第5話 割に合わない取引

 宮瀬は小さく息をつき、無表情になって口を開いた。


「放課後しか使わないなら、地下の空き教室の方がバレにくくてオススメ。――じゃ、また明日」


 宮瀬は本も持たずに部屋を出ていく。

 余りの事態に一瞬呆けた俺だったが、我に返って宮瀬を追いかけに外へ出た。


「――宮瀬」


 名前を呼ぶと、宮瀬は足を止めた。

 しかし、振り返ることはしない。


「慰めなくていいよ。不安にさせてるって分かってたのに、何もしなかった私が悪い」


 宮瀬の声は固かった。


「違う。浮気した方が悪い」


 すぐに言い返した俺に、宮瀬は少し考えるように間を置いてから口を開いた。

 

「……私ね、悲しいとも悔しいとも、あんまり思わなかったんだ。最初から誠也に恋してなかったからだよ。それなのに付き合って……不安にさせた」


 宮瀬はぐっと拳を握りしめる。

 俺は彼女に向かってゆっくりと歩いた。


「……そうか。でも、宮瀬の言っていた取引は成立してたよ。君の彼氏の浮気相手は関口せきぐち乃愛のあって言うんだけどさ、彼女は一個下の学年の中では五本の指に入る美人だって有名なんだ」

 

「……そんな子いたっけ」


 ここで宮瀬は初めて振り向き、俺に問うような視線を向けた。


「完璧美男子の情報網を舐めるな。――で、それに対して君の彼氏はお世辞にも目立つ方じゃない。まあ、顔は中の上ってところだな」

 

「……人の彼氏、じゃないや、元カレに対してボロクソすぎない?」


 俺は口角を上げる。


「客観的な評価を下したまでだ。そんな彼が、君のように誰とでも付き合うスタンスって訳じゃない関口乃愛を射止められた理由。それは、彼が君の彼氏だったからだ」

 

「……っ」

 

「『あの宮瀬結羽の彼氏が、彼女よりも自分を選んだ』なんてことが分かったら、そりゃもう痺れるよなぁ」

 

「……」


 宮瀬は口を噤んだまま、俺の話を聞いた。


「――君は、彼女としてはお触り厳禁のせいで物足りなくても、アクセサリーとしての効果は絶大だった訳だ。だから、取引は完璧に成立してた」

 

「……そっか、うん。役に立てて、良かった」


 努めて明るく出された声が掠れかかっている。

 

 俺は目を伏せてしまった宮瀬を静かに見つめ、少し迷ってからその頭に手を乗せた。

 声のトーンを落とす。


 

「――もう彼氏なんか作るな。割に合ってない」



 ☆



 俺は一人で宮瀬の彼氏らがいた部屋の前まで戻り、再びドアを開けた。


「……」

 

上城かみじょう先輩……」


 どうしたら良いか測りかねた様子でその場に座り込んでいた二人は、帰ってきた俺を見上げた。


 宮瀬の彼氏、誠也は無言で俺を睨みつけ、乃愛は少し気まずそうに俺の名前を呼んだ。


「……なんで戻ってきたんだよ。お前は関係ないだろ」

 

「うん、関係ないな。ちょっと探し物をしに来ただけだよ」


 俺はこみ上がってくる何かを押さえこみ、にっと笑った。

 ――そう、俺には関係ないのだ。


「あ、あの、先輩……私、浮気とか何も知らなくて……」


 へぇ、のか。

 まあどうでもいいが。


 乃愛の言葉に誠也は顔を顰めるが、何か言ったりはしない。

 

 ここで彼女を責めたら宮瀬への腹いせに浮気をしたことが露見し、「そんなつもりはなかった」なんてことも言えなくなるもんな。


「……そっか。乃愛ちゃんも大変だったね」


 俺は部屋の一番奥の棚をゆっくりと開ける。

 ――中には、十五冊程度の文庫本が並んでいた。


 乃愛は、俺が出任せを信じたという手応えを抱いて言葉を続ける。


「刺激を求めて思わずこんなところで……でも、やっぱり先輩とのキスが一番でした。今でも忘れられないです」

 

「そりゃどうも」


 この期に及んで俺を誘惑する気か。

 その鋼の精神には脱帽だ。


「……はぁ? お前、乃愛にも手を出してッ!?」


 俺たちの会話を聞いているだけだった誠也が、堪えきれなかったというように声を上げた。


「あー、うん。二ヶ月くらい前かな」

 

「既に懐かしいです。こっちから『キスして』とかはっきりと言わないと絶対何もしてくれないので、ムードはあんまりなかったですけど」

 

「……まあ、そこは俺なりの線引きだから許してよ」


 俺たちの会話に、誠也は歯軋りをした。


「ふざけやがって! どうせ結羽にも……!」

 

「――宮瀬とは何もしてない」

 

 俺は言い寄って来る女の子しか相手にしないし、宮瀬は彼女を作る気のない俺に言い寄るような無駄なことはしない。


 よって手を出すはおろか、彼女とは学校以外で会ったことすらない。


 ……だが別に、誠也が根拠を持って俺を疑っている訳では無いことは分かっている。


 誠也の目に浮かぶのは、宮瀬に対する劣等感だ。


 宮瀬結羽の持つ目の覚めるような魅力を前に、彼氏が自分ではきっと裏切られてしまうという不安を掻き立てられている。


 ……これはもう、どうにもならないことなのだ。


 俺は目の前の本から一冊だけ、それを鞄に入れて部屋のドアに手をかけた。


「先輩……」


 乃愛が立ち上がり、俺の隣に来る。


「……あの、今度また会いませんか?」


 俺は腕に添えられた手を優しく離し、彼女にそっと微笑みかけた。


 

「――ごめんね。背徳感が好きな子には飽きちゃったんだ」


 

 

 






 

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