第4話 どこにでもある彼女の力の話と……

「リン、大丈夫だったか?」


 異形たちの襲撃からすぐに、ハジメはリンの元へと駆け寄って声をかけるのだが、リンは気圧されるように数歩後ろに下がった。


 顔に浮かぶわずかな警戒の色に首を傾げるハジメだったが、自分の格好を思い出して、ああ! と声を上げた。


 武装している自分を彼女は見たことがないのだ。警戒するのも無理はない。


「ごめんな、俺だ、ハジメだ」


 ハジメは兜をとって素顔を晒す。


 ハジメの顔を見てようやく、鎧の男がハジメだと分かったらしく目に見えて表情から険がとれる。


 リンの力が抜けたのを見たハジメは、今度こそと大股でリンに近づいて彼女の両肩に手を置いた。


 ビクッと肩を跳ねさせるリンの戸惑いをよそに、ハジメは肩、腕、とポンポンとリンの身体をくまなく触っていく。


「痛いところとかないか? 攻撃が当たってた様子はないけど怪我してから戦ってなかったんだし、肩とか、そうだ、足とかどうだ? どこか痛むか?」

「――da!! daizyoubudesu!!」


 しゃがんでリンの足首に手を置いたとき、リンの身体が跳ねてハジメから数歩飛び退いた。


 頬を赤く染めながら大声で無事を知らせるリン。


 言葉の意味は分からないが、今の動きから痛む場所がないことを確認したハジメは、ならいいや、と立ち上がり腕を組むリンの手の甲を見た。


「あっ、傷ついてんじゃねえか!?」

「――えっ?」


 さっとリンの手をとって手の甲を見るハジメ。


 彼女の手の甲には、戦いの中で出来た大きめの引っかき傷が出来ていた。


 傷を負うような戦いはしていなかったはずだが、なにかの拍子に爪か何かが当たってしまったのだろう。


「こういうとこから毒が入ると怖いんだぞ。大いなる、力の……あー『とにかく癒えろ毒を抜け、癒やしの炎!』」


 青紫色の炎がリンの腕を覆い、一瞬で消える。


 炎が消えたあとには、引っかき傷はなくなってしまっていた。


「これでよし。さて、と……これどーすっかなぁ」


 コレ、というのは二人の周囲に積み上がった死骸の山だ。


 ハジメはこうした異形を解体して近くの村での取り引きに使っているのだが、解体するには数が多すぎるし、仮に解体できてもこの数を取り引きに使うのは現実的ではない。


 困ったな、と腕を組んで頭を悩ませるハジメの横にリンが立つ。


「なあ、何か良さそうな――?」


 いい案はないか、そう問い掛けようとしたハジメは、リンの表情を見て口を閉じてしまう。


 背筋を伸ばし、まっすぐ前を見ている姿は普段と変わらない。


 だが、引き締まった表情と鋭い眼光は彼の知らないもので。威圧感すら感じる雰囲気に呑まれそうになる。


 リンは、すぅ、と息を吸うと胸に手を当てて歌を歌い出す。


『――』


 彼女が普段使っているものとも違う言葉。しかし、その言葉の意味だけが脳に直接響く。


 天地に神に祈る。摂理より外れし哀れな魂。安らかに眠れ。


 歌が始まってすぐに変化は現れ始めた。


 周囲の死骸がわずかに発光し、魔力となって分解され始めているのだ。


――この歌は呪文? 力ある言葉を使っているが、何か大規模な魔法の詠唱……いや、この歌そのものがこの動物たちを魔力として分解している?


 一分ほどで歌は終わり、死骸のほとんどは分解されて残っているのはわずかなものばかり。


 これなら掃除は楽だな。そう考えていたハジメの腕を、リンが引っ張った。


「onegaisimasu。watasiwomorihetreteittekudasai」

「森……? お前が行かなきゃいけないのか?」


 腕を引き、森の方を指差すリンの仕草を見てそちらに行きたいのか問い掛けると、リンは同意するように頷いた。


 彼女の力について気になることは多いが、料理以外で明確な目的を持って話しかけてくることはなかったリンの願い。


「どこに行けばいいんだ?」

「attidesu」


 そうして、兜を被ったハジメの腕を引き、彼女が指差す方へと歩き始めるのであった。







 しばらくリンの先導で森の中を歩いていたハジメは、やけに静かな森の様子に違和感を覚えていた。


 聞こえてくるのは自分たちの足音だけで、鳥のさえずりどころか風で木の葉が擦れる音すらしない。


 命の息吹を一切感じない、そんな森の様子に否が応でも緊張してしまうハジメ。


 片手をグーパーと握り緊張を逃しているハジメと違い、リンは時々キョロキョロと立ち止まって周りを見回すことはあっても先導する姿に迷いはない。


――どこに連れてくつもりだ?


