236 動画撮影とシンクロ対策

「やっほー、野村君ー。3日振りだねー」


 山形市内の屋内野球練習場。

 そのグラウンドの端っこで機材の準備をしていた諏訪北さんが、いつものように少し間延びした声で俺達を出迎えた。

 今し方彼女自身が口にした通り、こうして顔を合わせるのは久し振りではない。

 と言うのも、諏訪北さんはリーグ優勝祝勝会の会場設営の手伝いに来てくれていて、更に賑やかし要員として20歳未満組のサブ会場の方に参加していたからだ。


「野村君、用意はできてますよ」


 彼女と一緒になってカメラの調整をしていた仁科さんもまたそう。

 テレビにも映り込んで、一部で話題になったとかならないとか。

 そんな2人はまだ大学1年生だが、もはや村山マダーレッドサフフラワーズ広報部の正式なメンバーのようになってしまっている。

 彼女達の気さえ変わらなければ、卒業後の進路は決まったも同然だ。


「2人共ありがとう。でも、いつも手伝って貰ってて何だけど単位とか大丈夫?」

「問題ナッシングー。と言うかー、今は夏休みだよー」


 8月だからな。

 多くの大学生は8月と9月、丸々2ヶ月休みだ。

 それは分かっている。

 しかし、聞きたいのはそこではない。


「いや、普段からの話。1セメは大丈夫だった?」

「楽勝ー、だよー」


 胸を張って余裕の表情を作る諏訪北さん。

 うーん……。

 彼女の言動はちょっと怪しげな雰囲気があるんだよな。


「陸玖ちゃん先輩達に鬼仏表も頂いていますし、クラス毎に割り振られた基礎科目の方もそこまで難易度が高いものはありませんから」

「そっか」


 まあ、仁科さんが言うのであれば大丈夫だろう。


「むー、信用されてないー」


 そんな考えを視線の動きと表情から察したのか、諏訪北さんが不服そうに言う。


「ごめんごめん」


 誤魔化すように慌てた感じを出しながら謝るも、彼女は唇を尖らせて俺を睨む。

 小柄で割と童顔なせいもあって微笑ましさが勝り、思わず苦笑してしまった。

 俺がそんな反応をしてしまったせいで、尚のこと彼女の表情に不満の色が増す。


「美瓶は普段の言動が割とアレだから」


 おっと。

 あーちゃん、俺の考えと全く同じことを思いっ切り口に出したな。


「茜には言われたくないだろうけど、まあ、ねえ」

「あー、2人共ー、酷いよー」

「私達のことよりも、野村君の方こそ大丈夫ですか?」

「すずめー、スルーしないでー」


 諏訪北さんは拗ねたように抗議をする。

 が、それも無視して仁科さんが言葉を続ける。


「村山マダーレッドサフフラワーズは明日も試合があって先発のはずでは?」

「むー」


 諏訪北さんの唸り声はさて置き。

 明日先発予定なのは、その通りだ。

 とは言え――。


「次に時間を作れるタイミングが割と先だったから」


 今日はリーグ優勝が決定した試合を含む本拠地3連戦の直後の月曜日。

 明日、火曜日からの試合も本拠地山形きらきらスタジアムでの開催予定だ。

 つまるところ移動日ではあるものの、移動はない。

 既に1つの区切りがついた後ということもあり、さすがにこのタイミングで休日返上の練習を指示されるようなこともない。

 なので、完全休養日ということになっている。

 そんな今日を逃す手はなかった。


 ちなみに。

 本日試合はないものの、山形きらきらスタジアムではイベントがあるらしい。

 それもあって本拠地球場を借りることはできなかった。

 近場の屋内野球練習場で妥協したのはそのせいだ。

 閑話休題。


「つまり、急を要する話ということでしょうか」

「そうなるな。こういうことはなるべく早い内にやっとかないといけないからさ」

「鉄は熱い内に打て」


 俺の意を汲んだあーちゃんの言葉に頷く。

 今後の日本プロ野球界のためにも。

 義理の弟である暁の将来のためにも。

 そう思えば、やはり早ければ早い程いい。


「確か、今話題のシンクロ打法に関する動画の撮影ということでしたが……」

「もしかしてー、何か間違った理論だったりするのー?」

「ああ、いや。あれ自体は何の問題もないよ」


 前にあーちゃんからも尋ねられた質問に、その時とほとんど同じように答える。

 他の皆の視線も俺に集中している。

 ちょっと慌ただしく招集したせいで、皆には詳しい説明ができていなかった。


「ちょっと補足しないといけない部分があるんだ」

「補足ー?」


 訝しげに問う諏訪北さんに頷き、今回の概要と目的を告げる。

 少なくともバズッた動画は全体的に常識的なことしか言っていない。

 だが、世の中には常識を覆す非常識な存在もいる。

 そういったことを、具体的な部分も交えて伝えた。


「成程ねー」

「何を最終目標として野球をしていくのか、ということですね」


 俺の説明を受け、納得の表情を浮かべる諏訪北さんと仁科さん。


「でも、ちょっと要求レベルが高過ぎない?」


 一方で、昇二は深刻そうに尋ねてくる。

 彼女達との反応の差は、選手として実践を求められるか否かによるものだろう。

 しかし、これは俺達が臨む戦場では当たり前に心得ておくべき内容だ。

 難易度が高いなどとは言っていられない。

 何故なら──。


「アメリカ代表は、妥協して勝てるような生半可な相手じゃない」


