第2話 どこにでもある拠点での話

――昨日は凄かったな……。


 早朝、日課の畑仕事をしながらハジメは昨晩の出来事を思い出していた。


 幼い子供のように泣く女性は、糸が切れたように眠るまでずっと泣きっぱなしだった。


 最初は、ご飯が美味しくなかったから泣いたのか? などと思っていたハジメだったが、彼女が泣き出すまでの時間を考えるとその線は薄いと考えられた。


 自分の言葉か、それとも行動か。とにかく、何かが彼女の琴線に触れたといいうことだけは分かる。


 なら、その琴線とは何か? と考えたところでハジメは首を振った。


「気にしても仕方ないだろ。俺には関係ねーし……」


 俺には関係ない、と口にしつつも、あんな風に泣いてあんなにボロボロになっている女性のことがどうしても気になってしまうハジメ。


「あーもう! 気にしてもしゃーないだ――」

「ano!!」

「ぉわあっ!?」


 背後から声をかけられ悲鳴を上げて跳び上がるハジメ。


 胸を押さえて振り返ると、そこには目元を赤く腫れさせた女性が立っていた。


 隈は酷いし髪はボサボサ頬も痩せてしまっているが、見つけたときと比べれば少し顔色は良くなっている。


 改めて日の下で女性を見たハジメは、へぇ、と心のなかで呟いた。


 波打ち枝毛だらけのくすんだ金髪に、目元を染める深く濃い隈と痩せて削げてしまった頬。


 そして感情を伺わせない生気を失った碧い瞳と血が通っていないような白い肌。


 それだけを見れば死人のように見えてしまうが、よく見れば柔らかな目尻や形のいい眉にスッと一本線の入ったような鼻梁と顔の造形自体は美しく、もし健康的な姿だったならさぞ美しい女性だっただろう。


