226 6月第3日曜日のファーストピッチセレモニー

 私営ウエストリーグ2位の奈良キーンディアーズとの交流戦第2戦目開始直前。

 試合前のミーティングが終わり、一部の選手が1塁側ベンチに姿を現し始める。

 その何人かの中に俺達もいた。

 今日は村山マダーレッドサフフラワーズのホームゲーム。

 地方開催のタイミングでもないので本拠地山形きらきらスタジアムでの試合だ。

 いつも通りスタンドを埋め尽くしてくれている観客達は地元の熱烈なファンがほとんどで、ベンチに出てきた俺達に気づいて歓声を上げている人もいる。

 ……ちょっと姿勢を正して体裁を整えておこう。


「あ、埼玉セルヴァグレーツが今日も先制してる」


 そんな中でバックスクリーンに目をやった昇二が、そこに表示されていた他球場の情報を見て驚いたような声を出した。


「ホントね」

「1回表の攻撃中で2点先行っすか。幸先いいっすね」


 合わせて視線をそちらに向けた美海ちゃんと倉本さんも感心したように続く。

 今日は日曜日ということもあり、多くの試合がデーゲームで予定されている。

 とは言え、それぞれ開始時間が微妙に異なっていて俺達の試合は14時から。

 埼玉セルヴァグレーツは13時丁度のスタートということになっていた。

 加えてアチラはビジターゲームなので先攻。

 結果、埼玉セルヴァグレーツ2点先制の情報が試合前にもたらされた訳だった。


「何だか、最近ずっと調子がいいみたいだね」

「まあ、そうだろうなあ」

「そうだろうって……もしかして、本当に海峰選手が雰囲気を悪くしてたのかな」


 つい含みを持たせたような言葉で応じてしまい、昇二が訝しげに首を傾げる。

 勿論、スキル云々の話はできないが――。


「この現状を見れば、そういうことになっちゃうんじゃない?」

「いくら何でも偶然とは思えないような状態っすからね」


 俺の代わりに、2人が肩を竦めるような素振りと共に軽い口調でそう答えた。

 実際、野球ファンの間では半ば確定した事実であるかのように語られている。

 と言うのも、埼玉セルヴァグレーツの成績に如実に表れてしまっているからだ。

 あの日までは49戦7勝42敗。

 あの日以降は21戦15勝6敗。

 何と勝ち越しするどころか、勝率7割超えの好成績を収めてしまっている。


 ……いや、収めてしまっている、はちょっと語弊があるか。

 埼玉セルヴァグレーツファンに申し訳ない。

 ただ、まあ。

 ここまで好調なのは、あくまでも一時的なものに過ぎないだろう。


「打球速度とか球速とかにまで影響を与える雰囲気の悪さって何なの……?」

「言っても、何をするにしても精神状態は大事っすよ? 増してトップ層の選手なら、ちょっとしたボタンのかけ違いが大ごとになるっす」

「それは、そうだろうけど……」

「何にしても事実を受け入れるしかないっすよ」


 20試合以上経て得られた客観的な数字を見ているはずの昇二でさえこれだ。

 今までに対戦した球団なら尚更のことだろう。


 圧倒的最下位に沈む埼玉セルヴァグレーツを侮っていたところに、突如【不幸の置物】のデバフ状態が解除されたことで大きなギャップが生じてしまった。

 それにより、幻惑されたような形になってしまっても無理もない。

 埼玉セルヴァグレーツは、意図せず死んだふり作戦のような状態になった訳だ。

 加えて【不幸の置物】という特大の枷をかけられて能力が大幅に制限された状態で戦っていたからか、プレイの随所に工夫というか粘りが見られる選手もいる。

 それらが噛み合った結果がこの成績。そう考える以外にない。


 だが、他球団の埼玉セルヴァグレーツに対する認識が正されればそれまでだ。

 最終的には勝率4割程度に落ち着くんじゃないかと俺は思っている。

 総合的な戦力で言えば、現状最下位相当でしかないのは確かだからな。

 それでも、あの日・・・以前は勝率2割どころか1割5分にも達していない状態だったのだから、やはり偶然と片づけられることはないはずだ。

 引っかかりを覚えた人間は、目に見えた変化点に理由を求めることになる。

 この変化点が何かは言わずもがなだ。


「もしも海峰選手が復帰してきた時に元の木阿弥になったりしたら――」

「それはもう、針の筵になるでしょうね」


 美海ちゃんは冗談っぽく言ったが、現状ではそうなる可能性が極めて高い。

【不幸の置物】が消えてなくなれば分からないが、大事な場面で仕事しない4番打者と他の選手のメンタル面への影響を考えると事態が悪化するのは間違いない。

 そもそも、今の状態で海峰選手から【不幸の置物】がなくなるはずもない。

 現時点ではまだ眉唾に思っている人すら意見を変える結果になるだろう。


「それで海峰選手が堪えるかは分からないっすけどね」

「彼がどう思おうと、評価は他人が下すものよ」


 いずれにしても。

