133 お見舞い

「父さん、調子はどう?」

「あ、ああ。悪く、は、ない、よ」


 俺の質問に、ゆっくりと丁寧に発音する父さん。

 病室のベッドを少し起こして横になっているが、今日のリハビリが下肢装具を使用した歩行訓練だったからか少し疲れが見て取れる。

 父さんが脳卒中で倒れてから早3ヶ月。

 発症から2週間程度で急性期リハビリテーションから回復期リハビリテーションに移行し、それからは様々なリハビリを行っている。

 医師によると症状の回復自体は比較的順調のようだが、日を追うごとに父さんの表情には陰りが見えていた。


「……すまない、な」

「何が?」

「仕事、も、できず、迷惑、ばかり」

「病気なんだから、仕方がないよ」


 そう。仕方がない。

 こればかりは誰も悪くはない。

 だからこそ、病気というものは悩ましいのだ。


 もしも俺が転生者ではなく普通の子供だったら。

 恐らく鈴木家との繋がりもできないだろうし、果たしてどうなっていたことか。

 家族は、生活は、将来は。

 貧すれば鈍するとも言うが、あるいは家庭内に不和が生じてしまって目も当てられないような状態になっていたかもしれない。

 断じて誰にも非はないのに。


 ……まあ、そんな思索をしてしまうのは今に余裕があるからこそだろう。

 とは言え、これはセーフティネットなどの社会福祉に関わる問題でもある。

 全てを解決することなど、個人ではできはしない。

 国を挙げて、社会全体で考えていくべきものだ。


「とにかく、今はリハビリに集中しないと。元通りとまではいかなくても、少しでも体をスムーズに動かせるようになるために」

「ああ……」


 力のない声で応じた父さんからは、やはり憂いの気配が感じられる。

 3ヶ月という時間が経ち、今の状況に慣れて思考にもゆとりが生まれてきた。

 そのせいで、俺のように余計なことまで考えてしまっているのかもしれない。


「……体を、動か、せる、ように……か」

「……父さん?」


 ぼんやりと呟く父さんの様子に不安を覚え、引き戻すように呼びかける。

 何だか、どこか遠くへ行ってしまいそうなぐらいに消沈してしまっている。

 後遺症そのものは、少しずつ改善されているはずなのに。


「リハビリ、を、した、ところで、一体、何の、意味が、ある、のか」


 分からない。そう続けようとしたことが口の動きから分かった。

 しかし、面倒になったのか、それを言葉にすることは諦めたようだ。

 代わりに、少し間を置いてから父さんは改めて口を開く。


「……仕事、に、復帰、できる、訳でもない、し、な」


 そう告げて深く嘆息する父さん。

 どうやら、これから先の人生の目標を見失ってしまっているようだ。

 ……いや、それだと少し語弊があるか。

 元々、大層な目的を掲げて日々を過ごしているタイプではなかったしな。

 当たり前の日常を生きる張り合いがなくなった、と言うべきかもしれない。

 仕事をして、金を稼いで、家族との生活を1日1日守って維持していく。

 それこそが父さんの心の拠り所だったのだろう。


 にもかかわらず、今や元の仕事を継続できるような状況になく。

 新しい仕事につくと言っても、その見通しは全く立たず。

 家計は母さんと俺が主に支えることとなり。

 自らそうあるべきと課した自分自身の根幹が揺るがされ。


 父さんは自分のことを、家族の重荷として捉えてしまっているのかもしれない。

 そして明日への希望、心の灯火を失いかけているのだ。

 折角症状が緩和されても、精神を病んでしまってはよろしくない。


 だが……。


「そんな弱気なことでは駄目ですよ」

「…………ああ」


 母さんが横から励ましの言葉をかけるも、効果は乏しい。

 心に響いていないことが傍目からも分かる。


 まあ、父さんは仕事人間ではないにせよ、仕事が生活の中心だったからな。

 貧乏なこともあって趣味と言えば野球のテレビ観戦ぐらいのもので、他の時間は肉体労働で疲労した体を休めるのに費やしていたし。

