第16話 クロエの考察

「レノール……」


 私は、前を行くレノールの背中に声を掛けた。

 無視されるかと思ったが、レノールは、立ち止まって、振り返ってくれる。


「……なんだ」


「あの……勝ったのに、どうしてそんなに不機嫌そうなの?」


「あんなのが勝ったなんて言えるもんか!

 お前だって、あいつのこと、ずっと見てたんだから知っているだろう!

 ルイの腕は、俺よりもずっと上だった!

 それなのに……あんな手を抜くような真似をされて、俺が屈辱を感じないほど馬鹿だと思っているのか?」


「そんなこと思ってないわよ!

 もしかしたら……今日は、たまたま体調が悪かっただけかもしれないじゃない」


「そんなわけがあるかっ。剣を合わせれば分かる。

 今までどれだけあいつが陰で努力していたか、俺は知っている。あいつの実力も。

 それなのに……ここ最近のあいつは、まるで別人にでもなったかのように訓練でも手を抜いていて……見るに堪えんっ。

 だから、俺があいつの目を覚まさせてやろうとしたのに……このざまだ」


 レノールが悔しそうな表情で、そう吐き捨てる。

 どうやら、先ほどの勝負に自分が勝ったのは、ルイが手を抜いた所為だと思っているようだ。


(私には、さっきの戦い……ルイが手を抜いているようには見えなかったけど……レノールは、ルイの腕前を知っているから、ルイと比べて、腕が落ちたように見えたのかもしれないわね)


 そしてそれが、レノールには、ルイが自分を馬鹿にしているように感じたのだろう。


(……まぁ、実際、中身は別人なんだもの。剣術の腕が落ちるのは、当然よ。

 むしろ、剣なんて握ったことすらないあいつが、一国の騎士であるレノール相手に、あそこまで善戦していたことだけでも、すごいことだと思うわ。

 たぶんルイは、ルイなりに努力して、あそこまで上達したのね。決して手を抜いていたわけじゃないはず……って、なんで私があいつの肩を持ってやらなきゃいけないのよっ!)


「人との真剣勝負に手を抜くようなやつとは、俺はもう剣を交えない」


 レノールは、きっぱりとした口調で言った。どうやら冗談や、一時の気の迷いではないようだ。

 その様子を見て、私は、確信した。 


(やっぱり、そうだ……これは、<必須イベント>だったんだわ)


 これは、後にレノールの攻略ルートで判明するのだが、レノールには、ルイとの間に確執がある。かつてルイとの真剣勝負に以来、ルイと勝負をしなくなるのだ。

 何故なら、どれだけレノールがルイと真剣勝負をしても、周囲は、わざと負けてやったんだろう、と見なす。ルイが王太子だからだ。

 レノールは、それが悔しくて、ルイとの勝負を避けるようになる。


 でも、今回の勝負では、レノールが、ルイが

 勝負の結果は違えど、レノールのルイに対する確執は、変わらなかった。


 つまり、ゲームの強制力というのが存在するのだ。

 それは、私がこの先、どんな選択をしても、抗えない結果が待っていることを示唆している。


(私……本当に、この世界で生き延びることができるのかしら……)


 目には見えないが、確かにある得たいの知れない巨大な力を感じたようで、私は、はじめて、この世界に恐怖を覚えた。



  ♡  ♡  ♡



 そのあと、私は、ふらふらした足取りで王宮の入口へ戻った。すると、そこには、いつの間にかアルフォンソが用意してくれていた馬車が待っていた。

 馬車に揺られて屋敷へ戻る道中、アルフォンソは、始終無言で無表情だった。

 でも、今の私には、それが逆に有難かった。


 屋敷へ戻ると、出迎えてくれたタバサが目に涙を浮かべて言った。


「クロエお嬢様が部屋から出なくなってしまわれた時は、どうなることかと思いましたが……これで安心して、王太子妃になられるための準備を進められますわ」


 〝準備〟とは一体どういうことか……と尋ねる元気が、今はない。

 広い王宮の庭を歩き回り、身体も疲れていた。


「ごめん、疲れたから一人にしてくれる?」


 私が力なく言うと、タバサは、顔を青くして、甲斐甲斐しく私の世話を焼こうとした。でも、私は、それを突っぱねて、再び自室に閉じこもった。


 着ていたドレスを何とか脱ごうとし……背中の紐に手が届かないので、諦めた。

 ドレスが皺になることも構わず、そのままベッドへダイブする。


(ゲームの強制力……そんなものがあるんじゃ、いくら私が頑張ったって、運命は変わらないのかも……)


 その時、シーツの下で、がさり、と何か紙が擦れるような音がした。

 手を入れて取り出すと、一枚の紙に、『乙女の見る夢』の攻略ルート一覧が書き記されている。以前、私が書き出したものだ。

 私は、それをぐしゃりと丸めて、宙に投げた。


――おそらく正攻法ではダメなのだ。


(そもそも、この世界は、一体何なの?

 ……ゲーム? 現実に存在する世界なの?

 ……まさか、夢ってことはないわよね。痛みもあるし、お腹もすくし……)


 考えても分からない。

 まさにファンタジーの世界だ。


(ゲームのシナリオにはあらがえないのだとしたら……もしかして、ルイを殺すことも……?)


 今日、薬草園で見つけた、あの毒草。

 手段は、あれしかない、と思った。 

 

 剣術の訓練中にアクシデントが起きて、ルイが命を落とす……ということは有り得ないことが、今日わかった。

 皆、真剣を携えてはいても、誰もルイに本気で剣を向けようとしていないのがわかるからだ。

 レノールだけは本気でルイに勝負を挑んでいたが、<必須イベント>の所為で、彼がルイに勝負を挑むことは、今後一切ないだろう。


 幸いにも、今のところルイは、私に好感を持っている。

 不意を狙えば、私でも刺殺することくらいはできるかもしれない。

 でも、この方法には、色々と問題があって、後始末が大変なことと、王太子であるルイを誰にも知られず刺殺して、私に容疑がかからないようにすることは、至難の業だ。ミステリー小説ではあるまいし、前世一般人の私の脳みそでは、完全犯罪など不可能だからだ。

 それに、今日のルイの身のこなしを見ても、あっさりと防がれてしまう可能性もある。


 ルイの隙を見て、毒殺する方法が一番手っ取り早く、確実だろう。

 ただ、それも私が犯人だとバレないように工夫する必要がある。


(前世と同じことをする羽目になるなんて……これも、前世で私が犯した罪の因果なのかしら……)


 もちろん、私だって、出来ることなら〝人殺し〟になんて、なりたくない。

 でも、そうしなければ、いつか必ず、私は、あの男に殺される。


 私は、自分の右手を掲げて見た。

 ずいぶん時間が経ったというのに、まだそこに、ルイの手のぬくもりが残っているような気がした。


(手を繋いだのなんて、何年振りかしら……)


 つい感傷に浸ってしまいそうになる思考を振り払い、私は、気を引き締める。


 まずは、毒草を手に入れるため、イリアと親しくなる必要がある。

 薬草園は、イリアが管理しているからだ。


 あとは、保険として、魔法についても学んでおきたい。

 果たして、魔法で人をあやめることができるのか分からないが、アリバイ工作くらいには使えるかもしれない。

 それに、魔法に対する単純な好奇心と憧れもある。


(とにかく、やれることを一つずつ、やっていくしかないんだわ)


 私は、掌をぐっと握りしめて、目を閉じた。

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