閑話24 理解ができない(海峰永徳視点)
世の中には怠惰な人間がいること。
俺が人生で初めて自ら気づいた真理はそれだった。
プロ野球選手という存在は、あらゆる面で優遇される。
その事実を物心ついた時には当然のこととして認識していたし、そのために日々行動することもまた当たり前のことだった。
誰もがそうだと思っていた。
なのに、それをしない人間が余りにも多い。
幼心に全く理解できなかった。
理解できなかったが、両親が使っていた怠惰という言葉を当てはめることで一先ず納得することにした。
少し成長して。
何をしても上達しない不思議な人間がいることに気づいた。
怠惰というだけでは説明することができない存在。
それをどうにか納得するための理屈を探した結果。
人間には持って生まれた才能があるという新たな真理に辿り着いた。
おおよそ小学生の頃のことだった。
まあ、そいつらのことはどうでもいい。
路傍の石のようなものだ。
しかし、将来プロ野球選手になるなどと公然と口に出しておきながら、大した練習もしない人間達は一体何なのだろうか。
怠惰などプロ野球選手を目指す人間に許されることではないだろうに。
これもまた理解ができず、嫌悪感を抱くばかりだった。
人間、集中力は長く続くものじゃない?
そもそも子供だから仕方がない?
愚にもつかない言い訳だ。俺はやったぞ。
俺だけじゃない。
プロ野球選手になるぐらいの人間は、聞いた限りでは皆そうだった。
自発的だったのか、強要されてのことだったのかは分からないが、少なくとも現代のスポーツで大成した人間は子供の頃から英才教育を受けている。
その過程で娯楽を制限されようとも、それを気にするようなこともなく。
あるいは、そうした環境に耐え抜いて。
努力を己の血肉にした者だけが栄誉を得られる。
そういう風に世の中はできているのだ。
不足がある人間は、ふるい落とされていくだけ。
そんなことは小学生ぐらいの頭があれば誰でも分かる話だろう。
にもかかわらず、何故怠けることができるのか。
その答えについても、俺は才能という言葉で理屈をつけた。
何もそれは身体能力や運動神経だけの話ではなかったのだ。
性根の部分にも才能の差というものはある。
それだけのことに違いない。
その推測は、年齢を重ねる毎に俺の中で確信に変わっていった。
リトルリーグ。
シニアリーグ。あるいはジュニアユース。
高校野球。あるいはユース。
そしてプロ野球。
上位のカテゴリーに足を踏み入れる度に。
野球に全てを捧げたストイックな人間が周りには増えていった。
怠惰な人間が入り込む余地など自然となくなっていく。
才能のない人間が無理に手を出そうとするから怠ける。
そういうものなのだろう。
……しかし、その過程で新たな疑問が生じた。
同じことをやっているはずなのに、何なら俺よりも長く練習に打ち込んでいるはずなのに、脱落していってしまう者がいた。
怪我という不慮の事態に見舞われて。
勿論、下のカテゴリーでも時折存在してはいたのだろう。
ただ、意識せざるを得なくなったのはある程度のレベルに至ってからだ。
それなりの能力を持つ選手が怪我によって野球人生に終止符を打たれる。
そんな事例を目の当たりにするようになって。
ある日。肩を落としてチームを去っていく1人の絶望に彩られた表情を見た。
その記憶がヘドロの如く脳裏にこびりついた。
それを拭うために、また理由を求めた。
体ができていなかった?
オーバーワーク?
