第8話 どこにでもあるお休みな話
村で服を受け取ったハジメとリン。
それからしばらくして、リンの生活は大きく変化していた。
それまでの彼女は、食事の準備と森の中に点在する瘴気を払うことを日課としていたのだが、ここに森の近辺に点在する村々の訪問が加わったのだ。
しかもこの訪問、ただ村を見て回るだけではなく村の周りに結界を張ったり村の困り事を聞いたりするのである。
リンに外に連れ出してと言われたとき、最初は「回復してきたし目的があることは良いことだしいっかー」などと気楽に構えていたハジメだったが、連日続く訪問と浄化に危機感を覚え始めていた。
瘴気の浄化だけでも相当体力を使うというのは、最初に倒れたことを思えば容易く想像できる。
それなのに、毎日毎日村々を巡っては結界だ魔物退治だ病人の治療だと駆け回る。
これではいつ倒れるか分かったものではない。
しかし、だからといってリンを静止する言葉をハジメは持っていないし、拾った頃とは変わった健康的なリンのことを思えば下手に止めるのもな、とも考えてしまう。
そんな風に悩んでいたハジメに、ふと天啓が降りてきた。
――そうか、止めなければいいのか!
こうして、ハジメの休暇計画が始まった。
※
休暇計画、とはいうがハジメはリンが気を休めるとき何をしているか知らない。
なので、自分の休暇を元に何をすればいいか考えた。
「……koreha、etto?」
まず、ハジメが行ったのは朝食の準備だ。
普段より一時間以上早く起きたハジメは、倉庫に大切に保管していた贅沢品を放出した。
それが、地岳竜の尾や黄金林檎、白銀梨と言った希少価値の高い高級食材を使用した朝食だった。
地岳竜の尾肉、その骨付き肉をステーキにして、黄金林檎を使ったソースをかけたステーキ。
そこに合わせるのは、黄金小麦を使ったパン。
止めに黄金林檎や白銀梨をそのままカットした盛り合わせだ。
朝から豪華な食べ物を優雅に食べる、そんな野望の為に隠し持っていた希少な食材を使った料理を前に、リンは戸惑いを隠せないようだった。
「ほら、冷めるから早く食べるぞ」
ハジメが食べだしたのを切っ掛けにリンもステーキに手を付けるのだが、その表情はどこか暗いもので。
だが、そんな表情はステーキを口に入れた瞬間に蕩けてしまう。
尾肉の中でも特と呼ばれる数百年に一度の品は、口に入れた瞬間に肉汁を溢れさせるのだ。
尾肉というよく動かされた肉のしっかりとした歯応えは肉を喰っているという感覚を否が応でも味あわせ、噛みしめる度に口に入れたとき以上に肉汁が後から後から口の中に溢れ出す。
だが、ただ歯応えがあるだけではない。尾肉の脂は口の中で容易く溶けていき、歯応えを楽しんでいる間にも肉が溶けてなくなってしまう。
だが、そんな無限に食えると言われる肉であっても、骨付き肉の大きさだとあまりの脂に口の中が飽きてしまうことは免れない。
そんなときに活躍するのが、黄金林檎と各種果物を混ぜたソースだ。
果物の甘味と酸味。黄金林檎の禁忌とも言える蜜の味が口の中を洗い流してくれる。
二人の間に会話はなく、カチャカチャという食器の当たる音だけが響く。
香り高く柔らかい黄金小麦のパンを皿に残った肉汁とソースに絡めて食べる幸福感。
そして、黄金林檎と白銀梨を丸々切っただけというあまりの贅沢品にリンのことなど忘れて一心不乱に食べ進めるハジメ。
「「ふぅ…………」」
フォークとナイフを置いて一息つくハジメ。
満足感は凄いが、同時に不満も感じてしまう。
やはり、見様見真似のレシピではなくきちんとした料理人が調理してこその高級食材。
あの舞い上がるような美味しさを味わえないのは残念でならない――
――って、俺が楽しんでどうするんだよ! 今回の目的を見失うんじゃない!
