第7話 旅立ち

 精霊の森に住まうようになって、実に五年の月日が流れた。

 俺がレオン・エッジワースとなって五年間、何をしていたかというと……――。


「……師匠、よく一日でここまで散らかせるよなぁ」


 部屋の床に散らばった書類の山をひとつひとつ拾い上げながら、深々とため息をつく。


 つまり、この五年間の仕事はというと、『家政婦』の真似事ということだ。


「まあ、この身体と魔法の使い方を教わっている“師匠”でもあるけど……」


 ただ、師匠とは名ばかりの超・放任主義。

 基本は何か尋ねても、「知らん」「自分で考えろ」「精霊に聞け」の三拍子が返ってくるだけだ。


 ……ああ、本当にこの五年間苦労したなぁ。


 なんとか手探りでやってきた、あの頃の自分を褒めてあげたい。


「よしっ、これで片づけは大丈夫」


 彼女は特に何か教えてくれることはなかった。

 だから、家事の合間を縫って、こうして鍛錬の時間を設けるのは自然の流れだった。


「……まずは魔力操作の鍛錬から」


 魔力の糸を薄く引き伸ばし、身体の外にまで延長するイメージで。

 そのまま伸ばした糸で、切り株に刺さった斧を搦めとり、ゆっくりと引き抜いた。


「ふっ……!」


 短く息を吐き、見えない魔力の糸に操られた斧を振り回す。

 何度か素振りのように感触を確かめてから、次は薪割り。その動きを終えると、再び斧を切り株に刺しなおした。


「何度見ても、勝手に斧が宙を舞っている超常現象にしか思えないよなぁ……」


 自分でやっておきながら、しみじみと思う。


『れおん! おはよーっ!』

『おはやい、おはやい!』

「ああ、おはよう、みんな」


 俺の魔力につられて、精霊たちが群がってきたみたい。

 軽く挨拶を交わしながら、今度は彼らの力を借りてもう少し複雑な魔法の鍛錬に移っていく。


 炎の鳥をつくって精霊たちと遊ばせたり、色とりどりの光の玉を浮かべて光量や色を変化させたり……。


 と、そのときだった――。


「おはよう、レオン。今日も鍛錬に精が出るな」

「師匠、おはようございます……って……」


 半目を向ける先、そこには裸にシャツを肩から掛けただけのあられもない姿の師匠――クリスティア・エッジワースがいた。


「師匠、さすがにその姿で外を出歩くのはどうかと……」

「ははっ、ここには精霊しかおらんのだからいいだろう」

「……師匠、俺も一応“男”なんですけど」


 まあ、身体は男も女もない、ただの人形だけれども……。


「――まあ、そんなことは今はいいだろう」


 ふっ、と笑って、彼女は俺を指さした。


「剣をとれ。ただ今より、試験を始める――っ!」


 またいきなり支離滅裂で無茶苦茶な……っ!


