237 シンクロ崩しとシンクロ崩し対策
山形市内の屋内野球練習場で動画を撮影してからしばらく経ったある日の夜。
ビジターゲームを終えて滞在先のホテルに帰ってきた俺とあーちゃんは、備えつけの机の上に置いたノートパソコンを操作して動画サイトを開いていた。
さすがにナイターの後なので部屋に美海ちゃん達の姿はない。
だが、彼女達も彼女達で各々同じように動画サイトを見に行っているはずだ。
何せ皆で撮影した動画の編集が完了し、今日の20時に村山マダーレッドサフフラワーズの公式チャンネルからプレミア公開されたという連絡があったからな。
どんな感じになったのか、当事者であれば気になって当然だ。
「ん。結構再生数回ってる」
チャンネル動画一覧から最新のものの数字を確認し、満足げに言うあーちゃん。
まだ8月なので、入浴済みの彼女は夏仕様の寝間着姿だ。
他の面々もいないので、ラフな恰好のまま当然のように俺にくっついている。
「サムネのしゅー君のおかげ」
「いやいや、そうじゃないのも十分回ってるからな」
むしろ女性陣を前面に押し出しているサムネイルの方が、少なくとも初動に関しては段違いにいいと聞いているぐらいだった。
まあ、それはそれとして。
曲がりなりにも1部リーグに所属するプロ野球球団の公式チャンネルだ。
そもそも登録者数が多い。
村山マダーレッドサフフラワーズに限ったことではなく、野球に狂った世界ということも相まって100万人超えがザラ。
配信開始数時間で既に1万再生を優に超えているのは、正にそのおかげだろう。
ササヤイターで拡散されていたので、ここから更に加速していくはずだ。
「コメントも盛況」
「うん、ありがたいことだな」
あーちゃんに軽く頷きながらコメント欄に視線をやる。
凝ったオープニング中にもコメントがそれなりの速さで流れていく。
・ハジマタ
・『シンクロ崩しとシンクロ崩し対策』とはこれ如何に
・シンクロ打法は完璧な理論じゃなかったのか!?
・いや、あくまで補助的なものだってバズッた動画でも言ってただろ……
・誇大なサムネや内容で釣った便乗悪徳動画でも見たんじゃないか?
動画のタイトルは誰かのコメント通り『シンクロ崩しとシンクロ崩し対策』だ。
オープニングの後は、まず俺の簡潔なシンクロ打法の説明からスタート。
画面にはもう少しだけ詳細な内容が、二頭身にデフォルメされた野球選手のキャラクターを用いたアニメーションと共に示されている。
・俺、この前これのおかげでヒット打てたわ。草野球の試合で
・俺も俺も。授業の野球でだけど
・実践してみたら実際タイミング取りやすかったぞ
・もっと早く知ってたら、俺ももっと上のレベルで戦えたんかな……
・世の中に広まってたら周りも使ってくる定期
・いや、でも、ホントに打撃だけだったんや
・それだったら……そういう選手達の希望の光になるかも?
・どうも秀治郎選手としては思うところがあるみたいだけどな
『世の中には投球のタイミングを意図的にずらせるピッチャーもいます。そういった相手と対戦した時、これにのみ頼ってしまうと致命的な隙となってしまいます』
『えっと、投球のタイミングをずらすなんて、そんなことが可能なんですか?』
・投球タイミングを、ずらす!?
・いや、無理っしょ
・フォームが一定じゃないとコントロールが定まらないからな
・俺もやろうとしたことあるけど普通に暴投したゾ
・そらそうよ
『可能です。実践してみましょう』
コメントを否定するように動画の中で告げ、マウンドでボールを手に取る俺。
キャッチャースボックスに座ってミットを構えるあーちゃん。
それからバッターボックスに立って軽く素振りする美海ちゃんが順に映る。
・ってか茜選手、私服にプロテクターつけてて草
・ワンピースにレギンス……そして、プロテクター
・キャッチャーミットもつけて、これがこの夏最新のコーデです?
・浜中選手のキャミソール&デニムショートパンツにヘルメット+バットも中々
・倉本選手は半袖のTシャツにハーフパンツタイプのサロペットか。いいな
・+αのコーディネートはプロテクターか、はたまたバットか
・正直、両方見たいんじゃが
画面の俺は投球動作に入っている。
だが、コメント欄は女性陣の私服に目を奪われたまま。
まあ、気持ちは分からないでもない。
・私服の女性陣、可愛過ぎか
・浜中選手のデートでバッセン来た感、グッと来るわ
・対象的な男性陣……
・男性陣(2人)
・比率がおかしい
・ってか、俺の昇二を馬鹿にしてんのか?
・マイボーイ昇二やぞ!!
・お、おう
・昇二選手のファンって何か異質な感じがあるよな……
・体格のいい優男タイプだからな。昇二選手は
・性格も穏やかな感じだし
・女性は勿論、その道の人にも大層人気があるらしい
・既婚の秀治郎選手と違って、浮いた話もないしな
・その道……?
