閑話26 劣等感(大松勝次視点)

 彼らと出会った頃の俺が今の俺を見たら、どう思うだろう。

 1部リーグのプロ野球選手になったことを驚くだろうか。

 プロ野球選手になって尚、日々劣等感に苛まれていることを嘆くだろうか。

 当時の俺は挫折の只中にいた。

 そこから抜け出すこともできず、目を逸らすようにしながら生きていた。

 幼過ぎて自覚はできていなかったけれども。

 それを考えると、正直どちらもありそうだった。


 人生は選択の積み重ね。

 よく言われることだが、選別の積み重ねでもある。

 そして幼稚園から小学校の頃には1つの選別が終わっていた。

 少なくとも俺はそう確信していた。

 野球選手になりたいなどと口にするのも憚られるような運動音痴。

 名門の学外チームになど入ることができる訳もなく、にべもなく門前払い。

 クラブ活動チームですら役立たずのお荷物。

 プロ野球選手への憧れが木っ端微塵になってしまう程に叩きのめされた。

 人生で最初にして最大の挫折だった。

 小学生にして世界の全てが色褪せて見えた。


 そんな中で、俺に色彩を取り戻させてくれたのが彼女だった。

 同じ小学校で一目見た瞬間に恋に落ちた。

 正に一目惚れだった。

 とは言え、それで何か行動に移すことなど俺にできるはずもなかった。

 誰もが抱くプロ野球選手という夢。

 それを粉々に砕かれ、自信らしい自信など一欠片も残っていなかったからだ。

 いつも4人でいる彼女達の中で笑う彼女をただ遠くから眺めるだけの日々。

 俺の小学校生活を思い返すと、ほとんどそれだけだったように思う。

 それでも彼女が中学受験をして山形県立向上冠中学高等学校に進学しようとしていることを大分早い段階で知ることができ、勉強に打ち込めたことは僥倖だった。

 県内有数の進学校に合格できたことで、ほんの少しだけではあるものの、自信を取り戻すことができたからだ。


 勿論、だからと言って意中の彼女に自ら告白しに行ける訳もない。

 中学校デビューとして少しばかり調子こいたキャラを作ったりもしてみたが、そこまで調子に乗ることはできなかった。

 しかし、また6年間。彼女に手の届く場所にいることができる。

 小学校では最後まで接点を作れなかった。

 彼女の印象に残っているかも定かじゃないぐらいだ。

 だが、これから時間をかけてアピールしていくことは不可能じゃない。

 受験に合格したことで少し前向きになれた俺は、そう自分に言い聞かせた。

 だから、俺が再び野球を始めたのも100%彼女の気を引くためだった。

 当然、いずれ1部リーグのプロ野球選手として上澄みしか出場できないオールスターゲームにファン投票1位で選ばれることになるなんて想像だにしていない。

 そもそも当初は秀治郎の言うことなんて信用していなかった。

 初対面の中学生の言うことだ。当然だろう。

 小学校で何をしてきたかなんて知らなかったしな。


 一応、神童と謳われた瀬川正樹の方は知っていた。

 県内のニュースで大きく取り上げられていたからだ。

 クラブ活動チームで耕穣小学校を全国小学6年生硬式野球選手権大会優勝に導いただけでなく、U12ワールドカップで日本優勝の原動力ともなった。

 対照的に、当時の秀治郎は知名度がなかった。

 一般には皆無と言っていい。

 後から調べた限りだと、野球オタクというか野球マニアというか、そういう人らには注目されていたようではあるけれども……。

 あの頃の秀治郎は、どこか陰に隠れようとしているような感じもあった。

 目立たないように。自分の力を隠すように。

 色々と派手に動いている今となっては全く信じられない話だが。


 ともかく。当時の俺は秀治郎の言葉は信じていなかった。

 幼馴染の女の子を2人も侍らせていたのも正直気に入らなかったしな。

 その内の片方から無機質な、正に選別の目で見られていたのも怖かった。

 秀治郎の役に立つ人間かどうか、見定められていたのだと思う。


 それから色々あって。

 俺は彼女のことを引き合いに出されて指導を真面目に受けることとなった。

 それによって、即座に実感できてしまう程の効果が実際に得られてしまった。

 小学校では一切上達しなかったにもかかわらず、だ。

 自分の体のことながら、全く意味が分からないぐらい急激に成長してしまった。

 結果として、幼い頃の夢に再び手が届くところにまでなってしまった。

 俺が山形県立向上冠中学高等学校の野球部に入った元々の動機は、彼女との接点を作るため。それだけだったのに。


 かつての夢が叶うかもしれないという期待と喜びが胸の内に湧き起こった。

 高揚感が確かにあった。

 ただ、それ以上に腑に落ちない気持ちもあった。

 かつて絶対だと思っていた選別。

 それがいとも容易く覆されてしまった訳だから。