 この五年、彼女の弟子をしてわかったことがある。

 彼女は実に気まぐれだ。

 聡明そうな喋り方に、落ち着いた態度。

 だから、第一印象は『冷静沈着な大人の女性』というものになりがちだ。


 しかし、それはまったく的外れなイメージである。


 本当の彼女は、ただ『自由奔放で自分勝手、がさつでずぼら』。

 それが、俺の五年をかけて得た彼女への絶対評価だ。


 こうなってしまえば、もう師匠はこちらの言うことを聞かない。

 ならば……。


「……はぁ、ルールはいつも通りで?」

「ふふっ、話が早いな」


 俺が腰に佩いた直剣を引き抜くと同時、彼女は愉快そうに笑みをつくった。


「やはり、そうでなくては……なッ――!!」


 言葉をつくりながら、師匠は駆け込んでくる。

 流れる動作で短剣を喚び出し、前進の加速を利用して一瞬で双剣の二連撃をこちらへ叩き込んでくる。


 俺の首を狙う剣閃は鋭く、振り抜かれる剣身は霞んで見えるほどに速い。

 ――だけど。


 ……魔力の乗っていない、ただの剣の業だ。


 だから、俺は避ける動作すら見せず、ただその剣を受け入れた。


「……ふん、よく間に合わせたな!」


 紙一重、こちらへ刃が届く寸前で見えない壁がその侵入を阻んでいる。


「ならば、魔法込みならどうだ……ッ!」


 双剣の柄に仕込まれた宝珠が煌めき、その剣身に薄い光が宿る。

 右に炎を思わせる赤、左に氷を思わせる青。

 それぞれ色づいた剣閃が、先ほどよりも鋭さを増した連撃となり襲い来る。


 ……こればかりは、さすがに『風の障壁』だけじゃ防げないな。


 ついに、こちらも剣での応戦を始める。

 剣は彼女の攻撃を防ぐことに使い、反撃は空気の圧縮弾にて行う。


 向こうの淀みない連撃をこちらが何とか捌き切ったら、次は四方八方から襲い来る不可視の空気弾を彼女がまるで見えているかのように的確に斬り裂いてゆく。


 そんな苛烈な応酬が繰り広げら続ける。


 しかし、終わりは突然やってくる。


「……ッ!!」


 ニヤリと口角を上げた師匠が、空気弾をその身に受けたのだ。


 だが、それは地面に倒れる動きではない。

 彼女は炸裂した空気の圧に後押しされて、無理やり俺の懐まで滑り込んできたのだ。


「くそっ……!」


 あえて空気弾を受けることで、加速度を得て敵の懐まで飛び込み、攻防のリズムを崩す。

 言うだけなら簡単だが、そんなこと並大抵の人間にできることではない。


 少しでも威力を殺し損ねたら一発で撃沈。

 それでも、彼女はそんな人間離れした離れ業を成功させ、双剣の切っ先をこちらの首元へと突きつけてきた。


「……私の勝ちだな?」

「――いいえ、ドローですよ、師匠」


 彼女の首筋には、宙に浮いた薪割り用の斧が背後から突きつけられていた。


 師匠が最初から何かをずっと狙っていたことはわかっていた。

 だから、こちらも空気弾を撃ちながら、ずっと斧に魔力の糸を伸ばして、いつでも不意を打てるように準備していたのだ。


「相も変わらず手癖が悪いな、お前は」


 やれやれと肩をすくめて彼女が剣を虚空に消すと、それが戦闘の終幕の合図となった。


「合格だ、レオン」


 こちらへ近づきながら、満足そうに、けれどどこか残念そうな表情を浮かべる。


「まだ、不意打ちぐらいでしか一本を取れませんけどね」

「その手癖の悪さこそが、お前の取り柄なのだろう?」


 まあ、それは否定しない。


 元の身体には『剣聖』の恩恵ギフトがあったから、剣技一本でやってこれた。

 ただ、恩恵を持たないこの身体では、剣の扱いだけで言えば衰えている。

 だから、こうして小手先の騙し技みたいなものを多用する戦い方に染まってしまったのだ。


「でも、師匠。どうしてまた急に試験なんて言い出したんですか?」


 彼女の思いつきはいつものことだが、今日は少し様子が違うような気がしていた。


「まあ、私にも思うところがあるのだよ」


 短く笑って、彼女はひとつの問いをかけてきた。


「なあ、レオン。お前はまだ、あの時の答えは得られていないか?」

「……ええ、まあ」


 あの時のこと……。

 それは、初めて師匠と会った時のことだろう。


『して、少年。お前のやりたいことは何だ?』


 彼女の問いに、俺は答えを見つけられなかった。

 そして、それは今もそう。


「ならば、レオン。弟子に、師匠である私が命じよう」


 そう前置きして、口角を吊り上げた。


「――お前は、この森を出て外の世界で『自分のやりたいこと』を見つけてこい」

「えっ……!?」


 驚きのあまり言葉を失いつつも、何とか説得を試みようと師匠に詰め寄る。


「いや、いくらなんでもいきなりすぎじゃないですか!? それに師匠のお世話は誰がするんですか!」

「お、おい! 私がまるでお前がいないと生活すらまともにできない人間のように言ってくれるな!」


 それは事実なのでは……?


 俺からの無言の視線に耐えかねたのか、師匠はコホンと咳払いを入れて話を戻した。


「お前も気づいているだろう? もう、私がお前に教えてやれることなど、ひとつもないことに」

「そ、それは……」


 ここで「元からまともに教わったことがありません!」なんて空気を読まない発言はしない。

 喉元までは出かかったけど――。


 事実、こと精霊魔法に関しては、彼女に教わることはもうほとんどないかもしれない。

 それは、彼女の実力を俺が上回ったからとか、そういう理由じゃない。


「人の自由を奪い、自らの筋書き通りに人間を縛るファクティスの恩恵。対して、精霊魔法は周囲の精霊の力を借り、大気中の魔力を束ね、自らの思い描いた理想を実現するための力。その二つは、相反する存在なわけだ」


 そう、この二つの力は、互いが互いに干渉する性質を持つ。

 だから、恩恵を持つ者は、精霊魔法を十全に扱えないということなのだ。


「私も、使えるのはせいぜい刃に炎や氷、雷などの簡易的な属性を付与し、それを斬撃として放つ精霊魔法ぐらい。お前のように、魔力を自由自在に変化させることはできん」


 彼女はその強すぎる恩恵のせいで、精霊魔法との相性の悪さに拍車がかかっている。


 だが、今の俺の身体には、恩恵が存在しない。

 邪魔するものがない俺と、しがらみだらけの師匠。

 精霊魔法の扱いに差が出来てしまうのは、仕方がないことだった。


「まあ、それも『剣魔』による剣技で埋めてきたつもりだったが……」

「今日、ついに引き分けてしまった、と」

「ああ、だから『合格』と言ったわけだ、私は」


 彼女が少し残念そうな顔をしていた理由がわかった。

 師匠だって、このままここにいてほしい気持ちもあったのだろう。

 だけど、自分にはこれ以上、成長の手助けになるようなことはしてやれない。


 だからこそ、外の世界へ旅立たせる決意をしたと、そういうことだ。


「本当に、毎度のことながら勝手な……」


 俺の意見なんて、ひとつも聞きやしない。

 だけど、彼女の命令を拒否する選択肢など、俺の中にありはしなかった。


「わかりました。このレオン・エッジワース、ただ今を以て、外の世界を見る旅に出てまいります」


 恭しく身体を折ると、彼女の満足げな短い笑い声が届いてきた。

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