そういう選手もいない訳ではなかったが、最上位の強豪チームにいる優秀な指導者やチームドクターは練習量も適切に管理している。
もっと別の、どうしようもない要素がある。
ならば、やはり。
運動能力。性格。それらに加え、身体強度や柔軟性を総合した怪我のしにくさ。
ここにも才能というものが歴然として存在するのだ。
そう理解した。
それは集団があれば必ず、明確な差となって顕在化してくる。
俺は昔からやればやるだけ身になった。
練習に際して怠けるようなことは1度もしなかった。
どれだけトレーニングの強度を高めても壊れるようなことはなかった。
才能があるのだ。
努力を正しく、十全に活かすことができる才能が。
そして、それを無駄にしないだけの練習も積み重ねてきた。
結果としてプロ野球選手となり、いくつもタイトルを獲得した。
現役日本一と呼ばれるまでになった。
「海峰君。才能を鼻にかける人間は、より才能のある人間に打ちのめされてしまうだけだよ。もっと人間性を磨きなさい」
実力が全てであるはずのプロ野球の世界でまで、そんな甘っちょろいことを抜かす人間が現れたりもしたが……。
話を聞く限り、その人間性とやらは単なる馴れ合いでしかない。
そんなものと野球の実力そのものに相関関係はない。
頭打ちになった人間のための処世術でしかない。
俺はそんなぬるま湯に浸かるつもりはなかった。
野球で身を立て成り上がる。ひたすらに。
そして栄華を極める。
それこそがこの世界で最上の生き方だ。
「君は野球以外が奔放過ぎる。もう少し自重すべきじゃないか?」
奔放だったのはお前らの方だろうに。
現役時代好き勝手やっていたOB達がそんなことを言うのは臍で茶が沸く。
衰えて引退した途端にそんなことを言い出すのは筋が通らない。
時代が移り変わろうと、野球こそが至上のこの社会では実力があれば許される。
その証明であるかのように、誰も俺に対して批判以上のことはできない。
実力で得た立場だし、そもそも法を犯している訳でもない。
他人にとやかく言われる筋合いはない。
プロ野球選手としてのキャリア自体には何ら瑕疵がなく、順風満帆。
我が世の春がそこにあった。
……そんな俺の人生に翳りが生じ始めたのはその矢先だった。
WBWアメリカ代表戦。
相手チームは異次元の才能を持つ人間だけで構成されていた。
年下の選手達に圧倒された。
人生を繰り返しても敵わない。心の底からそう思った。
誰かの「より才能のある人間に打ちのめされる」という言葉を思い出した。
しかしだ。
その試合で日本人唯一と言っていい活躍を見せたのは俺だった。
あの試合の最後打席。
確かに相手は野手登板した選手に過ぎなかった。
にもかかわらず、並の日本人投手より余程優れたピッチャーだった。
異常だった。
アメリカ代表選手は隔絶した才能を持つ。
日本人がその域に達することは決してないと思わされた。
例えば大リーグでホームラン王を取ることができるような、そんな世界トップレベルの選手が生まれることは天地が引っ繰り返ってもあり得ないと確信した。
それでも。アメリカ代表に敵わずとも。
俺が日本一という事実は微塵も揺らいではいない。
あの場で一矢報いることができたのは俺だけだったのだから。
……後から思えば、そんな自己弁護に走ったような言い訳をしてしまった瞬間から何かが壊れていったのかもしれない。
アメリカ代表未満。しかし、日本人の中では優れている。
それを拠りどころにするようになってしまったことで。
「神童と呼ばれる程に突出した選手が同時多発的に出てきたことについて、コメントをいただけますでしょうか」
「……まあ、まずは同じ舞台に上がってこないことには何とも言えませんね」
下の世代が俄かに騒がしくなってきたことは当然ながら知っていた。
しかし、最初に名を知られた瀬川正樹は怪我をして勝手に沈んでいった。
アマチュアの中でどれだけ優れていても、たとえプロ野球選手に比肩する身体能力と持っていたとしても、トップリーグに辿り着かなければ何の価値もない。
実際に相応しい場で相応しい結果を残さなければ才能などとは呼べない。
持ち腐れた宝は宝ではないのだ。
だから、そこまで気にする必要はない。
そう頭で思ってはいても、わざわざ取材をしに来る人間がいる。
心のどこかで意識せざるを得なかった。
俺は経験に基づいた真理を口にしているだけなのに、とやかく騒ぎ立ててことを大きくしようとする有象無象も世間にはいたからな。
本当に才能があるのなら、何を言われようとも勝手に頭角を現す。
俺が何か言ったぐらいで潰れるような選手に才能なんてない。
そんな人間に希望を抱かせることの方が余程残酷だろう。
まあ、それは別にいい。
そんなことよりも、俺は打倒アメリカ代表を囀る世間知らずに苛立った。
更にそれに同調する女性選手。
度しがたい愚か者としか言いようがない。
日本人に、いや、どこの国の人間でも、そんなことができる訳がない。
実際にアメリカ代表と戦った人間ならば、誰もがそう思うはずだ。
俺から見れば、身の程も弁えない夢想家としか思えない。
そんな人間が俺に点数をつけるなど烏滸がましい。
そう思っていた。しかし――。
『投げては開幕16連勝。打っては34本塁打。異次元の活躍が続きます!』
苛立ちは消えることなく、少し意味合いを歪ませて積み重なっていった。
新たなシーズンが始まると、彼らは俺に当てつけるように実績を残し始めた。
日本野球界のトップリーグでだ。
今となっては野球の話題には必ずと言っていい程に登場してくる。
アメリカ代表に感じたような才能の差を突きつけようとしてくる。
理解ができない程の異次元の数字を以って。
俺が得た真理を肯定し、同時に俺という選手を否定しようとする。
俺を才能のない側へと押しやろうとしてくる。
彼らの存在を受け入れることなどできようはずもなかった。
人間の心は矛盾を孕むものなのだと、実感と共に知った。
その齟齬を、なくさなければならなかった。
だから、この村山マダーレッドサフフラワーズとの交流戦で。
俺はハッキリと示さなければならなかった。己の才能を。
これから先の野球人生のために。
――ガッ!!
2戦目の最終打席。
ノーボール1ストライクからの2球目。
その瞬間に脳裏を過ぎったのは、ここに至るまでの軌跡だった。
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