 この森の地理は彼女より自分のほうが詳しい。この森には彼女に関係するものは何もないはずだ。


 そう思考が逸れたのが悪かった。


 ガサッという音にそちらを見れば、リンがハジメのことを置いて先々茂みの奥へと進んでいた。


「おいこらっ!?」


 慌ててハジメも急いで茂みに入った。


 茂みに隠れた木の根に足を取られ、眼の前を倒れた木に邪魔されながら軽々と進む彼女の背中を必死に追いかける。


「あーもう、なんで急に走り出したりなんかっ!? なんだこれ気持ちわりぃ……」


 そして、急に立ち止まったリンの背中に文句をつけようとしたハジメは、彼女に近づこうとした途端に身体に纏わりついた不快感に足を止めて、顔をしかめて腕で顔を庇った。


 ハジメの眼の前に広がっているのは、小屋の周りのように森の中にぽっかりと空いた穴。


 しかし、小屋の周りと決定的に違うところがある。この場所に命の気配がまったくないことだった。


 草木は変色し、泥のように固まった土。なにより身体に纏わりついてくる濃密すぎる魔力。


 ハジメは、魔力溜まり、という魔力が堆積した場所を何度か見たことがあるが、これはそういうものではない。


 堆積した魔力が澱み、ヘドロのようになって纏わりつく。そして、纏わりついたものを根っこから腐らせているのだ。


 魔力、と呼ぶよりは瘴気と呼んだほうがいいだろうか。


「なんでこんな……おいっ!? 早くそこから離れろ!!」


 原因は定かではないが、魔力を操るハジメですら怯んでしまう瘴気。これをそうでない人が浴びればどうなることか。


 瘴気の中心に立つリンに声をかけ、心なし呼吸を少なくしてハジメがリンに近づいた。


 広場の土を踏みしめる度に、ハジメの身体が重くなっていく。


 そんな時、不快感に顔を歪めていたハジメの耳に歌が聞こえてきた。


 この歌は少し前にリンが歌っていたものだ。


 天地や神への感謝、魂が安らかに眠るようにという祈りが込められた歌。


 変化は劇的だった。


 場の瘴気がリンの身体へと吸い込まれていき、それが光となって空気中に霧散していく。


 瘴気の流れは旋律となり、歌がより力強く響く。


 彼女の周りを照らす光は、彼女の姿を幻想的に彩っていく。


 その光景はあまりにも現実離れした美しさで、ハジメは呼吸も忘れて見入ってしまう。


 歌が始まってどれだけ経っただろうか? 気づけば不快感はなくなっていて、瘴気なんてなかったように広場の空気は澄み切っていた。


「なんなんだ一体……お前は何を知ってるんだ……」


 異形の群れの襲撃に、それを撃退して謎の歌で瘴気を払うリン。


 一日の出来事にしては多すぎる、と額に手を当てたハジメは、言葉が分からないなりに彼女に説明をしてもらおうとリンに近づいた。


「とにかく、早く帰るぞ。こんなと居たら身体が悪くなる――おいっ!?」


 歌い終わっても微動たりとしないリンに声をかけ、彼女の肩に手を置いたハジメ。


 そのまま少し力を込めると、リンの身体がぐらりと揺れた。


「どうした!? おいっ、おいっ!? とにかく戻らねーと……ッ!!」


 糸が切れたように崩れ落ちそうになるリンの身体を横抱きにして、ハジメは小屋へ向かって走り出すのであった。










「フェイグ様! 本当にリンド姉様は戻ってこられないのですか!?」


 エーゲモード王国王宮の庭で、一組の男女が話をしていた。


 一人は未だ幼さの残る顔立ちの金髪の少女。もう一人は、柔和な笑顔が特徴的な金髪の青年だ。


 二人ともそれぞれ上質な生地をふんだんに使用した衣服を身に纏っていることから、高貴な身分であることが伺えた。


「本当のことだ。彼女は己の身体が魔物になる寸前、私に言ったのだ『フェイグ様はお逃げください。私が必ず魔物の大侵攻スタンピードを収めてみせます』と」


