第6話 レオン・エッジワース

 神業とも呼べる斬撃によって枝を切断。木の人形をつくりあげたクリスティアは、人形の脇に膝をついてこちらに視線を投げて寄越した。


「綺麗に斬れているだろう? さっきは剣士最高峰の恩恵ギフト『剣魔』の剣筋を以てしても傷ひとつ刻めなかったというのに」


 ふふっ、と彼女は愉快に笑みをつくる。


「それを為したものこそ――『精霊魔法』」


 クリスティアが手を差し出すと、そこにどこからともなく飛んできた精霊がとまる。

 微笑みあうその様は、親しい友人のよう。


「精霊の助けを借り、より強く、より自由に魔法を行使する力。恩恵に依存しないからこそ、より自由で未来を選択できるようになる。これこそが、私がお前に見せたかった『可能性』というものだ」


 次々に群がってくる精霊たちと戯れながら、クリスティアは人形を空に浮かび上がらせ、その身体をまるで生命が宿っているかのように操り始める。


 それを呆然と見上げていると、彼女はこちらを振り返って手招きした。


「さあ、こっちへ来い。いつまでも魂のままだと不便だろう?」


 入れ、と人形を指し示す。

 なぜ世界樹の枝から人形を切り出したのかと疑問に思っていたが、そういうことか。


 一瞬、浮かぶ人形の身体を前にして動きを止める。


(これに入れば、俺は……)


