
「すまなかったね。だが、嘘はつかない方が良い」
「……」
「何か知っているんだろう? それなら教えてくれ」
「彼らには、関わらない方が良い」
「と言うと?」
男は、目を見開きながら続けた。
「奴らは、人間じゃない。君らも魔術師の類だろうが、奴らの比ではない」
「比じゃないってどういうこと? 」
「奴らは残忍で、魔術師も人間も、躊躇なく簡単に殺せる。魔法協定なんてあったもんじゃない」
「我々なら大丈夫だ」
「なぜそう言い切れる? たった4人で、お友達が救えると思うのか? 」
「もちろん、そのつもりで来た」
「呆れた者たちだ」
俯き目を細めた男を見た僕は、段々と歯痒くなってきた。
「僕たちなら大丈夫。貴方も自由にさせられる」
「君は……」
「
「君たちの友達は……」
男が何かを話そうとした瞬間、エレベーターが停まった。
「奥に非常用の階段がある。そこを登って3階に行くんだ」
「3階? 」
「ああ、急げ!」
僕たちは急いで階段に走った。エレベーターから、黒いローブを身に纏った数人が降りてくるのが見えた。
「何をしている! この裏切り者め!」
「急げ、走れ!」
叫び声と共に、強い閃光が男の体を包んだ。
僕たちは走った。後ろからは怒号が聞こえ、眩い閃光が僕たち目がけ飛んでくる。3階に辿り着いたところで、突然ジャックがくるりと方向を変え、立ち止まった。
「後ろは俺がやる。先に行け!」
「でも……!」
「早く行け!」
3人は、長い廊下を走り続け、突き当たりにある部屋でソルボンが立ち止まった。
「この中だ」
「よし、入ろう」
扉を開けた僕の目の前に現れたのは、この世のものとは思えぬモノだった。宙に浮いたそれは、僕に気づくと、鼓膜が張り裂けそうなほどの奇声を上げた。
「「キイイイイイイイッ!」」
「disparaître! 」
咄嗟にソルボンが呪文を叫び、ソレは忽ち姿を消した。悪魔が消えた煙の先には、仮面を付けた魔術師が立っており、その側には吉川が倒れていた。
「貴方がソルボンか。魔力は底をつき始めているようだが、御目に掛かれて光栄だ」
「そう言う貴殿は何者だ? 」
「私の名は、アラン・ガヌス。
この死遊軍とは、時計塔でジャックが話していた記憶がある。反時計塔を掲げ、世界を魔術と恐怖によって支配章としている連中だ。つまり、我々の敵ということだ。
「なぜ、吉川を襲った?!」
「おや、君の恋人だったかな?」
「冗談じゃない。早く返さないと、粉々にするぞ!」
「まあまあ、落ち着きなさい。私たちが欲しいものはこの男ではない。そこの少年だ」
「え……」
アランは僕を指差し、微笑を浮かべた。
「彼をこちらに渡せば、この男は返そう」
「ほう? なぜリュウキを?」
「彼の力は絶大だ。その力が目覚めれば、我々にとって脅威になりかねん」
「その前に殺そうっていうの?!」
「ああ、致し方あるまい」
アイさんはじっと僕を見つめる。長く居た吉川と、知り合って間もない僕とでは、秤にかけるまでもないだろう。
「リュウキくん……」
「アイさん……」
「小娘よ、まさかリュウキをあちらに渡すわけではなかろうな?」
「他に手がある?!」
「はぁ、恋は盲目とはよく言ったものだが、流石に呆れ返るぞ」
「仕方ないでしょ!」
ソルボンとアイさんが言い争っていると、アランは吉川に手をかざして見せた。
「言い争っている時間はないぞ、弱者ども」
「黙れ」
「貴様は……」
振り返ると、血まみれのジャックが、アランに杖を構えていた。
「ほう、時計塔の御曹司か」
「久しぶりだな」
「ふふ、その
「落ちるところまでに落ちたな、アラン」
「負け犬が吠えるな。力が欲しいなら私のところに来い」
「愚かだな。その力の代償が、どれほど大きいのかすら気付けないとはな」
「減らず口はそこまでだ。さらば、友よ」
2人の魔術がぶつかり、目も眩む程の閃光が部屋に広がった。
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