 既にコンセンサスが取れているあーちゃんのその言葉が全てだ。


「うん。まあ、そういうことよね」

「改めて厳しい相手だと実感させられるっす」


 対して、美海ちゃんと倉本さんが同意するように真面目な顔で追従する。

 昇二もそこは重々理解している様子だ。

 いずれにしても、千里の道も一歩から。

 とにかく今は、やれることをやるのみだ。


「余り皆を長々と拘束してもアレだし、必要になる映像を撮影しようか」

「ん」


 まずは軽く柔軟とキャッチボールをして、ちゃんと肩を作ったアピール。

 それから屋内野球練習場に作られたマウンドに向かう。

 キャッチャースボックスには、夏のカジュアルガーリーな私服の上からプロテクターを身に着けるという暴挙に出ているあーちゃん。

 バッターボックスには肌面積が多めな私服にヘルメットな美海ちゃんが立つ。

 動きやすいジャージを着た俺や昇二は無粋極まりないが、動画映えの部分は全て彼女達に任せておけばいいだろう。


 カメラマンは諏訪北さん。

 仁科さんはマイクを持ってインタビュアー的な立ち位置。

 昇二と倉本さんは一先ず待機だ。


「今流行りのシンクロ打法の説明は、様々な動画で行われているので簡潔に」


 まずカメラ片手に寄ってきた諏訪北さんに顔を向け、動画用の口上を述べる。


「この理論はピッチャーの投球動作は一定になるという考えに基づき、バッターがバッティング動作を同調、正にシンクロさせることが肝となります」


 ピッチャーを目指す上で最初に行うことは、フォームを安定させること。

 フォームが不安定では当然制球も定まらないし、ボールに力も伝わらない。

 だから自ずと投球動作は一定になっていく。

 それは確かな事実だ。


「ですが、世の中には例外というものが存在します。そしてハイレベルな戦いになればなる程そうした事例が増え、結果として大きな落とし穴になってしまいます」


 しかも、この例外。

 早晩技術の1つとして広く知られることにもなるのだ。

 今生ではまだ極めて個人的なものに過ぎないが、前世の歴史が証明している。

 まあ、周知の事実になっても大分高度な内容ではある。

 実践できるかどうかはまた別の話になるけれども。


「勿論、ただ野球を楽しむ分には問題ありません。一定のレベルまでは動画のままで通用するでしょう。野球は間のスポーツ。それに即した理論ではありますから」

「秀治郎選手は、どのレベルでは通用しないと想定しているのですか?」

「それは勿論、WBWで対戦することになるピッチャー達です」


 インタビューのようにマイクを向けてくる仁科さんに淡々と答える。

 あくまでも今生の野球のレベルで言えば、の話だ。

 諸々浸透していけば、国内野球でも現状の例外的存在が続々と出てくるだろう。


「加えて言えば、1部リーグでピッチャー野村秀治郎と対戦する際も通用しないと考えて下さい。あからさまにやってきたら、正直カモにしかならないので」

「その意味するところは?」

「先程も言った通り、野球は間のスポーツ。タイミングを制することがバッティングの鍵です。それ故、それに補助するシンクロ打法は有用と言えます」


 そこは間違いなく正しい。

 上手い下手はあれ、そもそも全員やっていることでもある。

 実際に動作として現れているかは別の話だが。


 提唱者の功績は名前をつけ、筋道を立てて広く発信したことだ。


「ただ――」


 前提となる部分が100%確実ではないことを念頭に置く必要がある。


「世の中には投球のタイミングを意図的にずらせるピッチャーもいます。そういった相手と対戦した時、これにのみ頼ってしまうと致命的な隙となってしまいます」

「えっと、投球のタイミングをずらすなんて、そんなことが可能なんですか?」

「可能です。実践してみましょう」


 その言葉を合図に諏訪北さん達がネットの向こう側に退避する。

 それを確認してから、バッターボックスの美海ちゃんと向かい合う。


「いいよー」


 そう言って軽く手を振る諏訪北さんに頷き、投球動作を始める。

 一先ず何も考えず。普通に。


 ――パァンッ!!


 あーちゃんのキャッチャーミットが快音を鳴らす。

 彼女と美海ちゃんはアクションカメラをつけてるので後から球速も割り出せる。


「少し誇張して投げます」


 そう告げてから俺は再び投球動作に入った。

 ただし、今度は軸足で踏ん張りながらバランスを取って重心移動を遅らせる。

 当然、ボークにならないように全体の動きはとめない。

 フォームはそのままに、1回目の投球をスローモーションにしたような形だ。


 ――パァンッ!!


 しかし、あーちゃんのミットに収まったボールは先程と遜色ない。

 動画で比較すれば証明できるだろう。

 まあ、俺の場合はステータスと【怪我しない】で若干インチキしている部分もなくはないけれども、ナチュラルにそれができる投手も実在する。

 当然前世にも。


 驚異的な足腰の粘り。

 極まったボディバランス。

 それらによって球質を変えることなくリリースのタイミングを可変させる。


「こうした技術を、シンクロ崩しと言います」


 ちなみに現アメリカ代表投手は当然のように標準装備。

 全く困りものだ。

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