ブンブンと首を振って席を立ったハジメは、今回の目的を思い出して倉庫から新たに台と金属製のボウルを持ち出した。
そして両手に掌大の板状の魔具を持ったハジメはそれらを同時に起動して台のへこみに突き立てた。
『おいし水!! 清く美しく、飲んでよし澄んでよし!』
『氷結! これより現るは絶対領域! 何者をも寄せ付けぬ零の世界!!』
魔法の発動にギョッとした様子でハジメを見つめるリン。
注目が向いたことにニヤリと頬を上げたハジメは、いつの間にか準備していたナイフを振るい、水の魔法と氷の魔法二つを受けて空中に出来始めた角張った氷を削り取っていく。
煌めくナイフの軌跡しか見えないほど高速で振るわれるナイフと、それに合わせて削れていく氷。
空中を削られた氷が舞って幻想的に光を放ち、最後に小さなグラスに削った氷と可愛らしいハート型に削った氷を添える。
最後に黄金林檎のシロップをかければ、即席の削り氷の完成だ。
目を輝かせてパチパチと手を叩くリンの姿に、ちょっと得意げにナイフをくるりと一回転させて一礼したハジメが彼女の前にグラスとスプーンを差し出した。
グラスをまじまじと見つめ、一口口に入れて「んー!!」と身悶えするリンを見て「よしっ!!」と拳を握るハジメ。
掴みは上々と言っていいだろう。削り氷を堪能するリンを横目に、ハジメは次の準備を始めるべく機材の片付けを始めるのであった。
※
それからもハジメは子どもたちにも見せている魔法の劇やマッサージなど様々な手段でリンを休ませようと頑張った。
そして、夕方に差し掛かる頃ハジメの思う最後の休暇が始まった。
「よし、じゃあ今度は俺の前に座ってくれ」
少しふらついているリンにそう言うと、リンは恐る恐ると言った風にハジメの対面に座った。
彼女が座ったのを確認したハジメは、倉庫からテーブルを覆うほど広い台と、白と黒の手のひらほどの人形が収まった箱を取り出した。
そしてリンに一枚の石板を手渡すと、ハジメは人形を台の上に置き始める。
「じゃあ俺の国で流行ってた遊びの
軍駒とは、魔法の力で動く石の人形を使い敵の王様を倒す盤上遊戯のことである。
リンに渡した石板は軍駒のルールが書かれていて、呪文によって書かれた文字はあらゆる人に読めるようになっている。
この世界においても、魔力を込めた力ある言葉や呪文は言葉が分からなくても通じるということは実証済みなので、基本となるルールさえ分かれば遊べる筈だ。
それからたっぷり十分かけて説明を読み込んだリンは、慎重に王の駒を触ると呪文を唱えた。
『王よ、立ち上がれ』
彼女の呪文に応えて白色の王が立ち上がり、合わせて他の駒たちも各々鬨の声を上げる。
「よし、きちんと動かせるようだな。それじゃあ……」
その後も何度か呪文を唱えるリンを見たハジメは、早速リンに勝負を挑むのであった。
『開戦だ!』
さて、最初の内は破竹の勢いでリンの操る軍を壊滅させていたハジメだったのだが、数戦する頃には様子が変わってきてしまう。
『騎馬隊を前へ』
『続けて魔法部隊、森に火を放ちます』
「ぐ、ぬぬぬぬ…………」
現在遊んでいるのは森林地帯のステージ。
最初こそ押していたハジメ軍だったが、気づけば騎馬隊などに森に押し込まれてしまい壊滅寸前であった。
ハジメの軍駒の腕は並ほどである。だからずっと勝てるなどと考えていたわけではないのだが、それにしたってリンの順応する速度が早すぎる。
一戦目はダメダメだったのに、二戦目には駒の動かし方に慣れ、三戦、四戦もする頃にはハジメの戦術を真っ向から打ち破れるほどになっていた。
手加減していない状態でこれだ。ハジメは現状を打破しようと思考するが、どれだけ考えても消耗戦で押し込まれてしまう。
思考する制限時間が迫る中、困るに困ったハジメは盤外に置いていた特殊な駒を手に取った。
それは、ルール上問題ないが作り手とハジメたちが悪ノリで作った最強の駒。
卑怯もへったくれもないと、白銀と漆黒の二つの駒をハジメは繰り出した。
『魔王オウマ・サーゼイと暗黒騎士ハジメ・モリオクを召喚!』
『……えっ』
『オウマの力で魔法を無効化する!!』
『えっ、えっ!?』
『ハジメの力で自分の手番を二回に増やすっ!!』
『えっ……卑怯ですよッ!!』
「勝てばいいんだよぉ!!」
このまま押し切ってやる!!