 それでも降って湧いたチャンスだ。

 掴まずに逃すなんてあり得ない。

 チャンスの神様には前髪しかないと言うからな。

 いつしか俺は、彼女のことを振り切るように(余りにも可能性がなさ過ぎて諦めた訳ではない)子供の頃の夢を追いかけるようになっていった。

 青春時代をひたすら野球と共に駆け抜けて、今や1部リーグのプロ野球選手。

 それも、現在のWBW日本代表すら封じ込めることができる程の選手になった。

 日本野球界のトップ層に躍り出ることができた訳だ。


 しかし、俺は常にNo.1になることはできなかった。

 また別の、新しい選別に直面してしまった。


 中学校時代はあの瀬川正樹に取って代わった同級生の磐城巧に後れを取った。

 一応、高校時代は最後には甲子園で優勝することができたし、ドラフト会議では過去類を見ないような競合で指名を受けることもできたが……。

 その頃も話題性という意味では浜中美海に大きく劣り、実力でも既に2部リーグで歴史に残る活躍を見せていた秀治郎に勝っているとはとても思えなかった。

 磐城巧が兵庫ブルーヴォルテックスユースに所属していなければ、間違いなく指名の数は半端なものになっていただろう。

 そして1部リーグのプロ野球選手としてデビューして100試合弱経過した今もまた、明確な差があることを強く実感させられている。

 秀治郎だけでなく、磐城巧にも。


 少ない機会だったが、交流戦の舞台で秀治郎とは何度か戦った。

 互いに投手として投げ合いをすることはなかったけれども。

 秀治郎がピッチャーで俺がバッター。

 そこで俺は当たり前のように簡単に抑えられてしまった。

 7打数0安打。現状の秀治郎との公式戦における対戦成績だ。

 更に成長して日本最速の170km/hとなった彼の直球と変化球のコンビネーションに対応することができず、完全に封じ込められてしまっている。


 一方で、磐城巧は7打数2安打。

 その内の1安打は長打。3塁打だった。

 チームは敗北したものの、しっかりと爪痕を残している。

 まだまだ対戦機会が少ないので一概に言うことはできないだろうが、何か決定的な違いを感じずにはいられなかった。

 経験の差か、あるいは心の迷いか。

 明確な答えが出ないまま、劣等感だけが積み上がっていく。


 それは磐城巧よりも山崎一拓という選手によって決定的となった。

 秀治郎と勝負して、彼もまた7打数2安打だった。

 2安打共単打ではあったが、秀治郎は山崎一拓には本気を出して投げていた。

 丁寧な投球で打球の角度が上がらなかったが、悪くない当たりだった。

 動画で見た山崎一拓は恐ろしい程の集中力を発揮していた。

 画面越しに、その鋭い眼光に圧倒されてしまうぐらいだった。

 神童でも怪物でもないダークホース。

 彼の存在が俺の劣等感をより募らせていた。

 秀治郎との対戦の時も、自分は集中し切れていなかった自覚があるから。


 そしてオールスターゲーム。

 公営セレスティアルリーグの投手部門でファン投票1位となり、初日のオールセレスティアル対オールパーマネント戦で磐城巧と先発で投げ合いとなった。

 互いに3回を投げ、磐城巧は打者9人に対して無安打無失点。

 対照的に俺は、3番の山崎一裕と4番の磐城巧に連打を浴びて打者11人に対して2安打1失点という結果に終わった。

 誰がどう見たって俺の負けだ。


 2日目のオールウエストとの試合では猛打賞を記録することができたが……。

 もう一方の試合であるオールパーマネント対オールイーストでは、先発した秀治郎が山崎一裕と磐城巧を抑えて3回無安打無失点。

 ただし、2人はいい当たりが内野の正面を突いた形での凡打だった。

 劣等感が刺激される。


 そして最終日。秀治郎のいるオールイーストとの試合。

 2日目で先発登板した秀治郎が先発することはなかったが、最終回。

 抑えとして秀治郎がマウンドに上がった。

 そこで俺と対戦することとなった。

 1打席勝負。結果は3球三振。

 数字という形で力の差を突きつけられてしまった。


 心技体。その内の心に最も大きく差をつけられているのではないかと思った。

 いつだったか芯がないと言われ、それを作り上げるために野球に打ち込んだ。

 しかし今、俺の中心にあるのはそんな強固なものじゃない。

 一度砕かれた自信を無理矢理つなぎ合わせた張りぼてだ。

 この場に立っているのは秀治郎のおかげ。

 成功体験は全て彼にもたらされたもの。

 自分の力という訳じゃない。


 だから、そんなことをしても俺の芯になることはないと分かってはいた。

 それでも俺にはそれ以外の方法が分からず……。

 いつかのように秀治郎にアドバイスを求めることにしたのだった。

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