第9話 はじめての実戦

 ギルドの裏手に出ると、そこには広々とした訓練場が広がっていた。


「さあ、レオンさん。こちらへ」


 先ほどの受付嬢――エマさんというらしい――に促されるまま、訓練場の中心の方へと歩いてゆく。

 すると、エマさんを挟んで反対側に不機嫌そうなゲラルドが立った。


「泣いて靴を舐めて謝るのなら、今のうちだぜ、枯れ木野郎」

「そんな必要はないさ。模擬戦が終わった頃には、地面に這い蹲っているのはお前の方だろうからな、小鬼ゴブリンさん?」

「……ぜってェ、殺す」


 より一層、ゲラルドの殺意が高まるのを肌で感じながら、もう一度エマさんの方へ視線をやる。


「得物や魔法の制限は?」

「は、はい! 武器に制限はなく、魔法は相手の命を奪う危険があるもの以外であれば、自由に使用してもらって構いません」


 なるほど。これが一応決闘ではなく、あくまで戦であるという線引きをしているわけか。


「そういうことなら、得物はを使うとするよ」


 師匠を真似て、虚空から双剣を召喚して、掌に収める。


「なっ、何をしやがった、テメェ……ッ!?」

「何って……得物を出しただけだけど?」


 正面を見ると、ゲラルドが脂汗を浮かべながら戦鎚の柄を音がなるほどまで強く握りしめている。

 ただ双剣を喚び出しただけなのに、えらく身構えているみたいだ。


「……いや、恩恵ギフトに頼っているだけじゃ、こんな芸当もできないか」


 双剣を握る手を見つめながら、ひとり呟きをこぼす。


 すると、ようやく気を持ち直したゲラルドが、ゆっくりと戦鎚を背から引き抜いた。


「チッ……まあ、んなことはどうでもいい。さっさと始めるぞ、枯れ木野郎」


 もう待ちきれないようだ。

 だが、それはこちらも同じ。


 ……何せ、こいつはこの身体をなんて言ってくれたんだからな。


 この身体は、師匠が精霊の森の大樹――世界樹から切り出した、世界最高の身体だ。

 たとえそのことを知らないとはいえ、この身体を“枯れ木”だと侮辱したこいつを許せるはずがない。


 今にも襲いかかってきそうな勢いのゲラルドに合わせて、こちらも柄を握る両手に力を籠める。


 それを確認したエマさんは、一度息を呑んだ後、模擬戦の開始を宣言した。


「では、模擬戦開始……ッ!」


 彼女の声が届くと同時、ゲラルドは背丈以上もある戦鎚を振りかざしながら突進してくる。


「ハッ! 潰れろォ――ッ!」


 空気を裂きながら迫ってくる戦鎚。

 それを軽く後ろに跳んで躱す。


「フンッ! ちょこまかと……!」


 不機嫌に鼻を鳴らすと、そのまま戦鎚による連撃を繰り出してくる。


 ……なるほど、これは確かに当たるとひとたまりもないかもな。


「大層な口を叩いておきながら、結局は逃げてばかりか!? あァ!?」


 彼が繰り出す一撃ごとに、地面に穴と亀裂を生み出してゆく。

 だが、こちらはそれと打ち合うことをせず、ただ飛び退いて躱すばかり。


「おいおい、そんなんじゃ冒険者になれねえぞッ!」


 高らかな笑い声を響かせながら、大振りの戦鎚からは考えられないほどのスピードを以てゲラルドは猛攻撃を繰り出し続ける。


「なんだよ、アイツ。あれだけのことを言っておきながら、逃げてばっかじゃねぇか」

「ケッ、やっぱゲラルドの勝ちかよ。面白くねぇ……」


 粗野な見た目の野次馬どもは、誰も彼もゲラルドの勝ちを確信している。

 ただその隣、エマさんだけは祈るように手を組んで、戦いの行方をじっと見守っていた。


 ……ああ、優しいんだな、彼女は。


「チッ、面白くねぇ……なァ!」


 破砕の音とともに、ゲラルドは怒りの声を吼え上げる。

 だけど、対するこちらはまったく表情を崩すことなく、すべての攻撃を余裕をもって躱し続ける。


 その様子に、徐々にゲラルドの表情が険しくなっていく。