 この一連の出来事は彼の名前に致命的な傷を負わせることになりそうだ。

 徐々にそういう流れを作ろうとはしてきたが、一気に潮目が変わった気がする。

 このまま行けば、日本野球界のこれからという観点ではプラスになるだろう。

 それでもやはり。

 怪我が切っかけというのは、俺としてはどうしても引っかかるものがあった。


「何にせよ、早く復帰して白黒つけて欲しいよね」

「…………そうだな」

「昇二君」

「あ、え、えーっと、それより彼女、珍しいね」


 俺のテンションが下がったのに気づいたのか、昇二は露骨に話題を変えた。

 視線は俺の隣の誰もいない空間に向けられている。

 いつも通りなら寄り添うように傍にいるあーちゃんの姿がない。

 昇二の言う通り、非常に珍しいことだ。

 ちょっと情緒不安定気味なのは、そのせいもあるかもしれない。情けない。


「今日のイベントの準備なんだっけ」

「ああ。まあ、イベントとは言っても、ちょっと特別な始球式ってだけだけどな」


 俺も横に軽く目をやってから、気を取り直して応じる。

 これは去年。今シーズンの日程が決まった段階で予定されていたものだ。

 当然、イベントの進行計画は機構側にも相手球団にも事前に提出してある。


 今日は6月の第3日曜日。

 いわゆる父の日だ。

 正にそのタイミングで村山マダーレッドサフフラワーズの主催試合となった。

 ならばと、父の日にちなんで父娘バッテリーを組むイベントを企画したのだ。


 余談だが、今回のものは厳密には始球式ではない。

 ファーストピッチセレモニーと呼ばれるものに当たる。

 始球式は選手が守備位置につくが、こちらはそうではない。

 時間も長い。

 そのため、演出の自由度が非常に高いのだ。

 俺が見たことがあるのだと、お笑い芸人が数分かけてネタをかましながら投げたり、ピッチャーやバッターが複数人いたりとバラエティに富んだものもあった。


 とにもかくにも。

 この準備のために、あーちゃんは現在別行動を取っているのだった。


「割と忘れちゃうけど、茜って社長令嬢なのよね」

「高校中退でプロ野球選手な社長令嬢っす」

「あの子、設定盛り過ぎじゃない?」


 2人の冗談染みた会話は置いておくとして。

 今日の企画が1部リーグ昇格初年度ということも加味した、球団創設者一族による一種の記念イベント的位置づけになっているのは確かだ。

 それをあーちゃんがどのように捉えているかは今一分からない。

【以心伝心】は妙にそわそわした気持ちを伝えてきてはいる。

 とは言え、ここ数日の彼女は大体いつもそんな感じだった。

 折角父娘共演の機会を得たお義父さんには悪いけれども、あーちゃんは今日のイベントより俺に内緒の好感度アップ作戦の方に気を取られているのかもしれない。

 そんなことを考えていると――。


「しゅー君」

「っと、あーちゃん?」


 いつの間にか俺の隣に来ていた彼女に呼ばれて振り向く。

 と同時に、その姿を見て思わず首を傾げてしまった。

 あーちゃんは何故か俺のプロテクターやキャッチャーミットを抱えていた。


「準備して」

「う、うん?」

「早く」

「わ、分かった」


 有無を言わさぬ口調に、戸惑いながらも一先ず装着を始める。

 まあ、今日は元々スタメンマスクで出場する予定だった。

 ホームゲームで後攻なので、また一々外す必要もない。

 何をしたいのかは分からないが、準備が少し早まっただけとも言える。

 別に構わないだろう。


「一緒に来て」

「え? 俺も?」


 今日はお義父さんメインのイベントだったはずなのに。

 そう思っていると――。


「サプライズ」


 あーちゃんは俺の疑問に答えるように告げた。

 正にその瞬間。


『本日は父の日特別企画といたしまして、鈴木明彦球団社長、野村茜選手父娘による始球式を予定しておりましたが、一部変更がございます』


 球場に元同級生の仁科さんの声が響く。

 またアルバイトで来てくれたらしいが……一部変更?


「しゅー君、急いで」

「お、おう」


 言われるがまま、あーちゃんに腕を引かれてグラウンドに出ていく。

 気づかなかったが、ベンチ前には諏訪北さんがカメラを構えて立っていた。

 いつからかは分からないが、撮影されていたらしい。

 半ば混乱しながら、一先ずキャッチャースボックスのところに立つ。


『本日、野村秀治郎選手へのサプライズとして、お父様の野村健也さんと、そのつき添いでお母様の野村美千代さんにもお越しいただいております。野村健也さんには、鈴木明彦球団社長と共に始球式を行っていただきます』

「え!?」


 仁科さんのアナウンスに、思わず驚きの声を上げてしまう。

 その様子もまた、ばっちり撮影されていたのだった。

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