 涙ながらの少女の叫びに、大袈裟な仕草で悲しみを表現する青年、フェイグ。


「で、ですが姉様は言いました。必ず帰ってくるからって」

「だが、事実なんだよ。彼女は魔の森に入り、君たちの為に命を賭して聖女の使命を果たしたんだ」

「そ、そんな……でもっ!」

「事実なんだよ、アンフィ。どれだけ悲しくても、リンドヴルム・ウル・ドラコメインの死は受け入れなければいけない。次の聖女は君なんだよ? アンフィ」

「で、でも……」


 ううっ、と静かに涙を流し始める少女――アンフィに困ったように語りかけるフェイグ。


 そうしていると、フェイグの側に一人の男性が駆け寄ってきた。


「なに? ……分かった。アンフィ、今は悲しいと思うけれど、いつか必ず君のお姉さんの想いを継がないといけないよ」


 彼の耳打ちに頷くと、フェイグはアンフィの身体を優しく抱きしめて足早に庭を後にする。


 フェイグの慰めなどまったく聞こえていないアンフィを一人にして。







「なんの痕跡も見つからないだとッ!!」

「は、はい。いくら探しても布切れ一つ見つからないのです」


 アンフィを置いて王宮の自室に戻ったフェイグは、側近の男性の言葉に声を荒らげていた。


「では、彼女は生きていると?」

「い、いえっ! あの時確実に毒矢が貫通するのを見ています! それに、攻撃魔法も何発か食らっていました。いくら歴代最強と名高い魔の聖女と言えど、一溜まりもないでしょう」

「では、死体の一つも出ないのは何故だ?」

「ま、魔物によって食われたものかと」

「馬鹿者がっ! あの化け物が毒を食らった程度で魔物ごときにやられるものかっ!! 魔力どころか瘴気すらも取り込む魔女だぞ!!」


 癇癪混じりの怒鳴り声に、側近の男性が震え上がる。


「すぐに捜索隊を再編成し、あの魔女を探し出せッ!! 可能ならその場で殺しても構わんッ!!」

「は、はいっ!!」


 アンフィに見せていた柔和な表情はなく、目を吊り上げ威圧するように怒鳴りつけるフェイグに、泡を食って部屋を出ていく男性。


 その背中に、ふんっ、と鼻を鳴らしたフェイグは荒々しく椅子に座ると親指の爪を噛み始めた。


 王や実兄を陥れて手に入れた実権だというのに、それをあの魔女が邪魔をする。


 婚約者、などと自分に迫ってきたが、護衛すらつけず常に結界巡りと魔物の討伐に勤しむ異常者など願い下げ。


 アレと比べればアンフィ嬢のなんと可憐なことか。あれほど恋い焦がれた女性は他にいない。


 ようやく暗殺の手筈も整えたというのに失敗。挙句の果てに『多分死んでるから大丈夫』だと?


「ふざけるなぁあああっ!!」


 机の上のものを薙ぎ払い、肩で息をしながらフェイグは吠える。


「なにが大侵攻スタンピードだ! なにが聖女として、だ!! 現に何も起こっていないではないか!! 人でなしの分際であれこれ指図しやがって! お前さえいなければアンフィの身体も、父上や兄上の力も俺のものだというのにッ!!」


 彼女を殺そうとしたところまでは良かったのだ。


 父を毒に犯し、兄を幽閉し、目障りな聖女は排除した。


 なのに何故か上手く行かない。上手く行っているはずなのに、自分の一番欲しいものは『姉様』『リンドヴルム様』と頷かない。


 それがあまりにも癪だった。そして、魔女の生存を信じている者たちが恐ろしかった。


 あの魔女が本当にまだ生きていて、自分にその力を向けてくるのではないかと想像してしまって。


 だからフェイグは今日も指示を出すのだ。


「魔の森にいる聖女を探し出せ、そして殺せ!!」


 兵士たちの犠牲を強いて、フェイグは今日も目を血走らせるのであった。

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