第14話 嫉妬

 私は、ルイの視線の先を見て、まだイリアが私の腕を掴んだままであることに気が付いた。


「あっ、これは……」


 私が事情を説明する前に、ルイがイリアを睨んで言った。


「イリア。クロエは、俺の婚約者だ。それを知らないとは言わさないぞ」


 しかし、イリアは、ルイの視線を正面から受け止めて、じっと黙っている。


(……え? イリアってば、なんで黙ってるの?

 一言、誤解だって言えば済むのに……)


 私は、いたたまれなくなって、イリアの手を解こうと腕を引いた。

 が、イリアは、私の腕を掴む手に力を入れて、離してくれない。


(なっ、なんで?

 ……ってか、ルイも、なんでそんなに怒ってるのよ?)


 ヴィヴィアンも、どうしてよいか分からないようで、困った顔をしている。

 アルフォンソは、いつもの無表情のまま、話に入ってくる気はなさそうだ。

 険悪な空気が流れる中、沈黙を破ったのは、意外な闖入者ちんにゅうしゃだった。


「ルイ―っ! どこ行ったんだ?! 逃げてないで、俺と勝負しろーっ!!」


 姿は見えないが、大声で叫んでいるのは、レノールだ。

 どうやらルイを探しているらしい。


 その声を聴いたルイが、明らかに困ったような、嫌そうな顔をした。

 もしかしたら、私を探しに来たのは、ただの建前で、本当は、レノールから逃げて来たのかもしれない。


 ルイの気が逸れたのを見て、イリアが私の腕をぱっと離してくれた。

 私がイリアの表情を伺うと、まるで警戒するように、じっとルイの方を見ている。


(もしかして……イリアは、ルイが今までのルイと違うってことに、気付いているんじゃ……)


 聡いイリアのことだ。その可能性は、大いにあり得る。

 妹のヴィヴィアンですら、何かを感じ取っているのだ。

 それに、幼い頃からルイに付き従っているイリアなら、ルイのことを一番近くて見て知っているのだから、より違和感に気付くだろう。

 だとしても、見た目は、ルイ本人そのものなのだ。イリアも、どう接して良いのか分からないのかもしれない。


「クロエ、行こう」


 ルイは、そう言って、私の手を掴んだ。


「え、ちょっと……」


 戸惑う私を強引につれて、ルイは、薬草園を出て行こうとする。


「お兄様っ?! どこへ……っ!」


 私たちの後を追おうとしたヴィヴィアンの目の前に、アルフォンソが手を伸ばして、それを止めた。気を遣ってくれたのだろう。

 

(そんな気は遣わなくていいわよぉ~~~!!)


 私は、心の中だけで叫んだ。

 


「ルイ、どこへ行くの?」


「しっ、黙って」


 ルイは、人差し指を自分の口の前にやって、私を黙らせると、周囲を警戒しながら緑の迷路を進んでゆく。さっきまで近くに聞こえていたレノールの声が、どんどん遠くなっていった。


 その間、ルイの手は、ずっと私の手を握っていた。


 しばらく歩いて、少し開けた場所に出た。白亜の石造りのガゼボがある。

 ルイは、周囲に誰の姿もないことを確認してから、ガゼボの下へ移動し、ベンチに腰を下ろした。


「……はぁ……参ったよ。

 レノールのやつ、俺と顔を合わせる度に、手合わせしろって、しつこいんだ」


 ようやく手を放してもらった私は、手持無沙汰なまま、立ち尽くしていた。

 ルイと手を繋いでいた右手が、すーすーする。

 ここまで来て逃げるつもりはないが、ルイの隣に座る気にもなれない。

 そんな私を、ルイのサファイアの瞳が気遣うように優しく見上げる。


「久しぶりだね。どうしてた?」


 引きこもって乙女ゲームの漫画を描いていた、とは言えない。


「えーっと……まぁ、お茶したり、ご飯食べたり、かなぁ……」


 嘘ではない。


 それを聞いたルイは、くすっと笑みを漏らした。お日様の光が一粒、ころりと零れたかのような笑みだ。


(ああ……乙女ゲームをしていた時には、この笑顔が好きだったのに……)


 私は、自分の中に黒いもやが立ち込めていくのを感じた。


「ルイは⋯⋯元気そうね。

 この前見た時よりも落ち着いてるというか⋯⋯もっと動揺しているかと思った」


「ああ。まあ、最初は驚いたし、パニクったよ。でも、落ち込んでても俺の立場は変わらないし、前に進まないとな。

 それに、クロエが俺の話を聞いて、信じてくれたから。なんだか、勇気が湧いたんだ」


 私は、話なんて聞くんじゃなかった、と心の中だけで毒づいた。


「あの……さっきの、なんで私とイリアを見て、怒ってたの?」


「あぁ、ごめんね。びっくりさせたよね。

 う~ん……なんでだろう。

 なんとなく、君をイリアに取られたような気がしたのかな」


 そう言って、ルイは、何の悪意も感じられない笑みを浮かべた。

 普通の乙女だったなら、ここは「キュン♡」となるところだろう。

 でも、私の場合は……


(はあっ?!

 なに言っとんじゃ、われぇ!

 あんた、前世で奥さんおるやろうがっ!!

 転生して見た目イケメン王子になったからって、いい気になってんじゃねぇぞ、ごらぁ!!)


「どうしたの、クロエ?」


「…………ううん、なんでも」


 私は、笑顔の仮面を被った。


(まぁ、落ち着いて考えてみれば、その奥さんは、私なわけで?

 そもそも離婚直前だったわけだし?

 というか、前世で死んで転生したのだから、こいつが誰にフェロモンを振りまこうが、私の知ったこっちゃないのよね……それにしても……)


――腹が立つのは、何故だろう。


「ルイは、嫌じゃなかったの?

 その……初めて会ったばかりの私と、急に婚約するって言われて……」


「え……うーん、びっくりはしたけど、嫌とは思わなかったかな。

 クロエとは、初めて会う気がしなくてさ」


(そりゃ、そうだろうよ!!

 あんたの前世の妻だからな!!!)


「それに、クロエみたいな美人と結婚できるなんて、なんか幸せじゃん?」


(殴っていい? こいつ、今すぐ殴っていいかな?)


 その時、口を挟んでくる声がなければ、私は、この男を殴っていただろう。


「おっ、こんなところで何してんだ?」




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