「……チィッ!」


 苛立ちを隠せない力任せの大振りも、こちらに掠めることさえできない。


 さっきからずっとこの調子。

 技術も何もない力任せの特攻ばかりだ。


 もうゲラルドには、怒りで我を失っていてまともな思考能力も残ってはいないのだろう。


 ……はぁ、退屈だ。


 これなら剣と魔法を使わず、目隠しをした状態の師匠の方がよっぽど強い。

 あの人は目隠しをした素手の状態なのに、平気で迫りくる魔法をすべて避けて、さらにはこちらの急所を的確に狙ってくる始末。

 正直、同じ人間だとは思えない。


「いや、それはあの人がおかしいだけか」

「何をわけわかんねえことを言ってやがるッ!」


 何度目かわからない戦鎚の一撃。

 それをひと際大きく飛び退いて躱すと、離れた距離から手にした双剣の一振りをゲラルドに突きつけた。


「――なあ、そろそろ本気でかかってきたらどうだ?」


 俺の言葉に、明らかにゲラルドの顔が引きつったのがわかる。


「んだと、テメェ……?」


 ミシリ……と戦鎚の柄が悲鳴に似た音を立てる。

 けれど、そんな音に怯むことなく、こちらはさらに言葉を続ける。


「『殺す』だなんだと言っておきながらどうだ、今の状況は?」


 無傷の身体を見せびらかすように両手を開くと、わざとらしく肩をすくめてやった。


「あんたの攻撃は一切当たる気配がなく、避けられ続けるばかり。それのどこが本気でやっていると? はっ、笑えるな」


 わかっていないようだから、もう一度わかりやすく言ってやった。


「さっさと本気で潰しに来いよ、ゲラルド。殺すんだろう、俺を?」


 すると、彼は以外にも静かに戦鎚を持ち上げて、それを頭上で回し始めた。


「……あァ、俺をここまでコケにしてくれたやつァ久々だ」


 底冷えするような低い声を吐き出しながら、ゆっくりとこちらへ視線を向けてくる。

 その瞳は憎悪と怒りに燃える炎がはっきりと揺らめいていた。


「まだ言ってなかったな、俺様の恩恵を」


 そう言っている間にも、戦鎚は回転の力で徐々にその速度を増していく。


「俺様の恩恵は『狂戦士』。俺様が怒りを感じれば感じるだけ、それを純粋な力へ変換できる最強の恩恵だ」

「ほう、逆恨みで力を増すとは、なかなか短気で短絡的なあんたにお似合いの恩恵だな」

「……殺す」


 ゲラルドは短くそう吐き捨てると、戦鎚の回転をそのままに、一直線にこちらへ駆け込んでくる。


 そして、戦鎚を回転の加速を乗せて、一息に横合いから殴りつけるように振り抜いた。


「――死ねやァァァッ!」


 轟音。その直後、砂煙が訓練場に立ち込める。


「けほっ、けほっ……一体どうなって……?」


 誰かのそんなつぶやきの後、徐々に砂煙が晴れてゆく。

 すると、そこには戦鎚を振り抜かんと力を籠めるゲラルドと、それをたった片手の剣のみで受け止める俺の姿があった。


「……軽いな」


 軽く力を入れて戦鎚を弾き返してやる。

 それだけで、ゲラルドの体勢は簡単に崩れる。


 あとは簡単だ。俺はがら空きの胴へ向けて、もう片手の剣を目にも留まらぬ速さで振り抜いた。


「がッ……!?」


 胴への一閃を受けたゲラルドは、その場に膝をつき、砂煙とともに地面に崩れ落ちる。

 その倒れ伏した背を見つめながら、俺は二刀一対の剣を虚空へと消した。


「安心しろ、柄での打撃だ。死にゃしないだろうさ」


 さすがにこんなやつでも殺してしまうと寝覚めが悪い。

 だから、咄嗟に刃での斬撃ではなく、柄頭での打撃に切り替えたのだ。


 ……それにしても、勝者のコールが来ないな。


 立会人のエマさんに目をやると、ただあんぐりと口を開いたまま、呆然とその場で立ち尽くしていた。

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