第16話記憶の彼方は何処に
十日目
────ッ!!
目が覚める。
体の痛みは引き、首に残る異物感は消え、脳細胞の活性化を感じる。
少しずつ、少しずつだが、自身の身体がこの状態に慣れていることに気がついた。
「ねぇ、私の犬にならない?」
「……何をわけのわからないことを言っているんだ」
褐色の肌に所々はだけた修道服。髪色は妖艶な紫色に光り、目は赤色。
そして口元に塗られた紫色のリップらしきものが目立つこの女。
ブラウニー君の言っていたことを思い出す。
『
牙を通じて獲物の血を吸い出し、それを魔力に変換して生きる種族。
今残存している数は少なく、教会が保護している地域のみに生息している絶滅危惧種らしい。
そんな生物がなぜこんな地域にいるのか。
ただ、そんなことはどうでもいい。
「お前、いや、"マリア"」
女の顔が歪に歪む。
「なんで……わかった?」
「何日も顔を見て思ったんだ。"ヴィクトリア"に似てるって」
「誰よ、その女……」
その瞬間、俺の喉が引き千切られる。
叫ぶことはできない。痛い、痛い、痛いっ……
……だが、前にもあった。
これまでの自分の経験が。地獄の痛みの全てが、俺をこの現実に引き止めていた。
大丈夫、俺はまだ、耐えられる。
「あなたっ、あなたあなたあなたっ……絶対その女とっ捕まえ────」
血相を変え、今にも俺を殺そうとするかのような目つきに変わる。
そう、言葉を発した刹那──
女が、苦しそうに悶える。
顔の色素は抜け、ところどころ白い斑点が現れた。
そのまま、顔の白い部分は侵食していく、それは髪や目の色もそうだった。
顔半分は黒く褐色に染まり、もう半分は見惚れるほどの白い肌。
すると、女、いや、マリアが口を開いた。
「ごめんなさいっ!!私も、どっ……どうすればいいかっ、わからなくてっ……つい……」
俯いたかと思うと、すぐにハッと顔を上げる。
「あっ、えとっ!私っ、まっ、マリアっ、テノットでございますっ!!!!
申し訳ございませんっ、わたしっ、私なんですっ……失踪事件のっ……犯人……
あっ、あなたは今っ、あの子の、記憶を薄める体液と同時に、血と魔力を吸われているんです!!」
「っ、あっ、かっ、たっ」
クソっ、まだ声が出せねえ……首元に噛み付かれたからか。
「喋らないでください。覚えていますか?
私の事、覚えているなら右手、知らないなら左手を上げてください!!」
昨日とはうってかわって、ハキハキと捲し立てるマリアに驚きながら右手を上げる。
「良かった……ではっ、
『私のだっ!これは!!』
うるさいですっ!!
……私の推測だと、貴方の加護か何かのお陰で、記憶を薄めるあの子の効果が薄まってきているはずです。
ですから、今のうちに、この村を出るか、私をっ……殺してください!!」
突拍子もない発言に、は?と、情けない声が心のなかで漏れる。
「昨日、一昨日ほどでしょうか……私は、貴方を抱き締めて、それで、それで……気づいたら、首を噛んでいました。
グッタリと生気のなくなった貴方を見て、確信したんです。
わたしっ、わたしが、この村の男性をっ、吸い尽くしてしまったって……!!」
自責の念が溢れんとする彼女の瞳が真っ直ぐ俺を見直す。
それと同時に、彼女が手にかけていた俺の鎖は外れ、腕の自由が確保される。
「おい、おいおいおいっ……そんなんありかよっ……」
"殺してください"とはつまり、ヴィクトリアの死を、二度も体験しなければならないということで。
そして今回は、自らの意志で殺さなくてはならないということで。
俺は、その責任を、負える気はしなかった。
俺は、臆病だ。
あの時、ラファエルを殺すための手段を思い付いていたら。
俺は、弱い。
あの時、自分がヴィクトリアを庇えていたら。
俺は、卑怯だ。
彼女を生き返らせるために……彼女のために生きると誓ったはずなのに、今は、アルフレッドを探すために、このいたいけな子を殺そうとしている。
彼女の首に手をかける。
いや、駄目なんだよ。
それじゃ、駄目なんだよ。
ここで、諦めたら、きっと、俺は──
「────アイツに、代わってくれ」
「でもっ、それじゃ……」
「一つだけ、一筋だけ、可能性がある」
この無様な恰好から立ち直るために、座って祈りを捧げるような顔を見つめる。
仁王立ちをしても、足は鎖に繋がれたままだった。
目を真っ直ぐ見つめ返す。
しかし、彼女はそっぽを向き、こう呟いた。
「お願いしますっ、勇者様っ──
おっ、おっ?代わったのかしら?