昇二についてのコメントはともかくとして。
1球目に関しては普通の投球なので別に見ていなくても問題ない。
検証画面も作ってくれているはずだし、大事なのは2球目の方だ。
・お前ら、ちゃんと動画の主旨をだな
・いや、だから。投球動作を遅らせるなんて無理っしょ
・いくら秀治郎選手でもそれはな……
・逆に秀治郎選手だからこそ厳しいんじゃないか? あの出力だぞ?
・下手したら怪我しかねないよな
・シーズン中に無理すんなよ
・まあ、兼任投手コーチだから……
『少し誇張して投げます』
コメントの心配を余所に、画面の中の俺が振りかぶって2球目を投げる。
1球目から重心移動を大幅に遅らせながら。
ボールを受けたあーちゃんを映した画面に170km/hとテロップが出る。
続いて、2分割の画面で1球目との比較がスローモーションで映し出された。
2球目の投球動作が先に始まり、途中から1球目の投球動作が再生される。
リリースのタイミングを0秒として同期が取られており、キャッチャーミットに収まるタイミングは全くの同時だった。
・ふあっ!?
・何やこれ
・できとるやないかい!!
・普通はできないんや。できたとしても、へなちょこボールにしかならんのや
・足腰おかしない?
・曲芸かな?
視聴者の驚愕がよく分かるコメントが一気に流れていく。
隣ではあーちゃんが「むふー」と悦に入っている。
『足腰の粘り。ボディバランス。これらによって球質を変えることなくリリースのタイミングを変える。こうした技術を、シンクロ崩しと言います』
・そんなんできる奴、他におるんか
・おらんやろ、コイツだけや
・技を見せつけたかっただけ、ってことぉ!?
・いや、他にいるから言ってるんちゃう?
『現アメリカ代表投手はこの程度のことは普通にやってきます』
・ア、アメリカ代表……
・対象がハイレベル過ぎてワロタ
・まあ、アッチはアッチで規格外の化物だからな
・さもありなん
・そらWBWで勝てる訳ないわな
『このようなピッチャーを前にして、生半可なシンクロ打法に固執するのはハッキリ言って逆効果です。逆に利用されて打ち取られかねません』
・投球動作は一定になるって前提が崩れてるもんな
・タイミングを外されたら打てるもんも打てなくなるわ
・それをMax175km/hの上にエグい変化球まで持ってる奴がしてくんの?
・無理ゲー過ぎる
・何や死刑宣告したいだけか?
・いや、そこでタイトルのシンクロ崩し対策が意味を持ってくるんだろうよ
期待しているところ悪いが、正直に言って単純明快な解決策とはならない。
ある意味、より厳しい現実を突きつけることになるかもしれない。
それでも必要なことだ。
『バズッた動画のように、重心移動のところでシンクロ動作を行うとタイミングを崩される。なら、対策は1つ。シンクロの起点を可能な限り遅らせることです』
どれだけ足腰が強く、ボディバランスに優れていようとも。
投球のクオリティを保って投げるなら、重心移動して力を蓄積する段階から解放する段階に切り替えた後の腕の振りまで弄ることは不可能だ。
最高球速で投げるなら、キッチリ腕を振り切らなければならない。
『ってことで昇二、頼む』
『うん』
場面が切り替わり、マウンドに昇二が上がって今度は俺がバッターボックスに。
キャッチャースボックスにはあーちゃんの代わりに倉本さんが入る。
・え、昇二選手が投げるのか?
・マ?
・経歴的に、投手経験はないはずだが……
・お、倉本選手の+αはプロテクターか
・可愛よ
・て言うか、シンクロ崩し対策の話だよな?
・つまり、昇二選手もシンクロ崩しができる……?
まあ、完璧ではないが、できなくはない。
あの日の屋内野球練習場で軽く指導しただけの付け焼き刃でしかないけれども。
【怪我しない】昇二だからこそ安易にやらせることができる。
その上──。
・155km/h!?
テロップで球速が表示される。
シンクロ崩しを試すために抑え目に投げさせているので、その程度だ。
更に軽い投球練習を数球続ける。
・何か変化球も全部エグいんだが
・え、何でローテーションに入ってないの?
・他所の球団なら普通にエース張れそうで草
何故ローテーション入りしていないのか。
それは勿論、まだ育成途中だからだ。
ステータス的な意味ではなく、かと言って経験的な意味合いでもない。
【超晩成】との兼ね合いもあって長年野手優先でやってきた昇二の頭に、まずは投手起用という選択肢をしっかりと植えつける。
自発的に投手をやろうという気持ちを持って貰う。
そうしないと何も始まらない。
メンタルのバランスが崩れただけで致命的になる領域でもあるからな。
強要したっていいことはない。
・しかも、粗いながらもシンクロ崩ししとるし
・天然の突然変異じゃなく、学べる技術なんか……
・これは大変なことちゃうか?