「……何か用か?」


 ハジメがそう問いかけると女性は困ったように口をモゴモゴと動かして、少し間を開けて口を開いた。


「watasinokotobahawakarimasuka?」

「…………はい?」


 彼女の口から放たれた言葉に、思わずといった風に聞き返してしまうハジメ。


「……wakattenaidesune」

「…………あー」


 女性の言葉は故郷の言葉とよく似た響きをしていたが、それがどんな意味をしているのか全くわからない。


「…………よし、飯にするか」


 日もかなり上がってきたので、朝食の催促でもしているのだろう。


 そう判断したハジメは、彼女に一言声をかけると小屋に向かって歩き出すのであった。








 台所に立ち、薪を押し込んだ竈の前にしゃがみ剣を向けて引き金を引く。


『炎の威! 森羅万象を焼き尽くす我が炎!』


 魔法が発動され、剣先から火が放たれる。


 少しの間薪を焼き、火が移ったことを確認したハジメは魔法を止めて立ち上がった。


 と、すぐ横に気配を感じてそちらを見ると、興味深そうに女性の視線が剣と竈を行き来している。


「なんだ、興味があるのか?」


ハジメが問いかけるが、女性からの反応は薄い。


 とはいえ、女性の視線の動きからして興味があるのは確かだろう。


「これは魔具。俺たちが魔法を使うのに使う道具だ」


 女性に見えるように剣を両手で掲げて説明を始める。


 ハジメの魔具は全長150cmほどの剣だ。


 刃全体が黒く、鍔は金、柄は赤い革が巻かれていた。


 その刃はぶ厚く、剣先にかけて扇状になっていて、刃には何本も透明な線が入おり、その中には何か変な模様が描かれている。


 角張って威圧感を放つ意匠の施されたつばには、中心に嵌め込まれたはめこまれた赤色の宝石。


 おおよそ剣と呼ぶには装飾過多な派手な剣。


「ここにある宝石、魔石っていうんだが、ここには魔力が込められてるんだ。で、これをこう嵌めて、そうしたら認識するから、あとはここの引き金を引く」


 ハジメが魔石を一度外し再度嵌め込むと『魔石装填!』と剣から声が響く。


 引き金を引けば『炎の威! 森羅万象を焼き尽くす我が炎!』と再度声が響き、剣先から炎が吹き出す。


 眼の前で急に炎が吹き出したことに驚いた女性が飛び退くのを見て、クスリと笑いながらハジメは火を消した。


「ま、これが俺たちの魔具だ。これのお陰で俺たちは道具も呪文もなしに魔法を使えるように……つっても分かんねーよな」


 目を白黒させる女性の姿に苦笑しつつ、ハジメは鍋の水が沸騰し始めたのを見て壁に取り付けられた棚からいくつかの瓶を取り出した。


 白や黒、赤色の粉末が入ったそれらはハジメが所持していた調味料の類だ。


「座って待っててくれ。すぐ作るから」


 コンソメを入れ、塩と胡椒で味を整える。


 それから手早く野菜を切って入れ、火を調節しながらパンを切っていく。


 そうしていると、女性がまだ自分の後ろに立っていて瓶の方が気になっていることに気づいた。


「舐めてみるか? 独特な味がするぞ?」 


 ハジメが女性に瓶を渡して調理に戻る。


 女性はしばらくハジメと瓶を交互に見ていたが、一呼吸おいて心を落ち着けると瓶の蓋を開けて匂いを嗅ぎ、少々を手にとって舌に乗せる。


「……sio、kottihakosyou。konohitoha……」


 まるでありふれたもののように取り扱われている調味料だが、女性が知っている限りこれらの香辛料はここまで手軽に扱えるものではない。


 考え込む女性の様子に気づくことはなく、鼻歌など歌いながらハジメは調理を続けるのであった。








「はー、食った食った。やっぱコンソメ入ると味がぜんぜん違うな」


 先日と違って会話をすることなく食事を終えたハジメは、ゆっくりとスープを啜りパンを千切る女性の方を眺めていた。


 女性が意識を取り戻して一晩だが、女性の様子は昨晩よりも良い。


 ベッドではなく椅子に座り、背筋を伸ばして音も立てずに食事をしている。


 やはりその仕草は堂に入ったものであり、気品の高さを思わせた。


「……?」

「ああ、綺麗だと思ってさ。やっぱり王様とかなのか?」


 女性が質問に答えることはないが、本人なりにこちらの言葉を理解しようとしてくれているようで、視線を少し落として胸の下で腕を組んだ。


「……gomennasai」

「えーっと……あっ! 責めてるわけじゃないぞ!? なにもしないしなにも悪くないから!?」


 顎を引き小さく頭を下げる女性に、両手を振って言葉を重ねるハジメ。


 女性がなんと言っているのか分からないが、下げられた頭と沈んだ声色で謝罪をしているらしい。


「えーっと、顔上げろ……つってもわかんないよな」


 何回か声をかけるが、女性の頭は上がらない。


 あー、うー、と頭を掻きむしりながら呻くハジメは、仕方がないと強硬手段に出ることにした。


 両手を伸ばし、女性の頬をがっちりと掴んで顔を無理やり上げる。


「だから問題ないっての。分かる? お前が謝る必要ないんだ。もう一度言うぞ? 謝る必要はない」


 無理やり目を合わせ、諭すように繰り返し声をかけるハジメ。


 言葉は分からなくても、顔を上げてほしいという意図くらいは伝わっているはず。


 たっぷり十秒以上かけて女性と目を合わせ続けたハジメは、一度手を離して席に座りなおした。


――なんつーか、前途多難だな……。


 ハジメ自身、言葉が通じないという状況に何度かなったことはある。


 しかし、そういうときは大抵翻訳できる仲間がいたり、別の手段で言葉を通わせたりすることができていた。だから、本格的に言葉が通じないという状況は初めてなのだ。


 これからどうやって女性と過ごしていけばいいのか。この先のことを想像して少し憂鬱な気分になってしまうハジメ。


 と、ハジメはある事に気がついた。


――あれ? そういえば、この人の名前知らないな。


 これから先、お互いに名前を知らないというのは不便だろう。


 思い至ったハジメは、組んでいた腕を解いて女性の方を見る。


 丁度女性もハジメのことを見ていて、これ幸いとハジメは自分を指さして言った。


「ハジメ」


 突然言われた言葉に目を瞬かせる女性。


 しかし、ハジメは気にすることなく繰り返して言う。


「ハジメ」

「?」

「は、じ、め」

「……???」


 ハジメ、ハジメ、と何度も繰り返していると、女性は腕を組んで悩む素振りを見せる。


「……ha、ひじ、め?」

「は、じ、め」

「……は、じ、め」

「そう、ハジメ!」


 ハジメというハッキリと分かる単語が女性の口から出てきたのが嬉しくて、破顔して何度も頷くハジメ。


「はじめ」

「ハジメ」

「ハジメ……」


 ハジメ、と何度か口の中で転がした女性は、一つ頷くとハジメの顔を見る。


「ri……rinn」

「るぃん?」

「rinn」

「あー、りぃん?」

「ri、nn」

「リン、か?」


 リン。そう呼ばれて女性が頷く。


 リン、それが女性の名前らしかった。


「リン、そっか、リンか」


 リンの名前を刻み込むように呟き、ハジメは立ち上がると女性、リンの隣に行く。


 不思議そうにハジメを見上げるリンに向け、ハジメは手を差し出した。


 ハジメの顔と差し出された手を交互に見てリンは思案するように視線を落とし、数秒して彼女も手を差し出した。


 重なる手。優しくしっかりと握りしめ、ハジメは笑う。


「よろしくな、リン!」

「yorosikuonegaisimasu、ハジメ」


 リンの表情は全く変わらないが、ハジメには彼女が笑ってくれているように見えた。

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