どうしてなの?いや、嬉しいのは確かなんだけど……
あっ、あの、彼女が言ったことが全てじゃないわ?私だって好きに──」
言い訳など聞いている時間はない。
その思いを胸に、話を遮る。
「一つ『提案』がある」
「……何かしら」
「俺の血を……魔力を、好きなだけ吸うといい」
「そっ、わたしは今の状態でも好きなだけ吸えるから良いのだけど」
髪をクルクルとイジる女に多少のイラつきはあるものの表に出しまいとポーカーフェイスを続ける。
「いや、俺がここで自害した場合お前はもう血を吸えないだろ?
おれの加護、
それに……もし教会に捕まれば、お前はもう俺の血を吸うことなんて一生できないかもしれない。
そこでだ。
俺の旅に少し同行してもらおう」
少しのブラフをかけた。
これで少しは隙を見せてくれればよいのだが……
「…………」
反応上々……!
よし、このまま畳みかけるっ!
「……俺はさほど強くない。
恐らくお前、
それも、かなり強い部類の。
用心棒としては申し分無い……
俺に同行していれば、要求すれば、いつでも吸わせてやる」
その俺の提案に、完全に褐色に染まったマリアが舌なめずりで返す。
「……えぇ、まぁあの方から命令は今はほとんど来ていないし……
えぇ、付き合ってあげるわ♡
それに、貴方のこの村を救いたいって気持ち、惚れちゃったわ〜☆
それに私、ここ半年くらいこの村拠点に活動してたから、刺激も少なかったのよ。
まぁ、もう居る理由はなくなっちゃったんだけどね」
そう言って、頬に手を回す。
それをはたき落とし、手持ち無沙汰な手で服についたホコリを払う。
「胡散臭いな」
「なら、契約でもする?」
「あぁ、そうさせてもらおう」
俺は、彼女に口づけをした。
「むぐっっ!!」
エミルがやったのは、おそらく口からお互いの魔力を交換するする契約法術だ。
恐らくこの世界、唾液、精液、汗や尿までの、体から出る全ての有機物には、魔力が乗っかっているのだろう。
だから、唾液の交換である接吻という行為で、契約法術が成り立つわけだ。
「なにしてっ、はぁッ♡」
「……気持ち悪い奴め」
「なによ、年頃の女の子がこんなことされたら……ね?」
「ちなみにお前いくつだ」
「まだ三十路ですらないわよ」
「それって人間でいうと何歳だ……?」
「……300歳」
俺は一人沈黙した。
「ちょっと、なによ!
私の年齢なんてどうでもいいじゃない!
それに、この体の情報的には人間的にもまだ三十路ですらないわよ?」
横でギャーギャーとうるさいやつが居るような気がするが、いかんせんどうでもいい。
というか、これは天罰のようなものなのでは?
人を殺した罪への罰がこの程度のものとは思えないが。
あ、この世界の神ってことは教会の神か……
それならこの罰は妥当なのか。
「それから、もう俺の記憶には干渉するな、忘れたくないことまで忘れたくない。
それと、マリアとお前で呼び名を分けたい。
あるか?名前」
すると、少し考えた末、こう言った。
「マリオネッタ」
「……それだけか?」
「えぇ、コレ以上も、コレ以下もないわ」
名前に、妙なデジャヴを感じる。
だが、そのデジャヴを振り払い、向き直る。
「そうか。じゃあこの足枷を外してくれ、邪魔だ」
正直、まだコイツは信用できない。
目を離さないよう、こいつを注視する。
だが、妙なことに怪しい動きは何一つせず、そのまま足枷を外した。
しかし、外した途端、顔を赤らめ始める。
「あんまり……見つめないでよっ♡」
「は?」
今、今世紀最大の『は?』を出力してしまった。
なんでよりにもよってお前に言われなければならないのだ。
俺は、お前を警戒したうえで……
その言葉を境に、目が胸の方へと引っ張られる。
意識させられると、人よりデカいな、こいつ……
いかんいかん、あまりの豊満さに、少々見とれてしまっていた。
俺にもまだ、こんな感情が残っていたことに、少し安堵を覚える。
しかし、それとは裏腹に、言い表しようもない一抹の不安をおぼえる。
そうだ。
"記憶がとろこどころ抜け落ちている"気がする。
主に、転移前の。
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