第17話 息ができないほど胸が苦くて

「んっ……きつ……!

 ……あぁ……ダメっ……! 私、もう……!!」


 私の額から汗が零れ、頬を伝って、白い胸元へ落ちる。

 身体中が痛みに悲鳴を上げて、もうこれ以上は、耐えられそうにない。


「まぁ、何ですか、その姿勢はっ。

 しっかりなさってください、クロエお嬢様!

 もっと背筋を伸ばして、顎を引くのです!」


(た、タバサめぇ~~……っ!)


 私は、今、タバサ監督の元、鬼の花嫁修業を受けさせられている。

 頭に分厚い本を乗せて、床に白チョークで真っすぐ引かれた線の上から、はみ出ないよう歩かなければならないのだ。


「まったく……一体どうしたというのですか。

 あれほど完璧だった淑女レディとしての基礎が、まるでなってないではないですか。

 あぁ……タバサは、情けないです……。

 もう今日は、美しい歩き方が出来るようになるまで、お食事は抜きですからねっ」


(くぅ~っ……そんな、現代人の庶民に、淑女の基礎なんて、分かるわけないじゃないのよっ!)


 まずは、淑女としての歩き方からお辞儀の仕方、お茶の飲み方、笑い方……社交ダンスに至るまで、朝から晩までみっちりとスケジュールを詰め込まれてしまっている。これでは、薬草園どころか、トイレに行く暇すらない。


「さあさ、立派な王太子妃となるためですよ。

 ゆくゆくは、この王国の王妃となられるのですから。

 今から自覚を持って、立派な淑女となるべく花嫁修行を致しましょう!!」


 立派な淑女になる前に、胸につけたコルセットで窒息死させられそうだ。

 

(だめだ……このままじゃ…………ルイの前に、タバサに殺されるわっ)


 私は、だんだん気が遠くなっていくのを感じた。


 ああ……息ができないっ……空気が……ほしい…………っ!


 ばたん、と何かが倒れる音がした。

 それが自分の出した音だと気づいたのは、視界に天井が見えたからだ。


「きゃーっ! く、クロエお嬢様?!

 だ、だれか来てーーっ!!」


 タバサの叫び声が聞こえる。 

 気を失う寸前、アルフォンソの無表情な顔が私を覗いているのが一瞬だけ見えた。



  ♡  ♡  ♡



 私は、自分のベッドの上で目を覚ました。

 どうやら、花嫁修業中に窒息しかけて、気を失ったらしい。


(息ができる……コルセットは……ない。きっとタバサが外してくれたのね)


 ほっとして視線を動かした先に、金髪の可愛いお姫様がいた。

 ベッドの傍にある椅子に腰かけ、手元に持っている紙の束を真剣な表情で見つめている。白い肌に、頬がほんのり赤い。


「……それで、どうしてヴィヴィアンがここにいるのかしら?」


 私が問いかけると、金髪のお姫様――ヴィヴィアンは、可愛らしい悲鳴をあげて飛び上がった。私が起きたことに、気付いていなかったのだろう。


「お、起きたなら、起きたって教えなさいよねっ!

 わたくしは、あなたが倒れたと聞いて……だから…………」


 ヴィヴィアンが顔を赤くして、言いよどむ。


「……もしかして、私を心配して、お見舞いに来てくれたの?」


 私の言葉に、ヴィヴィアンがより顔を赤くして、怒ったように言った。


「あっ、あなたが言ったのよ!

 わたくしたちは、その……〝お友だち〟だって……。

 〝お友だち〟なら、倒れたと聞けば、心配をするものでしょう!」


 ふんっ、とヴィヴィアンが怒ったように顔を背ける。

 私は、もうコルセットをつけていないのに、何故だか胸が、ぎゅっと締め付けられて、息苦しく感じた。なんとなく照れくさくて、誤魔化すように、ヴィヴィアンの手元に視線をやる。