 仕事が抜け落ちたことで生じた空白は余りにも大きい。

 父さんには、それを埋めるものが必要だ。

 そのためにも、もっと視野を広くして色々な娯楽に触れ、楽しさのために生きるという選択肢もあることを知った方がいいんじゃないかと思う。


 とは言え、世知辛い話。

 それにも時間と金が必要だが……。

 幸いここに1部リーグのプロ野球選手になる予定の息子がいるからな。

 先立つものに関しては障害にならずに済む。


 問題は、そこに至るためにもやはりリハビリが必要なこと。

 そして現状では、そのモチベーションが非常に怪しいことだ。

 下手をすると鬱とか別の問題が出てきてしまう可能性もある。

 かと言って、新しい楽しみを知るにはまずそれを始める体力と気力がいる。

 堂々巡りだ。

 対症療法が必要だろう。


「……そう言えば、明彦おじさんから動画を貰ったんだ」

「動、画?」

「うん。この前やった紅白戦の記録映像。それを高校の先輩に軽く編集して貰って見やすくなった奴。父さん、一緒に見よう?」

「あ、ああ」


 借りてきたタブレット端末をベッドテーブルに立てて動画を再生する。

 映し出されたのは村山マダーレッドサフフラワーズのチーム内での練習試合。

 チーム分けは紅がレギュラー、白が控え+俺&あーちゃんという形だった。


 白チームのピッチャーは俺。キャッチャーはあーちゃん。

 1回から3回は社会人最強右腕のトレース。

 4回から6回は社会人最強左腕のトレース。

 7回から9回は日本最強右腕のトレース。

 バッティングの方は点差に応じて。

 そんな感じの設定で練習試合に臨んだ。


 試合経過としては1回から6回の間にレギュラーチームが4点。

 7回から9回は得点0。

 控えチームはあーちゃんの出塁と俺のホームランで4点。

 他の選手達で1点取り、結果4-5で控えチームの勝利に終わった。


「秀、治郎……」


 父さんが目を丸くして呆然と俺の名前を呟く。

 動画には陸玖ちゃん先輩の編集で彼女の解説がついており、この練習の意図やトレース先のピッチャーの紹介などが含まれていた。

 おかげで、両親共俺の実力をある程度正しく把握することができたようだ。

 正に百聞は一見に如かず、だな。


「……明彦さんから話を聞いて頭では理解していましたが、本当にプロ野球選手になれるだけの実力があるのですね」

「けど、おじさんにはチーム全体をプロの球団にするって約束したからね。まずは今年の都市対抗野球で勝ち進んで、サクッと入れ替え戦に勝たないと」


 明日の予定ぐらいのノリで当たり前の顔をして告げ、そのまま続ける。


「で、父さん。9月の都市対抗野球の決勝戦に招待するからさ」


 父さんは俺の言葉に虚をつかれたような顔をした。

 考えたこともなかった話、というところか。


「プロになったらプロの試合。1部リーグまで行ったら、日本シリーズもかな。後はWBW。リハビリを頑張って、球場まで応援に来てよ」


 張りのある人生を取り戻すまでの暫定的な目標でいい。

 今はそのために、日々を乗り越えて欲しい。

 この世界の補正があれば、何であれ野球は糧になるはずだ。

 ましてや実の息子の活躍であれば。


 本来なら妄言に近い話ではある。

 だが、動画で見た俺の実力が現実味を担保してくれる。


「そう、か。そう、だな」


 結果、父さんの表情は柔らかくなり、陰りも薄くなりつつあった。


「秀、治郎、の、活躍を、生で、見ないと、な」

「ええ。生で初めて観戦するプロの試合が息子の出場試合になるとしたら、それはきっととても有り難い出来事で、幸せなことです」

「……ああ。もっと、頑張る、か」


 その呟きに、母さんも安堵したように頷く。


 俺の計画にはいくつもの目的がある。

 そこに父さんに生きる活力を与えるというものも追加された訳だな。

 失敗は決して許されない。

 万難を排して遂行していくとしよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る