『緩急。ファストボール系の鋭い変化球と大きな変化球。そうした選択肢に更に投球動作の差異まで加わってくる訳ですね』
・そう言われると、改めてバッターって不利過ぎん?
・バッターはどこまで行っても受け身だからな
・ピッチャーが投げないと試合は始まらないし
・だから3割で褒められるんだろ
・村山マダーレッドサフフラワーズには非常識な異常者が何人もいるけどな
・何にしても、シンクロ崩しまでされたら要素増え過ぎだわ
『こうなってくると、ハッキリ言って悠長に足を上げたりなんかしてられません』
そう告げてから画面の中で俺がバットを構える。
昇二がタイミングをずらして投げる。
俺はそれをほとんどステップすることなくスイングして芯で捉えた。
打球はネットに突き刺さるが、ホームランになる角度と打球速度だった。
『決して推奨している訳ではないと前置きしておきますが、ノーステップ打法、最低でもヒールダウン打法にせざるを得ないでしょう。必要に迫られる形で』
・ステップは小さくしろってこと?
・シンクロの起点を可能な限り遅くするとなると、そういうことになるか
・人間の反射神経の限界もあるし
・無駄は可能な限り省いた方がいいもんな
・それが本当に無駄な動作だってんならな
・省いちゃいけないから、皆ステップしてるんじゃないのか?
・デメリットも大きそう……
視聴者も察しているように、メリットばかりではない。
当然デメリットはある。
僅かながらステップをするヒールダウン打法なら多少は軽減されるが……。
『勿論、安易に真似をしても最適化できてなければパワー不足に陥るだけです。無理に飛距離を求めれば、負荷が増して怪我のリスクも大きくなるでしょう』
体格で劣る日本人には、それらで飛距離を出すのは難しい。
例外的なフィジカルを持つ極々少数の選手は除いて。
だから戦いの舞台によっては逆効果になることもある。
日本国内なら普通にステップした方がいい結果を得られるかもしれない。
しかし、仮想敵が現アメリカ代表であれば不可欠だと俺は思っている。
そうした方がいい、ではない。
そうしないと土俵にすら上がれなくなりかねないのだ。
「かすりもしない」よりは「飛ばない」方がまだマシだろう。
レジェンドの魂を持つ現アメリカ代表投手は、もはや「当たれば飛ぶ」という期待を持つことすら許されないレベルなのだから。
俺だって一本足打法や振り子打法のような、特徴的なフォームから繰り出されるスイングに魅了されたことのある人間だ。
美しいフォームに憧れたり、異質なフォームに驚いて笑ったり。
野球選手育成ゲームでは、一目見てそれと分かる有名打者のモーションを嬉々として選んでいたりもしていた。
見た目華やかなそんなフォームで打てるなら、勿論それに越したことはない。
それこそシンクロ崩しができるレベルの強靭な足腰があれば、軸足の粘りで同じように大きなステップの中で調整を利かせることができるかもしれない。
しかし、前世で大リーグに挑戦した偉大な野手のステップが小さくなっていったのを見る限り、それを期待するのは無理のある話だろう。
……まあ、前世で日本人大リーガーのステップが小さくなった原因はシンクロ崩しなどではなく、小さく動く変化球への対応が主なところだけどな。
いずれにしても、ピッチャーが進化していけばいく程に、バッターは刹那の間に多くの判断を要求されて必然的によりコンパクトなスイングを求められていく。
パワーは保ったままという無茶苦茶な前提条件を当然のようにつけられながら。
しかし、それは野球の技術が進歩する限り、抗いようのないことなのだと思う。
『始動は遅く、ステップは小さく、スイングはコンパクトに、体重移動をミリ秒単位で最適化し、全身のバネを使ってスイングスピードは決して損なわず、打つ!』
再び画面の中の俺が昇二の投げた球をかっ飛ばす。
・また無茶を言いなさる
・そんな都合よくできるかいな
・理想論を言うのは楽だよな
・思いっ切り実践してますが、それは
「……理想、か」
「しゅー君?」
隣で首を傾げるあーちゃんに「何でもないよ」と苦笑気味に告げる。
理想とは、つまるところ正解。
皆が追い求めれば多様性は失われる。
誰もが同じような型にはまっていく。
できない者は淘汰される。
スポーツを丸裸にして陳腐化すると嘯く五月雨さんが言っているのは、正にこういうことなんだろうと改めて感じてしまう。
一抹の寂しさのようなものもある。
しかし、当面の間はどうしても必要なことだ。
日本の野球界、ひいてはこの世界の野球のためにも。
そうしなければアメリカ一強は終わらない。
仕方のないことなのだ。
俺はそのことに複雑な思いを抱きながら。
あーちゃんと共に動画を最後まで見届けたのだった。
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