「…………なん、だと」
などと意気込んでいたハジメだったが、眼の前の惨状に思わずそう呟いてしまう。
オウマとハジメの駒は半壊。そして、彼の王は討ち取られていた。
理由は単純である。手始めにオウマとハジメ、ハジメの軍を分断させたリンが確保していた駒全てを使ってオウマとハジメに対峙しつつ王を奇襲したのである。
最強の攻撃力と防御力を誇るオウマとハジメを盾にリンの軍勢を押しつぶそうとしたハジメが、万が一を避けるために後方に最低限の護衛だけで王を配置したことが敗因であった。
「ば、馬鹿な……最強の駒が敗北……? しかも始めて一日も経ってない素人にだぞ……? 嘘だろ……?」
しかもただ負けたわけではない。卑怯卑劣な手を使って敗けたのである。完全敗北である。
身体の底から沸き起こる恥ずかしさに全身を掻き毟りたくなりながら「ォォォォォ……」と悶えるハジメ。
悶え苦しむハジメだったが、そんな彼の耳に小さな笑い声が届いた。
「ふっ……フフッ」
「…………あっ、わらった」
口元に手を当てて、鈴が鳴るような声でリンが笑ったのである。
驚いて顔を上げたハジメの前で、肩を震わせながらリンが口を開いた。
『今日はありがとうございます』
「お礼なんていい。俺が勝手に付き合わせただけ、だーーああっ、なんでっ!?」
ガタンッと椅子を飛ばしてハジメが叫ぶ。
『あ……ごめんなさい、急に話しかけたりして』
「それはいいけど……えっとこれはまさか、嘘だろおい……」
『……やっぱり貴方の言葉は分かりませんね』
眉尻を下げて困ったように言うリンだが、そういった変化に付き合っていられるほどハジメには余裕がなかった。
呪文や力ある言葉が異なる言語を操る種族に対してコミュニケーションを取る一助になるというのはハジメもよく知るところだが、なんの補助もなしにそれを実践できるのは異常だった。
『とても驚かれていますね、ごめんなさい。でも、こうして言葉に魔力を込めるのは詩で慣れているので、やってみたら出来たみたいです』
「いやいやいや、そんな簡単に出来るなら皆淫魔族だぞ。言葉に力込めたからって通じるわけじゃねーんだぞ!? お前とんでもないなほんと……」
なんの前準備も無しにそういうことができるのは、才能ある魔法使いか元々そうした声を魔法にする力を持っている鳥人族や淫魔族のような種族だけだ。
『あの……もしかして、私が話すのは迷惑なことなのでしょうか?』
「えっ? いやいやそんな迷惑なわけない。むしろ聞けて嬉しいくらいだ」
『……なぜあの子達のように私に語り掛けてくれないのですか?』
「あっ? あー、ああ、ああはいそういうこと」
リンの言葉の意味を一瞬理解できなかったハジメだったが、子供たちと言われて納得した。
彼女はハジメがしていた劇を聞いていたのだ。
それなら、彼女が自分と同じように魔法で言葉を交わせると勘違いするのも無理はない。
「ああ、えっとそうだな……石板と、あとはこれとこれか」
ハジメは彼女に事情を説明する為にいくつかの駒を選び彼女の前に置くと、石板を読み始めた。
『騎馬、森林などの地形を苦手とする。兵士、どの地形も苦手ではないが魔法使いによる攻撃を苦手とする』
『……えーっと?』
『駒の種類によって得手不得手が存在し、それを見極めることが勝利の近道だ!』
『……もしかして、話せるわけじゃないんですか?』
リンの問いかけに頷くハジメ。
ハジメの劇が子どもたちに理解できる呪文になっている理由は、人形を動かすための呪文を物語として組み込んでいるからである。
路銀稼ぎと鍛錬として昔から使っている技ではあるが、これは魔法を使う対象があって初めて成り立つものであって、リンのように日常会話を行えるようなものではないのだ。
『魔法を使用するときは、魔法を使う対象を選択して使用します。兵士や魔法使いは山などの地形を移動するとき移動力を足され動きが鈍くなります。真に必要なときのみ、特別な駒は使用できます。自分か相手の王を先に倒したほうが勝ちになります』
『………………呪文を言葉にすることは難しいけど出来ないわけではない。でも日常生活で使うには難しい? でもどうしても必要なときは使える? 使えるかもしれない?』
リンの呟きに頷くハジメだが、リンは彼の仕草を見ることなく腕を組んでブツブツと呟き出した。
『でも、あの時確かに話しかけてくれたよね……? 無意識にやったってこと? でもそれってつまり、あれは必要だと思う特別な瞬間だったってことになるよね。じゃああれって本心ってこと――ッ!?』
弾かれたように顔を上げるリン。
唇を戦慄かせ、頬を朱に染めたリンに首を傾げていると彼女は震えながら呼吸を整える。
そうしてまだ朱色を残したまま、引き締めた表情でハジメに向き合った。
『今日はありがとうございました。私のために色々やって下さったんですよね』
「いやその、途中から俺が楽しんじまってたけどな……」
流石に軍駒に最強の駒はやり過ぎだった。
今日の立ち振る舞いを思い出して、たはは、と頭を掻く。
『ああやって楽しんでもらおうって催し物をしてくれたり、こうして一緒に遊んで貰うのって初めてだったので、凄く……凄く、嬉しかったです』
目を閉じて噛み締めるように言うリンの姿に、今までどんな生活をしてきたんだと思わず考えてしまう。
と言っても彼女の生活は容易に想像できる。
大方、休む間もなく働き続けていたのだろう。だが、ここではそうはさせない。
「なにか勘違いしてるようだけどな。……あー、あーあー、私は貴女に伝えたいことがあります。わたしは――面倒くさいな勢いだ勢い」
ハジメは席を立ってリンの側まで近づくと、腰を低くして彼女と目線を合わせた。
生気を取り戻しつつある碧い瞳としっかりと見据えて呼吸を整える。
最悪、意思さえ伝わればいい。でも、しっかりと伝えたい伝わってほしいとハジメは言葉に魔力を込めた。
『次は、釣りにでも行くか?』
きちんと言葉として伝わったかは分からないが、嬉しそうな表情に比べればそんなものどうでもいいことだった。
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