 たしかに魂だけの姿は不便だが、身体を手に入れたからといって、何をしようというのだろう。


『して、少年。お前のやりたいことは何だ?』


 正直、今もその答えは得られていない。


 けれど、彼女が示してくれた『可能性』が、頭から離れない。

 精霊の力を借り受け、何者にも縛られず、限界を超えて、自由に羽ばたけるというそんな夢物語が。


 思ってしまった。自分も自由に羽ばたけるだろうか、と――


 だから、行った。

 人形の身体に魂を沈め、浸透させ、定着させていく。


 徐々に四肢に五感が戻る感覚を得ながら、それを懐かしみつつゆっくりと動きをつくる。

 徐々に高度を落とし、片膝をつき、立ち上がり、顔を上げ、そして最後に目を開いた。


「これで晴れてお前は人魂卒業だ」


 目の前にあるのは、口角を上げ、手を差し出してくるクリスティアの姿。


「――おめでとう」


 頷き、こちらも彼女の手を握り返す。

 その周りでは、数多くの精霊たちが賑やかに舞い踊っていた。


 手を離し、幻想的な光景に目を奪われていると、不意に手を叩く音が来た。


「では、念願の身体を手に入れたということで、だ」


 ニコリと笑みをつくる。

 だけど、その笑顔はどこか企むような色が見え隠れしていた。


「――修行として私の家で家事をしてもらおうか」

「……へ?」


 わけのわからないまま、またクリスティアの家までの小路を行く。


 すると、特に目立った凹凸があるわけでもないその道で、数歩進むごとに躓いてまともに進めない。

 自分の肉体があった頃は、こんな程度のことで躓くなんてありえなかったのに……。


「上手く、力が入らない……?」


 何度か手を握ってみるけど、以前ほどの力が入っている気がしない。


 ……まあ、新しい身体に馴染んでいないだけか。


 そのまま家に着いた後、最初にクリスティアが出してきた課題は薪割りだった。


「そこに積んでいる分を終わらせたら声をかけてくれ。ああ、斧はそこにあるから」


 あとは頼んだ、と手をひらひら振って、クリスティアは部屋に戻っていく。

 戸惑いながらも、裏庭に積み上げられた薪の山に向き合う。


「多すぎないか、これ……?」


 頭上まで積み上げられた薪の山を見上げて、思わず顔をしかめる。


「……まあ、やるか」


 迷っていても仕方がない。


 手近な薪に斧を食い込ませ、それから何度も叩きつけるようにして割っていく。

 しかし、何度か叩きつけたあたりで、割れる前に先に斧が手からすっぽ抜けてしまう。


「また、力が抜けて……」


 やはりおかしい。

 時々、糸の切れた人形のように身体の制御を失うことがある。


 疑問を感じながらも、黙々と薪を両断していく。


 そして、すべてを割り終えた頃には、すでに日が傾きかけていた。


「ああ、遅かったな、少年。では次は夕飯を頼もうかな」


 まったく彼女の真意がわからず、一瞬動きを止める。

 けれど、すぐに気を取り直すと、俺はキッチンに立った。


 ひとり暮らしが長かったため、自炊は人並み程度にできるようにしてある。

 だから、こんな課題すぐに終わると思っていたのに……。


「ほ、包丁が……あっ、ちょっ……!」


 包丁を握る手は力が入らず、野菜を押さえる手は滑り、まともに料理ができない。


 これもすべて、この身体に馴染んでないからなのか……?


 わからない。

 言葉にできないモヤモヤした気持ちを抱えながら食材と格闘していると、不意にリビングの方から声が飛んできた。


「――少年、もっと精霊と対話したまえよ」


 短く、一言。

 彼女はそれだけ告げると、また口を閉ざした。


 ……精霊と対話、か。


 それで何が変わるのか、よくわからない。

 でも、彼女の助言以外に頼るものがない以上、やってみるしかないだろう。


「……誰かいるか?」

『はいはーい』

『よんだよんだ?』


 虚空に声をかけてみると、すぐにどこからともなく精霊たちが飛んでくる。


「すまない、この身体が思うように動かないんだ。誰か、わかる精霊はいるか?」

『うーん……』

『ちょっとよくわからないかなぁ~……』


 その答えに、やはりか、と諦めに近い感情を覚える。

 だが、続く言葉に目を見開いた。


『でも、そのからだ、ないてるよ~?』

「……え?」


 すると、周りの精霊たちも同じようなことを口にし始める。


『そうそう、「まりょくがもらえなくてかなしいよ~」って』

『ないてるないてる~!』

「魔力がもらえなくて、泣いている……?」


 ……どういうことなのだろう?


 そんな、まるで植物に水をあげるみたいな表現をされても、いまいち何が言いたいのかわからない。


「……ん、植物……?」


 いや、待てよ。

 そういえば、この身体は世界樹の枝からできているはず。


 もちろん、植物でつくられた身体に筋肉はないはず。


 ……なら、どうやって今、俺はこの身体を動かしているんだ?


「――もしかして筋肉じゃなく、魔力で動かしているのか?」


 それならば、『魔力をもらえなくて悲しんでいる』という表現も納得がいく。


 おそらく、この身体は筋肉がない代わりに、魔力を四肢に行き渡らせて、それを操ることで動かしているのだろう。

 『魔力をもらえない』というのは、つまり魔力の浸透が四肢まで届いておらず、ムラがある状態ということ。

 だから、時々糸が切れたように制御を失うのだ。


 なら、どうすればいいかは簡単だ。


「しっかりと全身の隅々まで魔力を行き渡らせるイメージで……」


 目を閉じて、脳内に思い描く。

 今までの身体の使い方をすべて捨て去り、魔力の糸で身体を操るような、そんなイメージを。


 目を開ける。

 手を握り、開く。


 その動きにもう澱みはなく、先ほどまでの重みが噓のように身体が軽い。


 ああ、そうか。

 これがこの身体の本当の使い方だったのか……。


「やればできるじゃないか、少年」


 気づけば、後ろにはクリスティアが腕組みをしたまま佇んでいる。

 すると、こちらが振り向く動きに合わせて、彼女はひとつ思い出したように口を開いた。


「そうだ。お前に名をやろう」

「え、名前……?」


 自分にはレオナルドという名前が――。


 そこで、はたと気づく。

 今、この世界で『レオナルド・ウォーロック』は二人いる。

 どころか、あちらが今は本物だ。


「ああ、いつまでも名無しの“少年”じゃ、格好がつかないだろう?」


 だから、とクリスティアは新たな名前を口にした。


「――レオン」


 確かめるように、もう一度、声を発した。


「レオン・エッジワース。良い名だろう?」


 この瞬間、本当の意味で第二の生を歩み出したのだと、そう感じた。

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