「えっと……何をそんなに、熱心に見ていたの?」


「こっ、これは……床に落ちていたのを、私が拾ってあげたのですわっ!」


 ヴィヴィアンは、持っていた紙束を私から隠すように、さっと手を背中側へ回した。

 ちらっとだけ見えたが、私の描いた漫画だろう。確か、アルフォンソが片付けて、机の上に置いていた筈だ。

 私は、ヴィヴィアンの背後を見た。机の傍にある窓が開いており、風でカーテンが揺れている。


「……ああ、風で机の上から落ちたのね。ありがとう。

 あとで片付けておくから、こっちに渡して……」


 私は、ヴィヴィアンから紙の束を取り返そうと、ヴィヴィアンの背後に手を伸ばし、紙を掴んだ。

 しかし、ヴィヴィアンは、紙の束をしっかり掴んだまま、離そうとしない。

 ぐぐぐっ……と、しばし紙の引っ張り合いが続いた。


「……い、いいえっ。病人に、そんなことはさせられませんわ。

 これは、わたくしが、後で片付けますからっ……!」


 ヴィヴィアンの表情は笑っているが、目が真剣だ。

 私は、なんだかヴィヴィアンのことが可哀想に思い、そっと手を離してやった。


(読みたいなら、読みたいって、言えばいいのに)


 ヴィヴィアンは、死守した漫画を胸に抱き、嬉しそうな顔を隠せずにいる。

 その顔を見ているうちに、私の頭に、ふと名案が浮かんだ。


「ねぇ、ヴィヴィアン。〝お友だち〟として、お願いがあるのだけど……」


 私のお願いを、ヴィヴィアンは、目を丸くして聞いていた。それでも、引き受けると言ってくれた時、彼女の目は、なんだか楽しそうに見えた。




「…………いいわ、今なら誰もいない。大丈夫よ」


 ヴィヴィアンが、小声で私に合図をする。

 私は、急いで部屋から出ると、ヴィヴィアンのいる廊下の端まで走った。

 足音が聞こえてはマズイので、靴は手に持っている。

 タバサが見たら「淑女のすることではありませんっ!!」と言って、カンカンに怒るだろう。


 ヴィヴィアンが角を曲がり、一人で廊下を進むのを、私は角から見送った。

 やがてヴィヴィアンが、下の階へ降りる階段に辿り着く。この階段を下りれば、玄関はすぐ目の前だ。下の様子を伺ったヴィヴィアンが、私に手で合図を送る。

 私は、急いでヴィヴィアンの傍へ駆けつけた。


「あら、ヴィヴィアン様。もうお帰りですか?」


 タバサの声がした。どうやら、ちょうど階段の下を通りかかったようだ。

 私は、慌てて、タバサから見えないよう、壁際に身体をくっつけた。

 ヴィヴィアンが咄嗟に機転を利かせて、階段へと躍り出る。


「あ……はいっ。クロエ様は、まだぐっすりお休みになっているようですので、また出直して参りますわ」


「まぁ、お気遣い感謝いたします。今、お見送りを……」


「いいえっ、お見送りは結構です。

 その……私、お腹がすいてしまって。

 良ければ、何か軽食を用意していただけないかしら」


「まぁ、それは気が利きませんで、大変申し訳ございません。

 今すぐ、軽食のご用意をさせて頂きます」


「どうもありがとう。私は、先に馬車へ乗って待っています。

 帰りの馬車の中でいただくわ」


かしこまりました。すぐに、お持ちいたします」


 そう言うと、タバサは、調理場の方へと引っ込んで行った。

 私とヴィヴィアンは、互いに顔を見合わせて、大きく肩で息をついた。

 ヴィヴィアンが機転を利かせてくれていなかったら、タバサに見つかってしまうところだった。


 私たちは、急いで階段を降りると、玄関から外へ出て、ヴィヴィアンの乗って来た馬車に二人で乗り込んだ。

 そして、タバサが戻ってくる前に、馬車を王宮へと走らせた。


――脱出成功だ。


「あーっ! すっっっごい、解放感……!」


 私とヴィヴィアンは、馬車の中で、互いの顔を見合わせて、大声で笑い合った。

 笑いすぎて、息ができなくて、胸が苦しくなった。

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