幕間1 ある日のギルド side.受付嬢エマ

 その日は、とても暇な一日だった。

 今日の大樹海は穏やかなようで、依頼の受注はほどほど、報酬の受け取りはほとんどなし、素材の持ち込みに至っては一件もない。


 それにしても、さっき来た男性と女性の三人組パーティが、奇妙なことを言っていた。


「……魔物の数が、誰かに狩り尽くされたように少なかった、とか」


 でも、近頃このドンクルの町を中心に活動している冒険者で、一日でそんな大量の魔物を狩れるほどの実力者に心当たりはない。


「うーん、ここで一番の実力者って言うと……」


 ギルドの端の方に目を向けると、粗野な笑い声を上げる大男――ゲラルドさんの姿が映り込む。

 素行の悪さに目を瞑れば、その腕は確か。

 その素行が問題なのだけど……。


 深々とため息。

 そのとき、不意にギルドの中に聞き慣れない足音がやってきた。


 コツコツと規則的に鳴る足音は、決して大きな音ではないのに喧騒の中でもはっきりと耳に届いてくる。

 音の方を向くと、そこにはこちらへ一直線に歩いてくる20代ほどの端正な顔立ちの男性がいた。


「いらっしゃいませ! 依頼の受注にしますか? それとも報酬の受け取りにしますか? それとも魔物の……か・い・と・り?」

「すみません、間違えました」


 ……あら、ちょっとした冗談のつもりだったのに、帰ってしまった。


 しかし、すぐに彼は首を捻りながらも戻ってくる。


「いらっしゃいます?」

「あ、はい……」


 聞いてみると、彼――レオンさんは冒険者登録がしたいそうで、すぐにその手続きに入ろうとする。

 だが、そこで思わぬ邪魔が入った。


「おい、なんだコイツぁ? こんなひょろい枯れ木みてえな奴に冒険者が務まるとでも思ってんのか、あァ!?」


 ついさっきまで取り巻きたちと大声で話をしていたゲラルドさんが、いわゆる新人いびりのようなことをしに来たのだ。

 以前にもギルドマスターから同じ件で厳重注意を受けたばかりだっていうのに……。


 だけど、レオンさんは今までゲラルドさんに摘み取られてきた若い芽たちとは違っていた。


「ゲラルド、あんたを模擬戦で下して冒険者として認めてもらうとするよ」


 冒険者登録に実力の証明が必要となると話をした直後のセリフだ。


「テメェ……余程、死に急ぎたいらしいなァ……ッ!」

「死にゃしないさ。なにせ、あんたみたいな小鬼ゴブリン風情討伐できなくて、冒険者はやれないだろう?」


 そうして、レオンさんとゲラルドさんの模擬戦が決定したのであった。


 訓練場に入った後、レオンさんの最初の言葉はルールの確認だった。


「得物や魔法の制限は?」

「は、はい! 武器に制限はなく、魔法は相手の命を奪う危険があるもの以外であれば、自由に使用してもらって構いません」


 あまりにも落ち着いた態度に驚き、一瞬反応が遅れてしまう。


 ……この人は怖くないんだろうか?


 普通、歴戦の冒険者であっても、対人戦となると少なからず緊張や力みが生まれてしまうものだ。

 ゲラルドさんほどの自信家であれば話は別だけど……。


 しかし、目の前のレオンさんには、その気負いが一切見られない。

 まるで自分の勝ちを確信しているかのような、本物の強者の余裕がそこにはあった。


 私がそんな違和感を覚えていることなど露知らず、レオンさんはさも当然のように双剣をどこからともなく喚び出し、その両手に収めていた。

 それを見て、今さらながらに彼の恩恵が何なのか知らないことに気づく。


 ……物を召喚する系統の恩恵ギフト


 手にした武器を見る限り、あのゲラルドさんに接近戦を挑むつもりらしい。

 でも、彼の恩恵が召喚系なのだとすれば、純粋な剣の業のみでゲラルドさんの戦鎚による猛攻を超えてゆかなければならないということ。


「そ、そんな無謀な……」


 無謀、という私の想定通り、ゲラルドさんの猛攻をレオンさんは跳んで躱すばかりで、反撃は一度たりとも見えない。

 正直、勝負にもならないだろうと、ここにいる誰もがそう思っていた。


「お願い、どうか怪我だけは……」


 手を組んで祈る。

 しかし、戦闘が始まって少し経った頃、ある違和感に気づいた。


 ……え、どうして息が切れていないの?


 あれからかなりの回数、ゲラルドさんは戦鎚を振り下ろしてきたはず。

 だというのに、彼は汗ひとつかかず、息も切れてはおらず、かすり傷ひとつすらも負っていない。


 ただの模擬戦のはずなのに、私はひどく異様な光景を見せつけられているような感覚に落ちていた。


 そんなとき、レオンさんはひと際大きく後ろへ跳んだかと思うと、剣を突きつけながらとんでもないセリフを吐いてみせた。


「――なあ、そろそろ本気でかかってきたらどうだ?」


 ……なっ、あれだけの攻撃を見せられてまだそんな煽るようなことを!?


 レオンさんの思考が読めない。

 けれど、ゲラルドさんは頭に血が上ってしまったようで、何やら言葉を吐きながら戦鎚を頭上で振り回し始めた。


 ……マズい。このままではレオンさんが潰されてしまう!


 慌てて止めに入ろうとするも、すでにゲラルドさんは駆け出したあと。

 そして、大気を揺らす咆哮とともに、加速の乗った戦鎚が振り切られた。


 立ち込める砂煙に咳き込みつつも、必死に戦いの行方に目を凝らす。

 すると、煙が晴れた後に現れたのは、大質量の戦鎚の一撃を細い双剣の切っ先で受け止めているレオンさんの姿だった。


「え、あれを受け止めて、無傷……?」


 一体どんな恩恵があれば、ゲラルドさんのあの一撃をたった片手の剣のみで受け止められるというのだろうか。

 理解が追い付かない。


 そうしている間に、レオンさんは剣に少し力を籠めて戦鎚をはじき返し、そのままがら空きの胴体へもう一振りの剣を叩き込んだ。


「安心しろ、柄での打撃だ。死にゃしないだろうさ」


 そう言葉を残しながら、彼は双剣を再び虚空へと消し去った。


 そのあまりにも衝撃的な結末に、この場にいる誰ひとり、言葉を発することができない。

 そんな中、レオンさんだけはひどく自然体で、その場でただじっと佇んでいた。


 ……まさか、こんな人がいただなんて。


 職業柄、いろんな強い人たちを見てきた。

 けど、この人はあまりにもその強さの底がしれない。異質だ。


 だからこそ、私の心は喜びに打ち震えていた。


 もしかすると、この人なら――。


「――あの『灰の魔女』を捕まえてくれるんじゃ……」


 淡い期待に喉を鳴らしながら、私は彼の背中をじっと見つめていた。


 私が決着のコールをしていないことに気づいたのは、その少し後のことだった。

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